2009.9.21(月) 鉾立へ
7時に起きてにぎりめしを4つ作りコーヒーを入れてポットに詰める。最近はよく自前のおにぎりを作る。もうコンビニのおむすびは飽きた。やはり普通のメシが美味い。
9時12分の新潟行き「とき」の車中でにぎりの朝飯をひとつ。新潟からの乗り換え「ほくと」までの時間はギリギリでそそくさと。いちばん前の一人席に坐る。ここでよく眠った。
酒田はいちど来たことがあるので知っている風景だ。13時20分、駅前のバス停で二人の中年登山客と一緒になり一緒に鉾立まで行くことになった。
このバスは「ブルーライナーバス」という。吹浦まで行きそこからブルーラインに入るのだ。この間けっこう自転車のロードが走っていた。道が狭いのでバスは走りにくそうだ。
客はたったの4人、ぼくはいちばん前に坐って景色を見ていた。
14時35分鉾立の大駐車場に着く。クルマも人もいっぱいだ。驚いた。ここに鉾立山荘がある。さぞ混んでいるだろうと思いきや、ほとんどガラガラ。これにも驚いた。みんなクルマで来ちゃうのだ。
管理人さんは親切でのんびりしていていい感じだ。ここは何でも揃っている。食器のほか鍋釜、ガス台、冷蔵庫、電子レンジまで。寝床は階段式の二段ベッド。素泊まりのみで2000円ほどである。安い。
明るいので展望台まで上がって景色を楽しむ。考えれば絶景が見えたのはこの時だけでこのときに眺めておいて良かったと思う。足元は奈曾川の源流が作る渓谷が見事だ。見上げるとなだらかな山稜に遠く新山の頂上が飛び出している。鳥海山といってもこれは最高点新山と七高山をまとめて言うのだろうと思う。いつも思うことだが、たった数十センチの歩幅を積み重ねてあの高みに至るのだと思うとなにか不思議な気分になるのだ。
夕方から曇り始め雨になった。鳥海の姿は雲で隠れてしまった。
夜になって同室人が一人入ってきて少し話をしたあとは眠ってしまった。
2009.9.22(火) 鳥海山頂上へ
朝から雨が音をたてている。すっかりと霧に包まれたなかを出発。
登山道は整備されている。霧で視界がほとんど無いなかを不安なく歩けるのはこの石畳の登山道のおかげだ。こんな天気のときはありがたいがしかし、天気のときはこれじゃまるで広大な公園内を歩いているようではなかろうかと思う。
雨が大降りになりいっぺんに靴の中に水が入ってきた。袖口からも雨が滲み上がってくる。行程三分の一ほどにある「御浜小屋」に着いたころはもうすっかり濡れ鼠で一時の雨宿りに人びとが寄り集まっている。濡れた靴下やシャツの着替えをしたり早めの昼食をとる者でいっぱい。しかし1時間待っていても雨は止まない。
結局2時間待ってついに出る事にした。すでに管理人のいなくなった料金箱に休憩料を200円放り込んで雨の登山道に戻った。
この御浜小屋のあたりがいちばん風が強い。横殴りに雨が吹き付けるので頬が痛い。よく考えるとあられになっていたのかもしれない。先の小屋で一人が「上はみぞれですよ」と言っていたのを思いだした。それにしてもまったく視界がない。ほとんど足元ばかりを見て歩いている。
登山道に沿ってアザミが多い。みんな同じように首をたれた鳥海アザミで、まるで今のぼくの気分を代弁しているかのようである。
前を歩いている登山者の影が突然現れた。彼らは酒井で会った2人で一足先に御浜小屋を出た人だ。一人で歩くのも心細いし一緒に行くことにした。双方とも頂上小屋で泊まることになっているのでゆっくりと話をしながら歩いた。
「七五三掛」(しめかけと読む)と書かれた杭が霧の中に見え、そこに@と書いてある。後でわかったがこの番号は頂上でIになるように書かれた一つの目安表なのだ。@ABと上がっていても、一体この番号はどこで終わりになるかが分からないのでぼくたちにはまったくが意味なかったわけだが。
