『朗らかに歩め』1930年松竹蒲田(サイレント)
小津安二郎 監督
池田忠雄 脚本
清水宏 原案
茂原英雄 撮影
高田稔、川崎弘子、古谷久雄、伊達里子、毛利輝夫、坂本武、鈴木歌子
ヤクザな暮らしをしている兄弟分は、スリや美人局をして遊び暮らしている。兄貴分にははすっぱな恋人がいる。
この兄貴がある日出くわしたつつましやかな女性に一目ぼれするのだ。のちに偶然自分たちが車で引っかけてしまった少女がこの女性の妹だったことで、当の女性と知り合いになった。(何とも非現実な偶然だこと。)彼女は母親と妹の質素な三人暮らしだった。
彼はもう気持ちがそわそわしてしまってヤクザな商売に身が入らなくなる。その結果、仲間内でちょっとしたいざこざを経て、なんと弟分と一緒に「まともな暮らし」を選ぶのである。何とやわなヤクザであろうか。
運よく弟分がある会社の運転手になり、彼はその紹介で窓拭きをすることに決まった。まじめに働いて安定したら、その女性に会おうと決心する。
しかし仲間がまた彼に近づいてきて仕事をしないかとそそのかすが、きっぱりと断った結果、彼は撃たれて傷を負ってしまう。その様子を陰で見ていた彼女が真人間になった彼をいたわって介護をしていると、そこに過去の犯罪で彼を逮捕しに警官がやってきた。
引っ張られていく彼らを彼女は元気で行ってきてねと諭すようにして見送るのだった。何とも明るい感じで会社に送り出すような風を装ってそう言うのだ。
そして期日が来て釈放となり、また兄弟分の二人が彼女に家に戻ってきた。一件落着、よかったよかったで終わる。仕事もないのに先の心配もしないのである。
何のことはない能天気なストーリーだが、そこここに当時の健全を目指す若者たちの様子をちりばめた物語なのである。洋風にかたよった若者が和風の女性に惚れるという道徳律映画とも見れる。秀作というわけではなく、言ってみれば駄作のうちだろう。
『東京の女』1933年松竹キネマ
小津安二郎 監督
野田高梧、池田忠雄 脚本
岡田嘉子、田中絹代、江川宇礼雄、奈良真養
兄妹と姉弟の二組の兄弟がいて、なぜそうなのかはわからないけど親は出てこない。姉弟の方がこの劇の主役である。
弟の学費を稼ぐために仕事のあとに夜の商売をしている姉(岡田嘉子)だが、その秘密を知った弟が、えらそうに姉に恥知らず呼ばわりをするのだ。日本映画にはこういう馬鹿な男を描くことが多いのはなぜだろうか。
その件に関しては一つの考察が必要かもしれない。それはこのパターンがあまりにも多いからである。
その弟の恋人が片方の兄妹の妹で田中絹代である。いつも毅然とした役の多い絹代だがここでは岡田嘉子に完全に食われてしまい、ただの弱々しく平凡な女を演じている。兄が警官であって、おまえの恋人の姉が何かいかがわしい噂がある、などと妹に告げてしまう。この男も馬鹿である。
夜の女にそれほど警官がさぐりを入れるはずはなく、たぶんこれは社会主義者としてのイカガワシサなのだろうな。
当時の岡田の役柄は面白いことに現実の岡田をそのままの姿で描くことの多いのはなぜかのだろうといぶかしく思う。
彼女は社会主義者だった男に惚れていたらしく、その後ロシアに亡命してしまうのだ。『隣の八重ちゃん』でも『生かさぬ仲』でも『東京の宿』でも岡田嘉子はすべて男に弱い、というよりも色気の先んじた女を演じている。
ある意味それだけこういう役柄を演じれるほどこの手の色気のある女優がいなかったのかもしれない。独特の上目使いは生来のものだ。
で、その噂を苦にして弟は自殺してしまう。ここでも「弱い男」というお約束のパターンが出てくる。またか。まったく根性のない男である。
そしてそれを知ったこの姉と恋人は泣きくれるのだった。しかし同じように抱き合って泣くがその涙の意味は、たぶんまったくちがった悲しみだったと思う。
短く単調な映画である。もちろんのこと主役は姉弟なのだが、実際の主役は岡田嘉子と田中絹代なのだった。

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