『麦秋』 1951年松竹
小津安二郎 脚本、監督
野田高梧 脚本
厚田雄春 撮影
原節子、笠智衆、淡島千景、三宅邦子、菅井一郎、東山千栄子、杉村春子、佐野周二、二本柳寛
一連の家庭抒情詩を描く小津作品の中では珍しく「ドラマ」がある。
しかし最後は、やはり「みなバラバラになってしまったねえ」という老夫婦のつぶやきで終わるのだが、ぼくはこれを家庭の崩壊とはとらない。どこにでもある家庭の事情なのである。
その中で日頃は見落としてしまうような些末な想い、つまりああこれが人生なのかという思いや、皆だんだんと歳を重ねていくのだなあ、そして思い通りにならないものだ、というため息を小津はすくい取って抒情詩にするのだ。
つまりこれはどこにでもある人生風景なのである。しかしそれをあえて芝居にすることで小津は日常生活というものを映画が描くべき題材として復権させたのである。すべての物事の本質は日常にあると、そう言い切っているようだ。
紀子は28歳ですでに婚期を逃しているがいつもにこやかであっけらかんとしている様子だ。原節子の役どころはいつもそうだ。
結婚には一抹の疑問を抱いている女友達(淡島千景)と大の仲良し。そんな紀子を周囲の家族や友人がやきもきして見ている。
そして兄(笠智衆)から一つの縁談がもたらされるがあまり乗り気ではない、しかも相手は40過ぎの男である。両親(東山千栄子と菅井一郎)もなんだか紀子がかわいそうなどというありさまで、兄の康一はそんな意見を聞くにつけてイライラしているのだった。
だれもが紀子の縁談をめぐって何か一家言をもっているのである。映画は、さあこの結末はどうなのかと見る者に波紋を投げかけるのだ。
ところがである、ある日お付き合いをしている中年女性の息子が秋田へ転勤を余儀なくされて東京を去ることになった。その母にあいさつ回りに行った際、母親がふと、あなたみたいな女性が息子の嫁になってくれたらねェ、と口走ることで、事態は一変するのだ。
紀子は偶然にその言葉をきいて自分の中で何かがはじける経験をするのだ。そしてわたしでよければいいですよと言ってしまう。
偶然の成り行きだったが紀子の想いはここではっきりと自分の運命を決断できるほど確固としたものだったのだ。
このあと彼女は例の女友達と、人を好きになるということについて会話を交わすが、紀子は頑なに好きで結婚したという言葉を否定するのだ。
「紀子」三部作(『晩春』『麦秋』『東京物語』)における原節子がすべて、好き嫌いを超えた地平で人と交わっていく女として描かれていることは小津の映画にとって大切なことだと思う。小津が原節子に託したこの人間観は、たぶん彼自身の想いを多分に含んだ配役だろう。
だれからも愛されながら、映画と心中した男の独白のようである。
紀子はここにおいてまわりの期待をすべて裏切って一瞬のひらめきだけで自分の結婚を決めてしまったのだ。周囲は彼女の決断を理解できない。なぜ子持ちの男になぞ惚れてしまったのかと。しかし見ている者はもうわかっている。そんなものに理由などないことを。
ここでも相手の男については小津は多くを描かないのだ。
この結婚を機に家族は離れて暮らすことになった。紀子は秋田へ、両親は大和へ、兄夫婦と子供は鎌倉で暮らすことになる。
けっして幸せとは縁がなかった老夫婦は、大和に帰って実りの麦畑を背景に、これでも結構良いほうだよ、とつぶやくのだった。

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