『木石』 1940年松竹大船
監督: 五所平之助
原作: 舟橋聖一
脚本: 伏見晁
撮影: 斎藤正夫
音楽: 福田幸彦
出演: 夏川大二郎 木暮実千代 赤木蘭子 寺門修 河村黎吉 坂本武 山内光 奈良真養
木石(ぼくせき)とは情のない人、人間味のない人ということだ。
実験のためのラットを飼育して病院と研究所を兼ねている所の話である。始まってすぐ、研究所の看護婦たちにオールドミスと言われて嫌われている女(赤木蘭子)がその「木石」かと思ったが、まじめで優秀な彼女は娘を持つシングルなので、実は心の温かい人間だったってことになるんじゃないか、などと考えてしまった。その方が有り体だ。
さらに、この研究所に意地の悪い研究員がいて彼女をいじめているので、さてこの男が木石か?と期待してしまったのだ。嫌味な男をやらせれば右に出るものがいない河野黎吉だもの。だがやはり彼は主役ではなかったのだった。
物語が進むにしたがって、この母親は娘にいやにつらく当たるばかりで、いっこうに女の魅力に乏しい人物としてしか描かれていないので、やはりこの女(赤木蘭子)が木石だったのか、と分かる。
主人公がこれほどつまらない女として描かれることにぼくは少し不満である。
長いわりには内容に薄い映画だ。母赤木蘭子の苦しみが人間性に基づくものではなくて恩師の家庭の不都合をとり繕うもの(彼女の娘は恩師の隠し子だった)というのはあまりにも内容に不足である。
そのために彼女にはアイデンティティを持てないので、その反作用で石のように固く融通の利かない人間になってしまったのだ。その子供として育てた娘(小暮実千代−ふけた娘だ!)があれほど自由な気風を持っているならばそれを何とか映画の中で生かせなかったのだろうか。
脚本に少し難があるのだ。意地悪な研究員が大陸に転勤になるというチャンスも、何も意味をなさずにただいなくなるだけでは、かつてこの男と激しく戦わせた軋轢が生きてこない。
どれもなんだか中途半端な感じで過ぎ去ってしまい、あげくの果てに母がラットに指を噛まれるという突然の詰まらぬ事故で他界してしまっては、これも救いようのない結末ではないか。
最後になってけっきょく娘は何も知らされずに若い先生と一緒になるのでは明るい未来は想像できない。何ともすっきりとしない終わり方である。長いわりに内容がないというのはそういうことだ。
『伊豆の女たち』 1945年松竹
監督:五所平之助
脚本:池田忠雄
撮影:生方敏夫・西川亨
河村黎吉 (杉山文吉) 三浦光子 (長女・静子) 四元百々生[しもと・ももお] (次女・たみ子 桑野通子 (叔母・おきん) 佐分利信 (宮内清) 東野英治郎 (村上徳次郎) 飯田蝶子 (妻・しげ) 笠智衆 (織田部長) 忍節子 (夫人) 柴田トシ子 (娘・雪子) 坂本武 (宗徳寺の和尚)
娘二人を持つそこつオヤジの喜劇である。名脇役の河村黎吉が主役を演じている。俗っぽい男でイヤな奴を演じたらこの人にまさる人はいないというほどの稀有な人物だ。
主役だからといってそれが変化するわけでなく、今回はそこにずる賢いところのないそこつ者という気質を加えている。つまりまるで落語に出てきそうな能天気なオヤジなのである。
狡猾さから毒を抜くと機転の利きく人物になるが、その機転がちょっとずれると早とちりな奴ということになる。そういう人間を演じている。
これが陰の主役だとすれば、表向きの主役が長女を演じている三浦光子でしっかりした賢そうな娘だ。もう24歳になるが嫁に行く気など全くないという、母なし家庭を取り仕切る長女という典型的な役どころである。
女性陣は皆きっぱりとした物言いで、恋に悩む長女でさえイジイジしないさっぱりとした女として描かれているのである。
終戦の直後、こんな映画をだれもが見たかっただろうなと思わせるすがすがしさである。やっと女が解放されたという意気込みが伝わってくる。1945年公開ということは少なくともそれ以前に映画は作られていたのだ。軍国の真っただ中でこういう映画がつくられるという奇跡でもある。
こういう影に隠れた佳作を見つけるとなにかとてもうれしい。それが面白くて毎晩むかしの映画をPC上で見ているようなものなのだ。
苦労をかけた妻を亡くした父はそれ以来酒をきっぱりと断ってしまい何年にもなる。娘たちはもうそろそろいいでしょうと20年ぶりの酒を勧めたのだが、これがまちがいの元だった。酔うともう機嫌がよくなってしまい何でも安請け合いしてしまうのだ。
少し前に、娘に相談なく若く堅気の設計技師(佐分利信)に部屋を貸してしまっていた。この親父はまるで人を疑うことを知らなく、娘はまだ子供で男に興味なんか持ちっこないと見ていたのだ。とはいってももう長女は24歳である。伯母の産婆(桑野通子)はそれが心配でならない。
と思えば上役にゴマをすって、部長の娘の縁談にこの青年を世話してしまうのだが、これもまたその青年や相手の娘の意向などお構いなしで「堅くていい青年ですよ」などと行き過ぎた親切心から勧めてしまう。それで親同士だけで納得してしまうのだ。まさに落語の展開だ。
しかし長女の静子(三浦光子)が実はこの青年を好いていたのだった。娘はこの青年の縁談話を聞いて泣くし、父は相手の両親には顔が立たなくなってしまうが、結局その粗忽さを素直に認めて謝りに行くのだ。
まったく罪のない粗忽なオヤジである。けっきょくはいったん出てもらった青年にまた戻ってもらうなどしてドタバタしたが最後は娘の縁談を認めることになり大団円となる。
桑野通子は相変わらずのきりっとした性格の伯母を演じていて素敵だし、河村黎吉はまるで繊細さをもたない気のいいオヤジを好演している。
至る所に光るものを持っている映画だ。

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