晴れていればここから右に火山の外輪コースが見え正面には「千蛇谷」の雪渓が見える絶景のはずだ。ぼくらは見えない頂上に向かってその雪渓を横切りごつごつした岩の登山道を登る。雨が登山道に沿って流れ落ちてきてまるで沢登りをしているようだ。
と、こんな所にカタツムリが出てきた。一匹二匹、黒い岩にへばりついている。踏まれちゃぞまったく。
時間は十分にある。霧のなかにいると平衡感覚が狂う。それでなくとも近頃は夕方になると視点が定まらず、ついふらっとくることが多い。今日は朝からもう夕方かと思うような暗さだった。しかしまだ12時を少し回ったぐらいなのである。真っ昼間に登っているという感覚がまったくない。
下りてきた登山者が道標の番号のなぞを教えてくれた。頂上がIということだ。それで目安ができたわけだが、まだE番である。ぼくらはここで一休みしH番でも最後の休憩をとった。ゆっくりとしたいが早く着いて濡れた足を乾かしたい。なにせ合羽のフードからはひっきりなしの雨音が聞こえる。やっぱり雨の登頂はうれしくはない。
そしてついに小屋が見えた。小屋に着いたら荷を投げ出して「新山」頂上に登るつもりでいたが視界のない岩のかたまりを見るとぞっとしてその気は失せた。とにかく濡れた服を脱いで解放されたい。今日の山歩きはこれで終わった。
事務所で宿泊の手続きを済ませ素泊まり4000円を払った。ここは大物忌神社の分室として造られていて(本殿は吹浦駅近くにある)4・5棟の建物がある。したがって客室は宿泊料とは言わずに参籠料という。それにしても噴火口跡のど真ん中に建てるとは驚いた。
御室小屋は二階造りで中二階の棚が四隅についている。ぼくはその棚に上がった。他人との雑魚寝もいいがきょうは一人で寝たかった。まだストーブは点いてないらしく乾かす手立ては体温しかないときた。仕方ない。それで毛布にくるまって本を読んでいたら眠ってしまった。
夕食のアナウンスが響いて目が覚めた。ぼくは自炊なのでコンロに湯を沸かしてアルファ米を食った。水は外のドラム缶にたまっている雨水を使った。服もザックも水浸しだってのに食うための水がないとは皮肉なものだ。まァそれは承知で、水は飲むだけしか持ってこなかったんだけどね。
時間の余裕があるこんな山小屋泊まりにはコーヒーは欠かせない。一服してコーヒーを口にするとゆるんだ気分が引き締まる。できれば外に出て冷たい空気にあたりたいが雨が全員を山小屋に缶詰にしている。こんな天気でも20名近くが泊まった。やはり人気の山なのである。
2009.9.23(水) 長い下山
翌朝、期待していた天気はのぞめなかった。屋根を叩く雨音が聞こえてひどくがっかりした。
朝飯を食ってぼくは一番最後に出た。まずこの山の最高峰の新山に向かったがこれは山というより小屋の裏にできた火山岩の積み木のようなもので、1メートルもあろうかという大きな岩だけが積み重なったものだ。雨に濡れて黒光りした岩を這うようにして登る。滑る足元の不安感だけでなく、霧の中を一人こんな死の風景にいるとちょっと怖くなる。いまだ崩れきっていない岩が塔になっていて、その狭間を登ったり下ったりしていったいどこが頂上だったのだろうか。
気付くと元の御室小屋の反対側に出てしまった。下る途中で雨が突然強くなりまた小屋の中に飛び込んだ。すると先に出ていた若い4人組が同じく雨宿りをしに戻っていた。まだ8時台だ、慌てることはない。しばらくここで待とうと合羽を脱ぎ食い残した朝飯を腹につめた。
しばらくするとまたぼくは一人になった。小降りになったころを見計らってぼくも出た。
