『安城家の舞踏会』 1947年松竹
吉村公三郎 原作 監督
新藤兼人 脚本
原節子、滝沢修、森雅之、逢初夢子、清水将夫、神田隆、殿山泰司、空あけみ、津島恵子
没落華族の話である。華族とは明治時代に作られた日本製の貴族で80年間存在した。
世の東西を問わずこの手の没落する貴族という設定は多い。それは無為徒食で生きてきた人間が突然世間に放り出されることによる、人間生活のドラマチックな激変という素材が映画にぴったりだからだ。
華族制がなくなり抵当の家屋を売らねばならなくなった安城家の一族が、最後にその屋敷で舞踏会を開く。この一家と抵当権を持つ一家と元運転手だった実業家が三つ巴で争う。それがこの安城家との人間的つながりとかみ合って複雑奇妙なドラマになっている。
悲劇に何やら奇をてらったところがあり、あまりいい出来の映画とは言いがたい。
華族という地位に執着する父親(滝沢修)と上の娘(逢初夢子)、新しい人間として生きようとする下の娘(原節子)、もう投げやりになってしまった息子(森雅之)、彼らの確執が生む家族の崩壊モノである。しかし彼らの殺伐とした生き方が、しだいに下の娘の前向きな生きざまに影響されていく。
それにしても拳銃を取り出して闇屋を殺そうとしたり、それで自殺未遂をしたりの父親の行動はあまりにも突飛すぎる。それに吉村はちょっと息が抜けるようなペーソスを加えるところがないのが、映画を重苦しいだけのものにしている。
これは貴族階級への揶揄なのだから、ただただ末の娘を全的人間に描くだけでは物足りないのだ。そこにちょっとした遊びがなければいけない。原節子の演技にはその資質(ペーソス)があるだけにもったいないではないか。

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