『朝の波紋』 1952年新東宝
監督 五所平之助
脚本 館岡謙之助
原作 高見順
製作 平尾郁次
撮影 三浦光雄
音楽 齋藤一郎
滝本篤子:高峰秀子 父:汐見洋 母:瀧花久子 少年健一:岡本克政 母加代:三宅邦子 伊能田二平太:池部良 妹眞佐子:沢村契恵子 婆や:浦辺粂子 梶五郎:岡田英次 向井社長:清水将夫 久富営業部長:斎藤達雄 シスター:香川京子 田中ドクター:上原謙 南海商事松島:中村是好
五所平之助はうまいなあ。カメラとセリフの引きどころが良い。つまり蛇足な映像と余計なセリフがないのである。その前にすっと引くのである。言わずもがなの画面になりそうなところですうっとフェイドアウトにしてしまう。この間がシーンを生き生きとさせるのだ。大げさな表現を好まないというこの人の映画作法がそうさせているのかもしれない。
この映画に映っている登場人物みんなに優しい目を向けている。それは、「ただ意味なく嫌な奴」というキャラを作らないでドラマを進行させることにも表れる。優しい人だなあと思ってしまうのである。
ストーリーは英語の堪能な秘書高峰がアメリカの会社との取引を成功させるところから始まる。そしてある日、あるアメリカの会社が契約日に相手の発注元の社員が来なかったと言って、この三光商事に鞍替えしてきた。これはチャンス、なのだが営業部長はそれを断ってしまう。(面倒くさそうな斎藤達夫である)。
高峰と同僚の若い男(岡田英次)は率先してこの契約を取ろうと動き始める。ところがどうも発注の品が届いてこないのだ。誰かがこの契約にくぎを刺しているのだ。
高峰は戦争未亡人だが溌剌として働いている。家に帰れば親戚の少年がいる。この子の父は戦争で死に、母は箱根のホテルで働いているので預かっているのだ。この少年には拾ってきた野良犬がいて、近所のモノを持ってきては怒られている。
この少年には不思議な「友人」がいて彼(池部良)はいい大人でのんびりとした会社勤めをしている。それは彼の会社は大きな貿易会社なのでいわば金持ちの道楽のような仕事ぶりなのだ。だが少年にはとても優しく、少年を大切な友人として犬ともども扱う姿を見るにつけ好感の持てる人物らしい。
それで高峰の同僚(岡田)は今発注を催促されても品物が滞っているのは、この男(会社)の仕業だとにらんでいるのだった。しかし彼女にはどうしても悪い人物には見えないのだ。
こうしていくつかのエピソードを挟みながら五所監督は登場人物の些細な心の動きや行動を丁寧に描いていくのである。
高峰はこのゆるい性格の男(池部良)と同僚の勝ち気で一途な岡田英次とのあいだで心は揺れうごいた。この繊細な気持ちのゆらぎを些細な表情でよく演じている。
実は発注を止めていたのは池部の会社の同僚だったのだが、彼はそれまでの誤解を解くでなく同僚を恨むでなく、そしてその同僚も決して個人の感情でそうするわけでないことを、短いしぐさを使ってうまくあらわすのである。
誰も犯人ではないが被害者はたしかにいるという構図だ。ある意味でその被害者の一人、発注工場の社長(中村是好)が良い味を出している。工場は手作業の家内工業で、貧しき人々を抱えている。親会社の意向に逆らえないのである。この工場を訪ねた高峰は自分たちばかりが苦しい思いをしているのではないという事を、知らされるのだった。
そんな折家にいる少年が、飼っている犬を捨てろと言われて、ついにそれができず、家出をしてしまったのだ。もう高峰は仕事どころじゃない。彼女にとってこの親戚の少年はだいじな人なのだ。
そして、この少年に対する扱いが二人の男は明らかに違っていた。彼女は、犬や少年のことは眼中にない、仕事に一途な岡田に不安を覚えるのだった。いい人だが間違っている・・。と。
少年はあるキリスト系の施設に保護されていた。彼をやっと探し当てた池部と高峰、そして少年の三人は家を目指して林の中を歩いていくのだった。
これで終わりだが、占領後の日本の影をうつしながら時には滑稽なエピソードを挟んで小気味よくシーンを切り取っていく手腕に脱帽である。何気なく佳作なのだ
高峰の演技が光る。仕事に熱心なあまり、どこに自分の落度があるかをわからない岡田の悲しさ。よくできている。
が、なぜ「朝の波紋」なのかわからない!

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