『路傍の石』 1955年松竹大船
監督 原研吉
脚本 池田忠雄
原作 山本有三
製作 細谷辰雄
撮影 森田俊保
音楽 加藤光男
愛川吾一:坂東亀三郎 父庄吾:伊藤雄之助 母れん:山田五十鈴 次野先生:菅佐原英一 黒川安吉:須賀不二男 福野秋太郎:野村勝幸 父喜平:北竜二 母しん:水上令子 妹きぬ:渡辺れい子 志田すみ江:沢村貞子 娘かよ子:小園蓉子
伊藤雄之助が『黄色いからす』の父役と同じく、子供の心を解さないとてつもなくイヤな父親を演じている。この人の得体のしれない風貌は悪役をするとゾッとするような妖気をたたえるのだ。その妻と子は父の借金のために苦しい生活を強いられているのである。
山田五十鈴がただ子供をなだめるばかりのふつうのお母さん役でちょっと物足りない。
ぼくは子供時代にこの映画に連れて行ってもらった覚えがある。1955年だからぼくが8歳の時だ。強烈に記憶に残ったのが、初めのほうで友だちにせかされて肝試しをする場面だ。汽車の鉄橋にぶら下がって汽車をやり過ごそうとして気を失ってしまう場面で、そのシーンが怖くてずっと覚えていたのである。
それ以外では、暗く悲しいかわいそうな子供の映画、というぐらいしか覚えがなかったが、今見てみると汽車の場面はちょっとしたエピソードにすぎなく、当時のたくましい子供のサバイバル映画という、よほど違った印象である。
それよりも何よりも、ぼくの父がこの映画に託した感慨というものがよくわかる。それだけではなく父がこの映画によほど運命的なものを見ていたか想像できるのだ。てっとり早く言えば「父の子供時代」がそっくりこの映画に写っていたのである。
吾一少年は勉強が好きで成績も良かったが、家の事情で中学には上がれなかった。このシチュエイションは日本映画にはつきもののパターンである。ほとんどの子供の苦労話といえば約束事のようにしてこのパターンがでてくる。
維新後、父(伊藤雄之助)は士族で明治政府の方針と闘っている。だがその裁判費用や酒代に残り少ない財を使い果たしてしまい、商人から金を借りている。それなのに武士のプライドという余計なものだけは離さない困った男なのである。母(山田五十鈴)と吾一(坂東亀三郎)はそんな父のために内職で日々の生活にも困る生活を強いられているのだった。
だが、吾一少年は本が好きで近くの本屋のお兄さんから店先で本を読ませてもらったり学校の先生から『学問のすすめ』などをもらって暇があれば本を開いて生き生きと暮らしている。
しかしけっきょく、生活のために吾一は知り合いの商店に丁稚として働くことになってしまう。すると環境は一変する。いままで仲良く遊んでいた友達をお坊ちゃんお嬢さんと呼ばされ、彼の名前も吾一でなく丁稚らしい吾助という名に変えられてしまう。彼はその屈辱に耐えて一生懸命働くのだが、ある日母が病に倒れて亡くなってしまった。
父はそんな時も家に帰らず酒を飲むばかり、挙句の果てには吾一の働いていた商店の借金までも踏み倒してしまった。
ついに吾一は商店を追われ、天涯孤独の身となってしまったのだ。
一人で生きなければならなくなった吾一は、道すがら会った怪しいばあさんと香典泥棒まがいのことをやらされるが、警察に追われた時、偶然助けてくれたのがかつての先生だった。
先生の下宿に上がって話をすると、以前の本屋のお兄さんが死ぬ時に吾一に残して先生に託した金があったというのだ。しかしその後小説家を志した先生は、吾一のゆくえを知らず、書く文章も売れないままにその金を生活費に使ってしまったというのだ。あやまる先生に吾一はその金はぼくのではありませんといってきっぱりとあきらめた。
そして印刷工として働きながらそこで漢字を覚え本を読む毎日だった。
吾一という少年は世間の仕打ちを、つらいことと受け取る前に人生の経験の勉強として粛々として受け入れていくような人間なのだった。その気概に先生もうたれて、一緒に学問を究めようと約束するのだった。
ぼくの父の生活がどんなものだったか、今となっては知りようもないが、母の話ではほぼこの映画をなぞったような生活だったらしい。
小学校を出て丁稚奉公に行き夜は布団の中で勉強をしていたという。ぼくが中学を出た時のこと、父がこの教科書はいらないのかいとぼくの本を部屋に持ち帰り、後のある日ぼくは父の布団のうえにこの教科書を見かけたという一事がこの事実を裏付けているように思う。
それで父がこの映画を子供にも見せたかったのだろう。この映画で吾一が『学問のすすめ』を肌身はなさず持っていたことも、父が福沢諭吉のファンだったことと偶然ではないだろう。たぶん父は1938年のオリジナル映画『路傍の石』(監督:田坂具隆)を見ていたのに違いない。
と、そんなことを思った。

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