『にごりえ』 1953年 文学座、新世紀映画社
監督:今井正
原作:樋口一葉
脚色:水木洋子、井手俊郎
撮影:中尾駿一郎
美術:平川透徹
音楽:團伊玖磨
第一話・十三夜
齊藤もよ(せきの母):田村秋子
原田せき:丹阿弥谷津子
齊藤主計(せきの父):三津田健
高坂録之助(人力車夫):芥川比呂志
第二話・大つごもり
みね:久我美子
安兵衛(みねの伯父):中村伸郎
しん(その妻):荒木道子
山村石之助:仲谷昇
嘉兵衛(石之助の父):竜岡晋
あや(石之助の継母):長岡輝子
山村家次女:岸田今日子
第三話・にごりえ
お力(小料理屋「菊之井」の酌婦):淡島千景
源七:宮口精二
お初(源七の妻):杉村春子
酌婦お秋:賀原夏子
お八重(「菊之井」の女将):南美江
お高:文野朋子
朝之助:山村聰
藤兵衛(「菊之井」の主人):十朱久雄
ヤクザ:加藤武
縁日の若妻:加藤治子
源七の息子:松山省二
女郎に絡む男:小池朝雄
樋口一葉の『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』の三話をオムニバスにして作った作品。
女の悲運を描いて秀逸だ。溝口の描く女の抵抗はやはり男の筆による物語である、とこれを見てつくづく感じたものだ。樋口一葉は、大騒ぎもせず静かに世の中の理不尽に抵抗する女を描くが、それとて決して報われることのないまま日常は過ぎていくのだ。
これを見てなんと美しい画面に、一葉の小さな物語を定着させたのだろうと感動してしまった。これは脚本の成果ではなく原作そのものが持ち合わせている美しさなのである。この映画は原作を忠実になぞったようなセリフなのである。
ふつう映画を見てから原作を読むということは、あまりお勧めのやり方ではないが、これは例外だ。原作はとっつきが悪いのである。映画を見てから原作を読めば随所に映画で人物がしゃべったとおりの文が出てくるのである。つまりこの映画は原作に忠実なのである。樋口一葉の作品はあまりいじくってはいけないという監督と脚本家の解釈だ。それを楽しむこともこの映画の一つの見かたである。あの読みづらい原作がこの映画によってどれだけ読みやすくなったか知れない。
一葉の見る女たちの姿はいさぎよいし、それにもかかわらず報われない。その悔しさを露わにせずにエッセイ風に切り取って見せたその手腕の何と見事なこと。声高に言わないことでかえってその恨みの強さが際立ってくるのだ。
『十三夜』のどことなく夏川静江を思わせる面立ちの丹阿弥谷津子。決意して家を出て来たけれどどこかこだわりのないやわな性格を現わしている、その面立ちそのままに結局父に言い含められて帰ってしまう。嫁いだ先の資産家での苦痛に耐えかねて、決心のすえ家出をしたせきだったのだが。
その帰りの人力車が途中で止まってしまい、すわっ、と思わせるが、実はこの男もう車を引くのがいやになったというのだ。まったくおかしな話だが、困り果てた女が彼をよく見れば幼ともだちであった。お互い気の弱いところが似ているらしくそれから歩きつつ男の身を落とした話を聞いて、別れる。ただそれだけの話だが、何とも余韻の長く残る映像である。
ぼくは始め、これは映画じゃない!と思った。映画の持つべきムーブメントがないのだ。まるでこれは舞台芝居だ、と。
暗く深い沈黙がすごい迫力を持って迫ってくる。あえてあとさきの悲劇を語ることなくそれを想像の中で解釈させるのだ。見事である。
『大つごもり』では、久我美子が女中お峰役でコマコマとよく働く。旦那とおかみは金持ちだがしみったれ、病気の伯父に渡すための小さい金を借りることもままならない。大晦日には二人のお嬢はすでに羽根つきで遊んでいるが、お峰は裸足で水汲みをしている。金持ちと貧乏な使用人の構図だ。よくある設定だがそのあとがすごい展開である。
ここには先妻の息子がいるが放蕩息子である。一家はこの息子を嫌っていて冷たくあしらうが、彼はお構いなく上り込んで酒を飲んで寝てしまった。お峰は先日約束した伯父の病気の薬代のことを口にするが、おかみさんはすげなく拒否する。困り果てて、ついにお峰は預かった金の一部を盗んでしまった。
おかみさんとダンナはその夜カネ勘定をしていて、お峰に先ほど預かった金を出しなさいと言う。お峰は金の入った掛け硯(小物入れ)を持ってきて、もう観念した。引き出しをあければ終わりだと命の縮む思いである。この時の久我美子の悲痛な表情は見事。おかみさんはそれを開けて驚く、あら、お金がない!お峰は一瞬心臓がとまる。この一続きの久我美子の演技は目をみはるものがある。
そして金の包みには「金は拝借」という置き書きがあり金はすべて消えていたのである。放蕩息子は、果たして事情を知っての仕業か、それともただの金せびりの行動だったのか、それはわからない。
お峰が金のことでいじめられていたときに酔って寝ていたこの息子、あれはタヌキ寝入りだったとすれば、どこか救われる結末ではないか。すべては金の入った小箱のあるこの部屋で起こったことなのだから。
つまりこれはミステリー落ちなのだ。落語でいえば「考え落ち」だ。
久我美子が珍しい女中姿で、へいっ!と返事するのだ。これも見どころ。
『にごりえ』は打って変わって普通のドラマである。つまり映画らしい映画だ。
小料理屋の酌婦お力は店いちばんの売れっ子だが、そこには深い影がある。以前恋仲だった男は落ちぶれて妻子と貧乏暮らしをしているが、それでもお力に会いに来る。するとお力は逃げてしまうのだが、なぜ男は未練がましいのか、なぜお力はそれに拘っているのか謎である。
そんな時にお力はある紳士を捕まえて部屋に連れ込んだ。幾度か会ううちに二人は恋仲になり、ついにお力は自分の過去の謎を話す。そこでお力は子供の頃に赤貧の生活をしており、のちに出会った件の男との間に何か複雑な事情があるらしいと分かる。
ところがある日、以前の男は夫婦別れをしたあと家から消え、お力も店からいなくなってしまった。警察の捜査で見つかった二人は死体で発見される。お力は脇腹を刺され男は割腹していたのだ。明らかに無理心中だったがその謎は解けない。
いったい何があったのだろうかこの二人のあいだには。この男を年のはなれた宮口精二が演じているからなおのこと。
オムニバス映画の傑作である。静から動へと移り変わる映画の流れも素晴らしい。
お力と紳士(山村聡)の関係では、どこか『雪国』の駒子を思い出させる淡島千景の演技である。というよりも時代の前後を考えれば、一葉の『にごりえ』を川端康成がどう読んでいたか、である。
一葉はけっこうなサスペンステラーなのであった。

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