少し前の話だけど、正月だから何となくいいかげんに読めるものが欲しいと思った。それでスティーブン・キングの最近の作『セル』を買った。これどう思う?面白かったかい。
ぼくはキングも想像力が落ちたのか?どうなんだろうと思ってしまった。
セルというのは携帯電話のことだ。そのケータイで通信しようと耳に当てるとその人がゾンビになってしまう、という設定だ。なんじゃそれ!って感じだが理屈はこうだ。
ある信号が電磁波に乗って耳の、というか脳のなかに入る。そうするとその人がとたんにマインドコントロールされておかしくなってしまうんだ。それがなぜゾンビなのかは知らない。きっとキングはそういう設定が好きなんだろう。
それで脳内の記憶を消去されて、まいわゆる本能みたいなものだけがむき出しになりそのゾンビたちは人を襲う凶暴を発揮するということになる。
そうかいそうかいという感じでぼくは読み勧めた。のっけから突然の殺人、それも人が人に噛みついたりして血だらけの惨劇、もう目玉は飛び出し腸ははみ出しといった具合でエゲツナイのも、まキングだもんねと思ったが、どうも文章の切れがないのだ。
だらだらと必然性のない事件が繰り返し起こり、もううんざりする。
ふと彼がリチャード・バックマンという名で書いていた初期の『ロングウォーク』とかいう、ただ歩いてばかりの退屈な小説を思い出した。いやまだそれの方がマシだったような気がする。
本来ならば(上巻)だけで放り出すはずがなぜかぼくは(下)も読んでしまった。それは兎にも角にも結末が知りたかったからだ。
もう少し内容を言うと。その、人をコントロールしてゾンビに変えてしまう犯人はどこぞの組織でもなく計画も目的もはっきりせず、ただ「なぞの男」という個人なのだ。なんだよ。
まったく思いつきでしかない。それが人をコントロールしテレパシーで話をし人の考えを読み取ってしまい人の脳内に入ってその人の言葉をすり替えてしまう。
なんだか今までどっかの小説にあった事柄を後追いしているようで情けない。彼もテレパシーという言葉をどこか恥ずかしげに使っているが、これはまんまテレパシー殺人じゃん。ふっるーい。
キングがこんなつまらぬ作品を書くわけない、と、ぼくはけっこうキング親派なのだった。
読んでいてワクワクしないのは、そんなこともう現実に起きているではないかという思いがよぎってしまうからだ。今のわれわれは確かにテレビというマインドコントロール機械によって自分の考えをかすめ取られているし、ケータイによっていつも誰かに指図されて生きていくようになっている。そして一部はもう怪物になりかかっているではないか。
キングがそれを寓話として小説にしたのならばもっと空恐ろしいことがこの先起こる、そしてその結末は?とぼくは期待して(下)も読んだのである。
しかし、何にも起こらなかった。いや相変わらずゾンビとの対決もので終わってしまったのである。
ほんとにこれって面白い小説なの?どう読めば面白いのだろう、と訊きたいわけだ。
そしてキングって人はなんで面白いのとつまらないのがはっきりしているんだろう。
ま、本人が多重人格ってことだろうけどさ。
読みようによってはこれには一種の皮肉が込められている。もしくは彼自身のニヒリズムかもしれない。
例えば人というものはある抑制機構を外されると非常に攻撃的な動物になってしまうということや(それは正しいと思う)、そうしてゾンビ状態から次第に「進化」してただ操られるだけの空っぽな動物になったとして、それでかえって地球はうまく保たれるかもしれないと言う。すざまじい皮肉だ。
さらに主人公はゾンビと戦うことがはたして「善」なのか、自分がケータイを耳に当てゾンビの仲間入りすることがなぜイケナイコトなのかと自問したりするのである。
でもなぁ、だから面白いとは、やっぱり言えないな。

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