『桜の園』 1990年日本
中原俊監督
これはこの時代ものとしては珍しく面白かった。すべてにおいて正直な映画だ。そう感じさせるだけの脚本がある。映像の切り取りかたもうまい。
この女子高校の卒業記念には演劇部の『桜の園』が上演されるというのが恒例となっている。という設定でその当日の彼らの身体と心の動きを描いている。
ちょっとした事件(生徒がたばこを吸ったという)がきっかけでその上演が危ぶまれる中で生徒の中にゆらぎが生じる。しかしそこを乗り切って上演の運びとなるのだが、そのいわば「舞台裏」で生徒たちがいかにしていたかという物語だ。しかし上演を実現するためにこれだけの苦労をしました、というストーリーではないのだ。
見る側の憶測を少しずらせたところで少女たちの情念を静かに表現した作品なのだ。その手練手管は見事、いかにも女子高校生というお決まりの構図(つまり泣いたりわめいたりの大騒ぎ)を排して、それでありながら一人一人の人間たちとしての群像をうまく描き切っている。
そこに作為は感じられず、かといってどこにもあるような高校生然とした類型も感じさせない。その微妙なさじ加減がうまい。少女たちのさざ波のような心の移り変わりと、驚くような容姿の変貌が感動的なまでに美しさで迫ってくる。
それに加えてチェホフの『桜の園』のセリフがチラチラと出てくるところが、その舞台衣装と相まって、この戯曲をすでに読んだ者には興味津々である。チェホフの『桜の園』では没落貴族が、去らねばならない屋敷においてもなお贅沢をやめられない情景を淡々と描くのだ。売りに出される自分たちの館と桜の園といわれる庭園を、後代思い出すたびになつかしさがこみあげてくるだろうね、などというセリフが出てくる、いわば貴族のたそがれ時を描いている。
それではたと気付いたが、この『桜の園』においても、少女でありながら、もう卒業したあとに今日の情景を懐かしんでいる自分を見ている少女たち、という構図なのである。それは『桜の園』と二重写しになっているのかもしれない。この映画はそこまで深読みするだけの価値はある映画だ。
上演の行方と、そして仲間の人間関係がどうなるのだろうかという、ちょっとハラハラさせる場面もうまく用意されていて緻密な作りをしている映画だなぁと感じさせる。
この監督が、どうにも救いようのない『12人の優しい日本人』などというつまらぬ映画を撮ったとは、信じがたいことだ。こちらは見るに堪えない映画だった。

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