最近のぼくの傾向は夜のUチューブだ。
始めはテレビの音を聞くのがあまりにもつらいので耳に栓をする目的でイヤホンを当てていたのだった。とにかく今の原発ニュースと津波の災害に関する報道がぼくの気持ちを逆立てるのだ。だから夜、家に帰ってからの数時間はそうしてテレビの音を消していたのである。
きっかけは友人がよくUチューブの画像を送ってくれるのでそれを見て、今の原発の深刻な事態をチェックしていたのだが、そのうちに音楽を聴くことになった。日記を打ち込むときもサッカーのニュースを見るときも音楽が耳を塞いでくれるからだ。
ところがそのうちにUチューブには音楽の貴重な映像がこんなにもアップされていることに驚くことになる。今まで声は聴いてもその姿を知らなかったソウルミュージシャンが動いているのを目にしてびっくりした。これじゃいくら時間があっても足りないと思うほどだ。
危ないなと思う。こうやってPCにはまり込んでしまう人も多かろうと思った。実際こんな簡単に過去の映像をまのあたりにできるなんて、まったく信じられないことだ。
だからこれは一日一時間、などと制限をすることにした。
例えば今日は『ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム』を聴いたのだがサムクックだけじゃない。いろいろな歌手がこれを歌っている。
黒人の彼らがこの歌に込めた思いは尋常ではない。だから彼らがこの歌を歌うときは他の曲とは一味違うパフォーマンスを見せる。ようにぼくには思える。
どういうことかというと、彼らは自分の持ち歌を歌う時とは違った思いをこの歌に込めるのである。この歌は未来を、彼らの行く先を暗示した歌だったからだ。そこには悲しみと怒りとそして希望がない交ぜになった歌詞と旋律がある。これを歌うことはその歴史と未来への予言を口にすることだったのだ。そして今オバマという予想だにしなかった大統領誕生を現実にして、その予言が成就されたことの不可思議さをおぼえていることだろう。
それはまさしく呪術的行為でもあったのだ。歌が本来の命を吹き返したのだ。
だから彼らがこの歌を歌うときは、あるときはじっと遠い過去の一点を見つめるようなまなざしとなり、あるときはモノが憑依したかのごとく声を荒げるのだ。だからその時は普段の彼ではなくなるのである。彼の歌のスタイルを捨ててしまうのだ。歌を歌うのではなく歌の中に入り込んでしまうのだ。歌が彼を凌駕してしまうのである。
それほどこの歌は永遠の強さを持っている。
たぶんどんな時代であってもこの歌は人の心を打つことだろう。それは言ってみれば、それだけ人は不幸と縁の切れない人々をたゆまず生み出していくのだろうということでもある。
悲しいことだが人の心をうつ歌というものはいつだって不幸を糧にして生み出されてきたのだ。

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