『噂の娘』 1935年PCL
演出: 成瀬巳喜男
脚本: 成瀬巳喜男
撮影: 鈴木博
音楽: 伊藤昇
汐見洋:祖父啓作(店の酒をかっくらっては三味線ざんまい、妙な存在感あり)
御橋公:父健吉(店のことで頭がいっぱいの、しかし誰にも優しい旦那である)
千葉早智子:姉邦江(この人も限りなく優しく父に対する)
梅園龍子:妹紀美子(遊んでばかりの生意気娘)
伊藤智子:お葉(父の妾、ボヤンとした風情が良い)
藤原釜足:叔父(おせっかいオヤジである)
大川平八郎:新太郎
成瀬巳喜男は、どこかやるせない雰囲気を作るのがうまいのだが、それを少し間違えるとやるせなさを通り過ぎてイラッとさせることも多い。『浮雲』や『めし』という映画がそのたぐいだが、微妙である。
その微妙さに挑んでいることは全く大した監督だと思うのだ。そしてそういう映画の成功例がこれだ。
左前になってきた酒屋の一家のなんとも優しい人間たちのドラマだ。しかしそのドラマの内容は厳しく殺伐としている。こういう関係を成瀬は何と優しさにあふれる話として描くのだろう。
最後に警察に連れて行かれる時に、いったいどうしたんだと近所の人に訊かれた祖父が、なに看板が代わるだけさ、というのも物悲しい。これを庶民のしたたかさと受け取ることもできるだろうが。
終幕近くになって怒涛のように悲劇が重なるクライマックスもこの映画の見所である。いったいどうなるんだろうかというミステリーを、結末を告げずに終わってしまうのだが、ぼくは成瀬の描かずに描くという手法が隠されていると思うのだ。何もかもを明らかにすることでドラマがただそれだけのものになってしまうことを恐れた監督は、肝心なところを描かずにおくことでその群像のかもしだす空気といったものを描くのだ。
これは描ききれなくなって仕方なく観賞者に放り投げてしまうこととは違うのだ。
「噂の娘」が姉のことなのか腹違いの妹なのかは判然としないが、どちらでもよしとすべき問題である。
左前になりかけた酒屋に養子として入った健吉(御橋公)は妻に死なれて、今では娘二人と祖父を抱えて店を切り盛りしている真面目な男である。彼の心の支えは他で小料理店をまかせているお葉(伊藤智子)という女だ。実は妹娘の母は、このお葉なのである。まったく複雑な家庭構成だったのだ。
彼のそういう境遇を知って理解をしめすのは長女の邦江(千葉早智子)で、かいがいしく父の世話をやき、縁談があってもあまり乗り気ではない。祖父は毎日酒を飲んで遊び歩いているし、ワガママな妹娘もまた遊びほうけている。
そんな折にその妹は姉の縁談の相手と付き合うようになってしまう。
健吉は店をもとの繁盛時に戻そうとしてつい魔がさしたというべきか、店の酒を混合酒にして売り出しはじめた。始めにそれを悟ったのはいつも店の酒を飲んでいる祖父で、何とか本人に訊いてほしいと長女に持ちかけた。
ついにお葉に任せている店を売ることにして、お葉を家に迎えることになった。しかし今までの事情を知らなかった妹はそれを聞いて家を飛び出していこうとした。そのとき警察が来てお父さんは不正な酒の販売容疑で連れて行かれてしまう。怒涛のように押し寄せる不幸の種である。
悲しむ姉に祖父は、これでいいんだこれからは良くなるよ、という謎の言葉をつぶやく。どんな状況になろうとこの祖父だけは自分のぺースを守って生きてきた、そういう結末である。
向かいの床屋で客と主人が、今度は何の店になりますかな、一つ賭けませんか、いいですなぁ、という会話をしているのだった。何とも言い知れない余韻の映画だった。

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