夜に録っておいたテレビの映画『ブラッドダイアモンド』という映画を見た。ディカプリオが主演をしている。期待もせずつまらなかったら消してしまおうと思ってみたのだが、なんとも目が覚めるような凄い映画だった。
アフリカのダイアモンド採掘においてその裏組織に翻弄されて黒人同士が殺しあう今の現実を扱ったいわゆる社会派といわれる映画だが、迫力もあり映画としてちゃんと落とすところは落としていて面白い。なんと言っても夜中に目が離せないほど集中してしまったのだから。
ディカプリオがすさんだ心の傭兵くずれを演じている。舞台は現シエラレオネというアフリカの国で、実際内戦でこのようなことが起きただろうことは間違いない。つまりダイアモンドをめぐっての権力争いと殺し合いである。映画はそれを子供が犠牲になって戦いを強いられている現実に焦点を当てて描く。
絵空事ではないので始めに出てくる村が襲撃されていくシーンを見ていて実に辛い。このまま画面を消してしまおうかと思ったほどだ。こんな映像はもうニュース映像だけでたくさんという思いがする。改めて映画でこんな場面を見たくはないと。
しかし、そこはやはり映画なのである。見ているうちにその先の展開を見たくなってしまいつい最後まで見てしまった。画面のリアリズムが辛いところだがストーリーはハラハラさせる映画の肝をつかんでいるということだ。楽しい映画ではない。が、実に面白い映画だ。
これでぼくは改めてシエラレオネという国を知ったわけである。あのアフリカ西海岸の象牙海岸といわれていたところに近い。かつては象牙だったのかと思った。今は金銀ダイアモンドである。いつもアフリカは裕福な白人の身を飾るもののために戦争を強いられているのだ。悔しいではないか。
これを見ていると今世界にあまたある(リベリアなどの)政府軍と反政府軍が村を襲って殺しあう現実が生々しく迫ってくる。子供たちが誘拐されて殺しの道具に仕立てられていく過程がなんとも恐ろしい。こういう現実が今もあるのである。
ぼくはブラッド・ダイアモンド(紛争ダイアモンド)という言葉があり、今国際社会は紛争の原因となるダイア(紛争ダイアモンドを取引することを禁じているということも初めて知った。
ぼくらは、こういう風にアフリカが暗黒の大陸として描かれることに一抹の疑問を持ちながらも、やはりこのように描かれるとついぼくらもそう感じてしまうのだ。アフリカは恐いと。
その意味ではこの映画は、「良い」映画と言っていいものかどうか迷うところである。果たしてどうなのだろうか。
映画の最後にもいまだ解決されない問題である旨のキャプションがつくのだった。またダイアモンドを買う人に対してあんたがこの現実を作ってるんですよと言うあたりはアメリカである。言うだけなら何でも言うさ。
しかし、ダイアが高価なものである限りはこういう紛争はなくならないことも間違いはない。もうそれは貧困が消えることとともに、象牙やダイアや毛皮を持つことが人の恥とならなければだめなのだ。
こう言っていて虚しさを感じるのは、つまりは不可能なことなのだと暗澹と思うからだ。貧困をなくすには今の地球ではこの大型哺乳類(人)は多すぎるのだ。
もう「アメリカ映画」に良いとか悪いとかの言葉はつけたくないがイー映画だったことは確かだ。

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