『生さぬ仲』 1932年松竹キネマ(サイレント)
成瀬巳喜男 監督
野田高梧 脚本
岡田嘉子、筑波雪子、小島嘉子、葛城文子、岡譲二、結城一朗、阿部正三郎、突貫小僧
この作はこれ以前に何回もリメイク作品がある。10回ほどリメイクされたという人気作だが、のちにちっとも話題に上らないのはなぜだろうか。単に母ものの定型を作ったというだけなのだろうか。
つまりこの映画は母もののひとつだが、生みの母と育ての母との確執物語だ。それに係わる人間がどちらかの側につき、まあ、ドラマとしては単純極まりない子どもの取りっこになるわけである。他愛ない母ものだからこそ一般の受けが良かったのである。
岡田嘉子が子供を産んですぐ外国に行ってしまい、6年たってお金持ちになり、その子を取り返しに来たという設定である。夫の方は会社を切り盛りするうちに破産してしまい全てを失った末に拘置所に収監されてしまう。
残された母子は、今までのように優雅な暮らしを失っても仲良く、辛抱して暮らすのだが、義理の祖母が貧乏はいやだというのだ。そのあげくに金の力で生みの母と共謀して子供をさらってしまう。つまり生みの母、岡田嘉子はどうしたって悪者である。
こんな悲劇にもかかわらず、岡田の弟と舎弟のチンピラがドジなことばかりやって笑いを誘うのが、この結末がハッピーエンドになるという印だ。それは安心して見ていて下さいという作者のサインなのだ。
そしてその通り、我慢して辛さに耐えた育ての母が、義憤に燃えた若い男と子供を取り返しに行き、岡田はあの手この手で誘惑してもなつかない子供に負けてしまう。折もおり収監されていた夫も東京拘置所から帰ってくる。
岡田嘉子は涙ながらにアメリカへと帰っていくのだった。よかったよかった。
しかし元妻の岡田が決してずるい人間でもなく傲慢な人でもないというところが、この映画を単なる醜い子どもの取り合いではない余情を残したものにしている。この人は女性的な感性を持った監督である。
『君と別れて』 1933年松竹キネマ(サイレント)
成瀬巳喜男 原作、脚本、監督
吉川満子、磯野秋雄、水久保澄子、河村黎吉、富士龍子、藤田陽子、突貫小僧、飯田蝶子、新井淳
成瀬のオリジナル作品だ。一人の芸子が姐さんの息子を更生させるために、身を挺して尽くすドラマである。
この芸子の家庭は貧乏人の子沢山なのだが、彼女は意志の強い女でしかも優しい心根を持った女性である。妹を芸者に売ろうとする父親と戦いながら、その修羅場を好きな男にあえて見せることによって、その不甲斐ない男を立ち直らせる。しかも自身は芸者となって売られていくのである。
この芸子を水久保澄子が演じているが、めそめそせず潔い魅力的な女として秀逸だ。それに比べて同年代という設定の相手の男・磯野(芸子の姐さんの子供)はいやに年を食っていてどう見ても学生には見えない。ミスキャストだが、ほかにいなかったのだろうか。この男役をうまくキャスティングすればもっと締まったいい映画になるというのに。残念である。
女の任侠ものという感じで、清々しく、また悲しい物語である。しかしどうも日本映画の秀作はことごとく「ダメ男」が物語の主幹になっていて、見ていて腹の立つことしきりである。
こういう映画、つまりむかしの常識の中での人情を知ることで初めてそのよさの分かる映画のことだが、それを見る時はいったん自分の中の今の常識をリセットしてかかることが必要だ。そうしないと映画がとんでもなくアナクロニズムになってしまうのだ。描かれていることはそうしてリセットした場合と、今の感覚をもって見る場合とではひどく異なっていることがしばしばである。
この映画に関しては、そうやっていちど当時の世界に住んでみる必要があると思う。

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