『雁の寺』 1962年大映京都
監督:川島雄三
脚本:舟橋和郎、川島雄三
製作者:永田雅一
撮影:村井博
音楽:池野成
桐原里子:若尾文子 宇田竺道:木村功 堀之内慈念:高見國一 北見慈海:三島雅夫 雪州:山茶花究 岸本南嶽:中村鴈治郎 桐原たつ:萬代峰子 おかん:菅井きん 岸本秀子:金剛麗子 独石:荒木忍 桐原伊三郎:寺島雄作 喜七:石原須磨男 木田黙堂:西村晃
何やら市川崑の『炎上』を思わせる雰囲気を持った作品だ。
サスペンスである。
捨て子同然に家を追われた少年がある寺に拾われてきて寺の坊主になる。しかし住職は女を囲って遊び放題、この少年をこき使いいじめ抜くのだった。
この女里子(若尾文子)は前の住職が死んだあとにひきついだこの和尚にも同じように囲われているのである。里子はいじめられても黙々と働くこの坊主に情が移っていくが、少年は彼女を避けるようにして、いったい何を考えているのかわからない不思議な子なのだ。
里子が彼の素性を知りたがると決まって逃げてしまうのだ。それは自分が乞食同然の親から生まれて、捨てられた子だと知られたくないからだった。
和尚がそのことを誰彼となく告げてしまうのを聞いて、彼には殺意が生じてくる。
ある日、雨の中酔って帰った和尚は門を入ったところで突然倒れて死んでしまう。坊主はこれを和尚さんは雲水に旅立ったということで周りに納得させてしまう。
そしてある檀家の一人が死んだ折に、寺で葬式を済ませるが、坊主はどうも隠しておいた和尚の死体をその棺桶の中に入れてしまったらしい。つまり棺桶には二人の遺体が入っているのだ。棺桶運びに、いやに重いなぁと言われながらもその棺桶は土に埋められる。
里子は和尚の行方を知らないかと坊主に詰め寄るが、彼は頑として口を割らないのだ。しかしついに里子が真相を知ったかに思えたとき、坊主も寺を出て行こうとする。
和尚が死んだとも、彼が殺したとも、棺桶に入れたとも映画は語らないが、そのミステリーが、陰鬱な坊主の表情と相まって我々をひきつけるのだ。
どうもあまり腑に落ちるところがないので、ただどうなるのだろうかと思うだけで見せてしまうところが、強引すぎるかもしれない。
川島は身持ちの悪い女を好んで描くような気がするが、これは彼の生い立ちと関係するのだろうか。若尾が好演、三島雅夫は珍しく悪辣な役どころである。木村功の役どころがいまひとつわからない。
『しとやかな獣』 1962年大映
監督: 川島雄三
原作 脚本: 新藤兼人
撮影: 宗川信夫
美術: 柴田篤二
音楽: 池野成
助監督: 湯浅憲明
出演: 若尾文子 川畑愛光 伊藤雄之助 山岡久乃 浜田ゆう子 山茶花究 小沢昭一 高松英郎 船越英二 ミヤコ蝶々
新藤兼人の脚本は面白い。この人は根っからの脚本家なのではないだろうか。というのは監督をするとあまりいいものを作れないのだから。
何とも妙な面白みをかもしだした作品である。ある一家のそれぞれの人間が金のためにけっこうヤバイことをしているのだが、それを平然と悪びれることなくやっているのだ。
仮想の物語なのだが、突飛なというよりもいかにも俗世間の現実味ある世界の話だ。だからその現実味からつかず離れずに描くことで、この突飛な話もある種のリアリティを持ち合わせているのだ。
人間の負の面を強調して作り上げた人々の織りなすブラックな喜劇である。
集合住宅に住む一家、息子(川畑愛光)の横領金を取りかえしに来た社員(船越英二)に、こんなに金がない風を装ってボロを着て応対するのがすっとぼけた伊藤雄之助と山岡久乃の夫婦だ。で、社員が帰るなり高級ウイスキーを出してパイプをふかす。
娘はある画家の妾だがうしろで糸を引いているのはこの夫婦で、娘をダシにして大金を借りている。この家族4人がまったく愛情とは無縁のところでつながっているのだ。
ところが息子の横領を裏で操っていたのが、会社の秘書(若尾文子)で、色仕掛けウソ仕立てで金を貯める守銭奴なのである。
すべての人間が金のためにだまし合っているわけだ。
『幕末太陽伝』の川島監督が人間の陽気な部分をブラックに表現したとすれば、これは人間の陰湿な部分をブラックユーモアで描いたといえる。
だからあまり陰湿にならないように能のパロディのような音楽と動作を入れたり、または象徴的な幻想場面を入れ込むことで、暗さに落ち過ぎないようにしている。
茫洋とした伊藤雄之助、狡猾な色仕掛けで男を落としていく若尾文子、という役者の持ち味を生かしたままで物語に当てはめていく。役者を生かす手練はさすがに川島雄三だ。
美術とカメラに凝ったつくりをして成功していることも見逃せない。天井をはぶいた室内の俯瞰シーンも日本美術の伝統手法である。
しとやかな獣は若尾なのか山岡久乃なのか、それとも伊藤雄之助なのだろうか。この映画はもはやそんなことは問題にしていない表現主義絵画のようなものである。

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