夜行バスで新島々駅に着き、畳平行きバスに乗り換えているうちに明るくなってきた。朝の涼しさが気持ちいい。眠るどころかがらんとしたバス内であっちへ行ったりこっちへ着たり、初めての景色を見ることでちょっと興奮気味だ。
サルの群れがバスを覗きに集まっている。昼になるとこれほどサルが集まるところは見れないという。次第に高度を増していくバスが乗鞍観光センターに着く。「乗鞍観光センター」という名前は良くぞつけた名前である。あとでわかるがもうこの乗鞍岳という3000メートルを越す日本有数の高山もすっかり観光地なのである。
バスはどんどん高度を上げていってついには畳平という終点駅に着くのだが、そこはなんと海抜2700メートルなのだ。森林限界をゆうに超える高さまでバスが走っているという不自然。そこで人々は自然を満喫するのだそうだ。乗鞍岳の剣が峰(頂上のこと)はすぐそこに見える三つ目の高まりである。頂上を極めるにはたった300メートルを登ればよろしい。
こんな手軽な高所登山はないとウハウハ気分で人は来る。着けばあたり一面の高山植物である。自然はどんな高みにバスが来ようとも自分の分を守って、高さに見合った花をつけるのである。
まったくお手軽な登山だ。だから当然変なのもいる。運動靴やオープンシューズ(サンダル風のやつ)はもちろん、ほとんど空身で登る人たちがわんさといる。一切合財を担いで登っている自分が情けない。
すっかりガレ場は整理され、登山客に混じってその登山道を整備するおじさんたちがいる。ご苦労さんと言いたいが、ちょっと違うんでないのという気もする。お手軽な人たちに合わせて道を造っていいのかしらん。
頂上付近まで来て、もうこの列をなして登るのはかなわんと思い、人の少ないルートを取ろうとしたら「ここは下山道です」と言われた。登山道に一方通行があるんかい!
そして一番高い3026メートルの剣が峰の混雑が並ではない。ここで突き当たりとばかりに人々が居座ってしまって弁当を広げるわけだもの。だってその先にはロープが張られていて(ま、ずっとロープの中を歩いてきたんだけどさ)行き止まりになっている。見張りのおじさんが一歩たりともロープを越えちゃならぬと目を光らせているので誰もロープを越えようとしない。
しかしその先に登山ルートがあるはずなのである。地図ではそうなっているしなぜロープで行き止まりにしているのかわからない。
しかし厳然として越えてはいけないロープが張られている以上だれもその先に行こうとはしない。ぼくはひとつ先の山に登ろうと思っていたのだがやめた。もうほとんどいっせいに注がれる非難の視線が想像されてしまうのだ。
なぜというにその頂上手前で、余りの人の群れにうんざりしてロープの際に座り込んで一服していたときに「監視おやじ」が近づいてきてロープの外に出てはいけない、ついでにタバコもダメと俺に言うのだ。おいおいここは観光地か?とつい口に出そうになったがすでにここは観光地だったのだった。
要するに観光地とは規則が決められている場所のことである。観光客はその規則にしたがって行動しなければいけないのだ。ディズニーランドと同じなのである。そのうち飲食は禁止とか持ち込みは厳禁などという張り紙が出ることだろう。
登山というものはそこに着いた人間が自ら規則を作るのだ。何をしていいのか、何をしてはいけないのかを自分たちで決定するのが登山という行為なのだ。
自分たちで高所までの道路を作って人を集めて、金を稼ぐ為にレストランを作り、その結果自然をすっかり傷つけてしまったその当の本人たちが、自然を壊すからとロープをはり人の行動範囲を制限して「自然保護」とはお笑いである。
「乗鞍岳登山」の帰りは、森林を蛇行して走る舗装道に寸断された元登山道をゆっくりと下ったが、そこは誰も歩いておらず高山植物もロープ越しにではなく足元にじかに見ながらじっくりと観察ができて、よほどこちらのほうが山らしくて良かった。

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