時は11世紀である。中世真っ只中なのである。キリスト教一色の息もつまりそうな時期にこの往復書簡は書かれた。
ありていに言えば今をときめく神学者と教え子の大恋愛をが「社会的な事件」となったアベラールとエロイーズの物語。恋愛後に彼らがこうむった悲惨と弾圧。アベラールが当時の大神学者だったことで事は大事件となったらしい。
その後別れ別れになりお互いは遠い修道院に収監されてしまう。悲恋なのである。格好の題材でその恋愛譚だけが有名になった。
アベラールはその才能と地位を恨む者たちによって陰茎を切断されるという事態もあり、いやがうえにもその物語は人びとの興味をそそったということだ。
その後15年ばかりたち、エロイーズがアベラールの友人宛書簡を偶然目にしたことで再び手紙のやり取りが始まった。その書簡集がこの本を作っている。
アベラールの居所が分かったことでエロイーズの恋の炎が再燃したかのような第1書簡である。その「愛」の言葉は鮮烈で肉感的だ。これが恋愛を禁じていた牢獄のような修道院で書かれたということに驚く。
「ミサの間にでさえあなたとの事を思い出す」とか「キリストよりもあなたの僕でいたい」とか知的模範的な修道女にはありえないような過激な言葉が並ぶ。これはもう熱烈なラブレターなのである。
その気持ちを分かってかどうか、アベラールの返事は神に仕える者のあるべき姿をとうとうと語るのみ。そこに言いたくても言えない圧力を、読者は行間に感じるかどうか。
ぼくはこれを読んでいてどうしてもホーソンの『緋文字』を思い浮かべてしまう。
こちらは19世紀の、これも実際あった恋愛譚だけど、若い妻が若い修道士との恋の果てに子供をつくってしまい、周りの尋問や追求に対してもいっさい黙秘を貫いて、女の子供と孤独に、しかも毅然として生きていく話である。しかし彼女は夫の追求の中においてさえ、当の恋の相手と森で逢引をするのである。
この二つの物語の間、何と8世紀である。それほどヨーロッパは長い間キリスト教というくびきに繫がれていたのである。ことによると今でもそうかもしれない。
それにしても女の情の強さよ。そして男の何と権威に弱いことか。これもまた今につながっている状況に違いない。
蛇足だけど、このエロイーズという女性の名、どこかエロス(恋の神)に似ていることが事の本質をついていて面白い。

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