「ローマ人の物語」シリーズのはじめの一冊を読み終わる。何とも詳しい。そして男っぽい文章だ。だけど面白いことは確かだ。
印象に残ったのは、「民主制を遂行するのにその人が民主主義者である必要はない。」って所。
その通り。日本ではその人がやっていることと、そのひとの考えが一致していないといけないってな風潮が強いけど、政治家に関してはそんな事はない。われわれは言行一致などは求めていない。どんな思想を持っていようとやるべきことをやればよろしい。つまり仕事と思想は別個なのだ。まあ、一般的に言えば同じであるほうが判りやすいし説得力があることは確かだが。
例えば、ぼくは世間では「健康」を扱う仕事だと思われている。確かにそうかもしれないが、だからといってぼくが健康である必要も、ぼくが健康法ってやつを実践する必要もないのと同じである。それを混同されやすいのだ。「えっタバコ吸うんですか?」なんてね。
もとい。そして塩野はこの本を書くに当たって、キリスト教普及以前に書かれた元本を読んで資料にしたという。つまりそれはどういうことかというと、キリスト教の理念に影響されていないということだ。
ダンテ(彼はキリスト教以後である)にしてさえその『神曲』において、キリスト教の倫理観に影響されて「異」教徒のギリシャの哲学者たちやローマのカエサルさえも地獄に落とした。
キリスト以降、西洋人はどうもその理念に影響されて歴史を解釈する癖がついてしまっているのである。塩野七生は、だからそれ以前の資料でローマ史を解釈したというわけだ。日本人の彼女としてはそうしてやっとしっくりとした「ローマ」が見えてきたという。まったく納得のいく説明である。
も1つ訳語のことがある。例えば「元老院」などは誰が訳し初めなのか知らないが、どう見ても年寄りの権力者の集団のように思えて仕方ない。カエサルを殺したのが元老院の連中だから尚更である。
ところがこの元老院というのは権力機構ではなく頭脳集団なのだった。何の権力行使手段も持たない政治のブレーンなのだ。そして資格は30以上という若い設定なのである。「元老院」という訳語でぼくらはすっかりだまされてしまったのである。
たった一つの訳語のためにとんでもない誤解をしていることがママあるのが外国の歴史の記述なのだ。これを彼女は必要に応じて書き換えている。もしくはコメントをつけている。
こんなところがこの本が「良い本」だなと思わせる要因になっている。

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