『シークレットレース』
タイラー・ハミルトン、ダニエル・コイル共著(小学館文庫)
何とも面白い本だった。苦々しくも面白く読んだ。
かつてツールドフランスで7年連続総合優勝を果たしたとされる、アメリカの英雄ランスはとんでもない男だったのだ。あらゆる意味でとんでもない男であった。
彼が岩のような決意で成し遂げたことは、素晴らしい優勝の数々ではなく、とてつもなく狡猾な詐欺だったのだ。彼はまんまと世界をだまし続けていたのだ。
いまさらドーピングをこの世界の(つまりサイクルスポーツの)病巣だといってもだれも驚かないだろう。それほどツールという競技はいわばドーピングが当たり前として通用してしまっているのだ。
しかし、ああドーピングね、と今まで納得してきたほど事は単純ではなかった。ぼくはこの本を読んで改めて驚いてしまったのだ。ドーピングというものは単に個人のパフォーマンスを上げるということではなく、一つの「世界」を形作っているのだった。
そこに入った者は否応なく人を傷つけ支配し蹴落とし騙し人生を破壊し、それでいて平然と嘘をついて黒を白と言いくるめることを学ぶようにさせる、そういう世界なのだった。そういう鉄面皮を堂々とできるものが勝者となる仕組みなのだった。
ランスはそういう技においては群を抜いて人より勝っていたし、それだからこそ7連覇という人間離れしたことができたのだ。
この本はランスの所属していたUSポスタルでのチームメイトだったハミルトンが、当時いったい何があったのかを告白した懺悔録である。
ツールドフランスで各チームが行っていたドーピングの実態と駆け引きが赤裸々に語られている。普通われわれが違法行為と考えているものがこの世界ではどのようにして実在できているのか、そこにハマった選手たちがそれを日常としていながら秘密にするということがどういうことなのか、読んでいるうちに空恐ろしくなるのは、ぼく自身がもしそこにいたらやはりそうしたかもしれないという心持になってしまうことだ。
戦場にいると人を殺すことがもはや悪ではなく、しかもそれを市井の人には内密にするという事実と符合することに、戦慄を覚えるのだ。この本を読んだ時期が日本の「終戦」の時だったことで、ぼくは思いがそちらに飛んでしまったのだ。
かくてランスの7連覇はすべてが剥奪され、自転車競技から永久追放ということになった。英雄から犯罪者に塗り替えられてしまったのだ。ぼくはあたかも終戦時の日本やドイツ国民のような気分になったわけだ。今までの英雄が戦犯となったわけだから。
これを読んでサイクルスポーツから退却するもよし、わかったうえでさらにツールを楽しむもいいと思う。
どちらにせよぼくらは真実を知ることが肝心である。そのうえでやはりすべきことと、してはならないことを考えるべきだとつくづく感じたのだった。
ランス・アームストロングがこれほど密にドーピングと係わっていたとは実際のところ意外であり驚いた。今までにひとが「皆やっているよ」という一言に感じていた軽い気持ちはすっ飛んでしまった。「それ」がこの世界で常識になりいかにして「検査」という網をすり抜けているのかをこれほど克明に具体的に知ってみれば、もう「それは常識だよ」とだけ言っているわけにはいかない。
もはやサイクルスポーツだけでなくプロスポーツというものの見方を考え直さなければいけないのだ。数秒数センチという世界で、莫大な金の動きが変化する場所においては、もはや「ドーピングの世界」を考えないわけにはいかないのだ。
『シークレットレース』。スポーツが好きな人間は、必読の書だ。

0