朝方に北コリア―サウジ戦があった。生放送でやっていた。
アジア最終予選の最終試合である。Bグループはこの試合で決まる。サウジか北コリアか。
数時間前にイラン−韓国戦が終わっていて、イランは1点を守りきれずに引き分け。これでイランの目は消えた。あと2ポイントが取れなかった。
そのために今夜のサウジ、北コリアの決定戦の様相が変わった。ポイントは同じ、得失点差が2点。たったそれだけ北コリアが有利だった。つまり引き分けでも優勝という目が出てきた。
今回の北コリアは2位を下回ることなく最後まで来た。その意味では今回は絶好の出場チャンスなのだが、相手は4年連続出場しているサウジだ。しかもホームは満員のイスラム勢で、白一色の異様な雰囲気である。北コリアの応援はまったく無いようだ。
どう見てもサウジ有利としか思えない。
試合は予想通りに北コリアの守備優先で始まった。しかしこの自陣に引いた形が何十分もつだろうか。ゴール前を固めた守備がどれだけ機能し続けるか。これが今夜の見どころだった。
ところがである。この片や守備だけ、片や攻撃のみという完全に偏った試合が続くにつれサウジの方がもう、どんだけ攻めりゃいいんだってな顔つきになってきたのだ。
そうなのだ、もう立派としか言いようがないほどの北コリアの守備陣。あんたらは往時のイタリアか?と言いたくなるほど徹底した守備だった。
そして彼らは驚くなかれ90分間ゴール前を固めたまま0−0の引き分けで乗り切ったのである。守って守って守り抜いた。
それよりも不思議だったのは、こういった偏った試合はつまらないかと言うと、意外と面白いのである。何につけても徹底してやり遂げるってことは時としてオモシロさに転化するということなのだった。
しかしぼくは思った。
北コリアがこの引き分け戦法を決めたのはたった数時間前なのだ、と。
なぜならば少し前の韓国―イラン戦があのまま0−1でイラン勝ちとなっていればポイントはイランが上回ってしまい、北コリアは引き分けではダメだったはずだ。
もしそうだったならば北コリアは勝つしかなかったはずなのだ。
つまり数十分前までは、このように守りきるか攻めきって勝つかの二つの選択肢は未だ決定していなかったはずなのである。つまり、このたった数十分間で陣形の徹底がチーム内にできたのである。
考えれば驚きである。
これを、日本は果たしてできるだろうか。これを、かの国は全体主義だからといって済ませられるだろうか。彼らにはどこかもっとポスィティブな「何か」があると言えないだろうか。
ともあれ北コリアはW杯に出ることになった。44年ぶりだそうだ。
今の閉塞状態の北の人々にとって、失ってしまった「楽しみ」が久しぶりに実現するのだ。ほんとにおめでとう。
しかしこの試合をどうも当局は放送しなかったらしい。(某スポーツ専門番組で「北朝鮮はこのニュースを結果だけを放送した」と言っている)
放送していれば、たくさんの国民が抱き合って喜び合っただろうに。
これから当局はこのW杯出場を機会にどうやって政治的に利用するかと手ぐすねをひいている。それでも彼らの出場は、北朝鮮が世界の空気を吸う絶好の機会だと、ぼくは思っている。

5