『四十八歳の抵抗』 1956年大映
監督 吉村公三郎
脚色 新藤兼人
原作 石川達三
企画 川崎治雄
製作 永田雅一
撮影 中川芳久
西村耕太郎 山村聡、 妻さと子 杉村春子、 娘理枝 若尾文子、 能代雪江 小野道子、 弟敬、川口浩、 曾我法介 船越英二、 ユカ 雪村いづみ
この三人の作者の顔ぶれを見ればわかる通りしっかりとした映画に仕上がっている。
有り体に言ってしまえば、家庭内の小さな不幸で各自が破滅するかと思えば最後は元通りの家庭に戻ったというほどの、よくある展開だ。
しかしその底流にはもう中年の時代は終わったという、若者の時代の到来を告げている。もちろんその若者の時代とは父という存在の希薄さの始まりでもある。そういう日本の状況を(今から思えば)楽天的に描いているのだ。
しかしその有り体の物語をひとひねりして、これはゲーテの『ファウスト』をもじって描いている。もちろん大上段に構えてそれをもじったというわけでもなくただ狂言回しに中年の男を惑わせるメフィスト役(船越英二)を立てたというに過ぎない。
それは神出鬼没の謎の部下として登場する。要するに思いつきである。それによってこの作品が喜劇となるわけだ。
保険会社の堅物の次長役の山村聡が50歳間近になって、社内の部下からセクシャルな誘いを受ける。それはヌード写真を撮っている部下だったり、あるいは怪しげなバーをはしごする若い部下だったり、そこで出会ったハイティーンの娘のあどけなさだったりする。
そしてこの若い部下(船越)は彼の心を先取りするがごとくに彼の耳元に次々と誘惑の言葉を投げかけるのだった。
すでに一家の大黒柱としての存在を終え、会社では次長という役職で安定したがそろそろ体に衰えが来はじめた中年の男。
そんな折に娘が年下の学生と結婚したいと言い始め、親の反対を押し切って家を出て同棲してしまう。彼の部下で得体のしれない若い男が、そんな彼の中にある倦怠と欲求を見透かすように、彼の行く先々で彼を「遊び」へと誘惑するのである。
みんなからメフィストフェレスとよばれるこの男は、もちろん彼の中にある無意識の現れである。
バーで知り合った若く幼い少女(雪村いずみ)が舌足らずの言葉で「おじさん」を誘うと彼はコロッとその少女にいかれてしまうのだ。彼は仕事にかこつけて少女と熱海の旅館に泊まるが、そこで欲望に勝てず彼女を押し倒してしまう。が、少女はその意外な行動に驚いて「お嫁にいけません」と口走る。彼は日ごろ娘に嫁入り前の女が云々と説教をしていたこともあり、この言葉ではっと我に返ってしまうのだ。
物語は彼が死ぬのでもなく少女がいなくなるわけでもなく、つまり『ファウスト』でも、アルヌールとギャバンの『ヘッドライト』でもなく、つまりは悲劇ではなくもとの家庭と会社の中に帰っていくという結末で終わる。もちろん娘の結婚にも理解を示すことになる。
つまりは若い男はメフィストなんかではなく福の神だったのだ。なんと日本的な終章ではないか。
山村聡が、頭では分かっているが不器用で優しい父親、という役をよく演じている。

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