外輪のルートに上がって振り返ると今出た小屋が見えてきた。よくこんな所に小屋を作ったものだと再び思った。噴火口の中だものなぁ、今度いっぱつ喰らったら全部吹き飛んじゃうだろうに、と以前三原山の噴火口を覗き見たときの事を思い出した。その数年後にはその周辺は陰も形もなくなってしまったのだった。溶岩流ですべて消えてしまった。
ふうっと周りの霧が晴れて風景が見えた。昨日登ってきた千蛇谷からの登山道に派手なレインウエアの列が見える。ぼくは伏拝岳の分岐でこの山に別れを告げ南へと下ることにする。
前方にいくつかの雪渓が見え始め傾斜がゆるみ始めると回りは秋の紅葉になっていることがわかった、ダケカンバ、ミヤマハンノキ、ナナカマドなどが黄、緑、赤のモザイク模様を作っている。
川底のようになってしまった登山道の岩の頭を飛び石渡りのようにして歩く。雪渓を二つ渡り、岩の目印を見失わないようにしてジグザクに行くと学生風の男が一人休んでいる。下はこんなに霧が深くなかったので来たのですが・・と迷っている風だった。聞けば四国から来たという。もう行くしかないだろ。
「河原宿小屋」あたりはほとんど水の中を歩いているようで霧も雨も一層ひどくなってきた。小屋を横目に見て通り過ぎたが、ここら辺から地面に土が露出してきてぬかるみとなってくる。岩の表面には苔が着きはじめこれまでの岩の頭を歩くようなわけにはいかない。岩というのは状態によって歩き易くも歩き難くもなる。事態は一層ひどくなったわけである。
「滝の小屋」に寄るつもりだったがやめた。一服しようが靴下を替えようが事態は何も変わらないだろう。
ところがここ「滝の小屋」からの道は良くなかった。小屋の近くまでクルマが入れるようになりこの下の登山道はあまり使われなくなったらしい。荒れている。
人が踏んでない岩は苔だらけ、せっかくのブナ樹林帯の道もトンネルのようになった低木が行く手をさえぎって、たびたび頭を打ちときおり尻餅をつきしばしば落ちる雨粒に悩まされる。足の皮がふやけて豆を作っているのか、痛くなってきた。
ザックは歩くごとに重くなりまるでぼくはキリストを背負ったクリストフォロスのようになっている。こんなところでクマに会っちゃ叶わんと「山のオヤジよ来ないでね〜出てこないでね〜」と声を上げて歌いながら歩いたのだった。
もう道にオオバコが見え、気温が高くなった頃ふと道端に大好きなカメバヒキオコシの群落を見つけたときは、ああ里はもうすぐだと嬉しくなった。
山頂を出てから「家族旅行村」までの5時間20分、いやに長く感じた雨中の下山旅だった。
家族旅行村という所は車で来てみんなで遊ぼうという施設らしい。だだっ広くていったいどこにバス停があるのか分からん。人っ子一人見えず。やっと探し当てたレストランのお姉さんが暇を持て余したのか生来の親切人か、バス停は近くなんですが送りますと車に乗せてくれた。たしかにバス停はほんのすぐそこにあった。
そこには鳥海山荘というご立派な建物があり、温泉客も来ている。ラウンジで休んだがどうも尻が落ち着かない雰囲気である。仕方なく時間つぶしで温泉に入ったが出るときはまた濡れた靴下を履かねばならない。温泉につかってももうひとつすっきりとしない。乾いた服がなければ、濡れた体を温泉に突っ込んでも何が変わろうか。
2時間近くを待ってようやくバスが来た。乗り継いで酒田駅に着いたがまだ雨はやまなかった。

前日、鉾立の展望台から奈曽川渓谷を望む。遠くに鳥海の頂上が。

霧の中から御浜小屋が現れた。しばし雨宿り。

山頂の御室小屋、鳥居に着く。

新山の頂上はここらへんか?でっかい岩ばかり。
火口の外輪に出て新山と御室小屋を振り返る。

下山時に雪渓を二度渡った。

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