『心の旅路』 1942年アメリカ
監督 マーヴィン・ルロイ
脚本 クローディン・ウェスト 、 ゲオルク・フレーシェル 、 アーサー・ウィンペリス
原作 ジェームズ・ヒルトン
撮影 ジョセフ・ルッテンバーグ
音楽 ハーバート・ストサート
ロナルド・コールマン:ジョン・スミスことチャールズ・レイニア
グリア・ガースン:"ポーラ・リッジウェイ"/マーガレット・ハンソン
フィリップ・ドーン:ジョナサン・ベネット
スーザン・ピータース:キティ
ウナ・オコーナー:タバコ屋の女主人
究極のメロドラマだ。メロドラマにはサスペンスがなければ成立しない。好きとか愛の深さを表現することではないのだ。すれ違いの妙である。
そしてそのサスペンスにはただ男女が物理的にすれ違うだけの悲劇をもってきてはいけない。それはあまりにも安易すぎる。日本のメロドラマの薄っぺらさはこれを多用しすぎてしかも繰り返してしまう失敗をおかしているのである。
ついでに言えば演技の補完物でなければならぬ音楽がしゃしゃり出すぎるともうこれはいけない。人の心模様を演技ではなく音楽に任せてしまうことも、良い映画におけるやってはいけない鉄則である。
こういう間違いから解放されたメロドラマがこの映画なのである。
この映画はそのすれ違いを精神的なものとして描いているのだ。物理的には出会っていても精神的なすれ違いがこの男女を不幸にしているのだ。しかし何事にも程というものが肝心なである。やり過ぎてはいけないのがメロドラマの難しいところである。この映画はそれらを見事にクリアした珍しい作品だ。
第一次大戦の際にけがをして記憶を失った男が精神を病んで病院にいた。そこではスミスと呼ばれていた彼が病院の庭を散歩しているその時に戦争が終結して、人々が終戦を祝っていっせいに屋外に飛び出した。彼はそのまま開いていた門から外に出てしまった。
雑踏の中であるタバコ屋で病院に通報されそうになったとき、通りかかった若い踊子に助けられる。彼女は話すこともままならない男を気の毒に思い、職場に連れて行った。
そのうちにポーラというこの女性は彼に好意を超えた愛を感じはじめる。そして二人は結婚して子供ができ、小さな家を郊外に買った。物書きの仕事も手に入れ彼の精神障害はもう治ったかに思えた。
ところがある日仕事でリバプールの新聞社に出向いた時、自動車事故にあって再び記憶を失ってしまったのだ。ところが今度は、以前の記憶がよみがえった代わりにそれ以降の記憶がなくなっていたのだ。つまり自分が愛し合った女性と結婚している記憶を失ってしまったのだ。その代りにチャールズという貴族の子息だということを思いだし、その家に帰っていくのだった。
そこでかれは会社の社長となり仕事に忙しく生活する身となった。彼にはテキパキと仕事を補佐する秘書マーガレットがいるのだが、その女性がドアを開けて入ってくるシーンは見ているものをびっくりさせる。なんとその女性こそ彼の妻だったポーラではないか。
ところが彼はもちろん彼女に気付かないのだ。しかしなぜ彼女が事実を明かさないのかはわからないし、見ているぼくらももどかしい思いだ。彼女は彼が自ら記憶を回復することを待つ、という女性なのだ。(これには若干の無理があると思うが)。
だから彼女もいつも不安な心を抱えるのであった。彼もまたが自分のポケットに残っていた見知らぬ鍵(ポーラと暮らした家の鍵である)をいつももてあそんでいるのを、どんな思いで見るのだろうか。
この家族会社の中にキティという娘がいて彼女はチャールズが戻ってきた時から彼に惹きつけられて育ち、大人になった時ついに結婚の意思を伝えるのだ。彼も今は彼女を愛しはするのだが、どこか、記憶の消えた喪失感(誰かが自分を待っている)で時おりふと呆然とたたずむようになる。それを察したキティは彼のもとから離れていく。
そしてチャールズは記憶を失ったリバプールに行った。マーガレットは秘書として彼の記憶の探索に付き合うのだった。そしてあるホテルに行くと11年前に彼が泊まったときのカバンが残っていたのだ。色めき立った彼女とは裏腹に彼はこんなカバンは見たこともないというのだ。旅は徒労に終わった。
彼の会社の業績は上がり、彼は議員に当選する。そうなると一人身では信用にかかわるというのでチャールズはマーガレットに結婚を申し込んだ。しかしこれは愛のない結婚だ。彼にはまだ記憶の底に愛する女性が埋もれていたからだ。
会社では労働争議が起きていた。その争議が起きた工場は奇しくも彼が以前入っていた精神病院のある街だったのだ。彼はそこに行って組合の要求をのんで争議は解決した。外に出ると霧が立ち込めていた。それは彼がこの街の病院を脱走した晩と同じだった。
そして切らしたタバコを買うためにタバコ屋に入ったのだが、彼がその店に行く道を知っていたことで、付き人があなたは以前この町にいたのですか?と聞いた。この店こそ初めてポーラという名の踊子だったマーガレットに出会った店だったのだ。だんだん彼の記憶がよみがえっていく。
そしてついに淡い記憶を頼りに彼は郊外の一軒家にたどり着いた。その家のドアに彼がいつも携えていた鍵を差し込むと、ドアは開いたのだ。振りかえると柵の外にはなつかしい「ポーラ」が、そこにいたのだった。
主役のロナルド・コールマンはいわゆる「コールマン髭」の由来人物である。ここでも彼はその上品な髭をたくわえているので、始めの病院の場面における、記憶がなくなってことばも出ない哀れな姿はさぞ観客にショックを与えただろう。
ともあれ、メロドラマここに極まれり、という映画だった。

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