『パンス・ラビリンス』 2006年メキシコ、スペイン
ギルレ・デル・トロ脚本、監督
イヴァナ・バケロ、セルジ・ロペス、アリアドナ・ヒル、マリベル・ベルドゥ
歴史的現実にファンタジーを絡ませた、面白い企画である。面白いというのはこういう冒険的な企画にもかかわらず作品が破綻していないからである。
現実は酷く悲しい、そしてファンタジーも限りなくダークである。しかし傑作である。
スペインのフランコ政権時代、ゲリラ組織を殲滅しようと山の中に砦を構える。指揮をとるヴィダルは残酷このうえない軍人である。
この指揮官と再婚した女が娘とともにこの砦に移り住むのだが、この娘オフェリアは夢見がちな子で妖精が見えるというのだ。しかしヴィダルにとっては妻が身ごもった男の子、つまり自分の跡継ぎだけが大事であってこの母娘にはひどく冷たいのだ。
母子は暗い砦の中の一室で怯えながら暮らすうちに、オフェリアは次第に妄想の中のファンタジックな世界に入り込んでしまう。
一方ゲリラの弟と連絡をし合っているレジスタンスのスパイがここには二人いる。それがオフェリアたちを世話するまかないのメルセデスという女とこの砦の医者である。
ある日討伐により捕えられたゲリラの一人が酷い拷問にかけられてしまい、医者は彼の苦しみを除くために薬で安楽死させるが、その場を見られてしまうのだ。そしてその医者も殺されメルセデスまでも囚われの身になってしまう。しかし彼女はナイフを使ってかろうじてヴィダルから逃れるが、山中深くで彼女の後を追う軍の騎馬隊に取り囲まれてしまう。もう絶体絶命である。
砦ではオフェリアの母は子供(つまり弟)を産んで死んでしまった。残されたオフェリアはファンタジー王国の使い人(パン)に、弟を連れだして幻想の王国に連れて行くとその子は王子になれる、と言われてそれを実行するのだ。そしてその子を抱えて逃げるのだがやはりヴィダルの手にかかって撃たれてしまい、幻想の国の入り口と思われる深い井戸の傍に倒れてしまった。
さて森の中で取り囲まれたメルセデスだが、彼女が自害しようとしたその時、森からあらわれたゲリラ部隊にあやういところで助けられたのだ。そしてついに彼らが砦を奪い返した。
その後に、ヴィダルがオフェリアから奪った自分の子供を抱えて帰ってくる。しかし彼はゲリラによって処刑されてしまう。
ゲリラたちはオフェリアがいないのを知って、森をさがすと彼女は深い井戸の傍で倒れていた。
彼女はヴィダルによって撃たれ、死の淵をさまよいながらも妄想の力で、妖精たちの国へ行き実の父と死んだ母に会えるのだった。彼女はかすかに微笑みながらその生を終えた。
深い悲しみとやり切れない重い感動が観るものを包んで終わるのだ。
この物語は主だった登場人物がほとんど死んでしまい生き残ったのはメルセデスというまかないの女だけである。それをあえてしたのは現実がこれほど悲惨であるという事実によって、少女の妄想が、つらく悲しい現実を少しでも変えようとしたいじらしいほどの心の欲求の強さだったということを描きたかったからだろう。当然の帰結であるということだ。見るもののやりきれなさを妄想が救うという、この皮肉は当時も今もある、戦争という現実の一側面を表しているのではないだろうか。
驚くべき辛辣な映画である。
これはすべてがリアリズムだ。少女の描く幻想の世界がややもするとファンタジー映画ともとれる。しかし彼女が撃たれて倒れた時、助けにきたファンタジー世界のパンという生き物は、追い詰めた指揮官ヴィダルの目には映らなかったのである。
つまりこの場面で、今まで彼女の行き来していた世界が実は彼女の妄想だったことが明かされるのである。だから少女の命を蘇らせるマジックは起きなかったのである。残念なことだがそれが現実なのだった。

0