『妻は告白する』 1961年 (昭和36年)大映
増村保造監督
若尾文子、川口浩、根上淳、馬淵晴子、小沢栄太郎
自己を全うしようとする女の執念ともいうべき人妻の生きざまである。しかしそれが型どおりの女の生き様なのでがっかりしてしまう。周囲をかためる人物の描き方も型どおりでいささか残念だ。残念というのはこの脚本はかなりいい線をいっているので上手く作れば大人のサスペンスチックなドラマになり得たからである。
若尾文子の演技も底知れぬ自己主張を持った女としてよくできているのだ。ふっと空恐ろしくなるような表情を浮かべるあたりの演技はなかなかうまい。あっけらかんとした人なのか何か心に一物を持った人物なのかよくわからない不思議な女をよく演じているのである。
残念なのはその他の人物の描き方があまりにも類型的で魅力のない人間ばかりなので、ちょっとイラつく場面が多いことだ。とくに男の描き方がヒドイ、単純すぎるのだ。バカな夫はもうどうしようもない人間としてしか描かれていないし、若い恋人川口浩は妙に古臭い考えをもっているだけの青年としか見えない。
この横暴極まりない夫と、この彼女に好意を持つ若い男と三人で登山中に、岩壁で夫婦は宙づりになってしまう。二人を支えている若い男はザイルを確保する力を失っていく。その時、妻はザイルを切って夫を切り離してしまう。もちろん夫は死んでしまうが、この一件で彼女は夫殺しの容疑で裁判にかけられてしまう。当然ながら、三人が遭難しようとしている場面ではこの行為は犯罪ではないと判断され、彼女は無罪を勝ち取る。
しかし、恋仲になったその若い男がどうにもつまらぬ男なのだった。人妻が自由の身になった後もねちねちと、本当にあなたは夫を殺したかったのじゃないかと問い詰めた結果、彼女は自殺してしまう。なんだい、いやに簡単に殺してしまうのね。ここら辺で見ているものに、もしかするとそういうことがあるかもと思わせることもせず、ただ男に絶望してしまっただけ?
もうどうしようもないダメな男二人を描いただけの映画になっちまったじゃん。
だから結局、若尾文子の泣き演技だけを目立たせるだけの映画になってしまっている。増村保造にとってはそれでいいかもしれないが映画としてはもったいないなという印象だ。
『赤い天使』 1966年大映
増村保造監督
若尾文子、芦田伸介、川津祐介
若尾が持ち前の演技をひとつ超えてみせた、めずらしい作品だ。ありていに言ってしまえば汚れ役を演じたということだ。彼女の「持ち前」とはどこかしらっとした、ある意味で計算づくの女のことをいう。赤い天使とは従軍看護婦という中でただ承安の命令だけに服従するといった類の看護婦像を逸脱した、いわば赤い血を持った女性を描いた作品である。若尾が情念に支配された女というところをみごとに演じた画期的な映画だ。
そしてそれがなんと敗戦色濃い大陸中国の日本軍の野戦病院を舞台として演じられる。それまでの戦争ものとはまったくちがう視点からのものなのである。それは日本映画史上まれにみる「らしくない」ものだ。戦争と性のあり方をこのように表現できる監督はそうはいまい。
リアリズムに徹している。それは岡本喜八のリアリズムのように唯の「それらしさ」ではなく、そうであったろうなと思わせるだけの説得力を持ち合わせたリアリズムである。
看護婦・西さくらは前線に派遣される従軍看護婦である。彼女は野戦病院に次々に運ばれてくる戦闘で深い傷を負った兵士を看護する。彼らはほとんどそこで死に、あるいは手足を切断されていく。しかし負傷兵士は故国に帰還することもなく結局当地で死を待つだけなのだ。それは、軍が国民の士気を低下させるような兵士を国へは返さないからだった。命を救われても、とどのつまりその戦地で死んでいくのである。
その矛盾の中で兵士を治療する軍医は精神の平静を保てず、薬で自分を合理化して任務にあたっている。そのために軍医自体がそのモルヒネ注射によって廃人と化していくのだった。
看護婦西は様々な兵士の苦しみを思い、軍医の苦しみを共有する中で、ただ看護活動だけに専念するだけでなく「女としての力」をも同胞に与えてゆくことを決心する。そのさまは狂おしいほどであり健気でもある。こういう赤い血を持った看護婦を若尾が見事に演じきっている。
増田保造監督の渾身の作品だ。こういう映画と『好色一代男』のような妄想娯楽映画を同じように成功させるという離れ業ができる監督なのだった。ちょっと見直しましたね。
しかし見方によってはこれはモーレツ社員そのものという感じもする。時代が時代だけにまさにこうして体を酷使し自虐的に自分を追い込んでいった男の仕事ぶりを見て惚れこんだ女、というこれもモーレツな女性を描いていて、当時を考えると、まさにそうした時代だったなと思うことしばし。
今の若者はせせら笑うだろうが、そうした生き方がリアルな時代だったのである。同時にそうした困ったメンタリティは今でも一部には受け継がれているのである。

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