ぼくは出会ったのがずいぶん遅かったが、この人の本は面白い。今さらながら歴史を「読む」という面白さを再認識した。
梅原猛は哲学者として、人間とはいったい何かという思想を持っている。その上でそれを軸にした歴史の解釈というものに並々ならぬ自信を持っているようだ。
もひとつ、歴史は今の文化を持ったわれわれが現在の目で遠い昔を見るのではなく、その当時の文化を持った人間としてその現場でそれぞれの事件を考えるという、歴史を読む原則のようなものが彼にはあるということだ。
それは当たり前のことなのかもしれないが、ぼくらはそうする知識も経験もない。
だからわれわれはそういった専門家の著作を読んで想像を膨らませるわけだ。
梅原猛の本が面白いのは、そういった素養が彼には抱負にあるということと、歴史学者のように、書いた本人が著作の前面に出てはいけないというくびきがないからなのだと思う。想像力の飛躍が許されている、というか。
もちろんそれに加えて彼の熱情がなければこうも面白い本は書けないだろうけどさ。
それほどこの『隠された十字架』という本は面白いのだった。
藤原氏という策士に興味がなかろうが聖徳太子を知らなかろうが、何か歴史というものの読み方が変わるキッカケにはなるだろうし、ひとつの読み物として次のページが待ち遠しいという経験をするだろう。
ぼくは夢殿の≪救世観音≫という「仏像」がまったくそれまでのものとは違う、これほどまでに特殊なものだったのかということを初めて知った。
そう言われてみればである。以前この像を見て、どうも薄気味悪い生々しい顔にぞっとしたという経験は、そういうことだったのかと何か腑に落ちる気がしたのだった。救世観音についてはどの本を開いてみても「いいこと」ばかりが書いてあるので、なんだいこんな変な仏像のどこが良いって言うんだい、と思っていたぼくの気持がやっと落ち着いたということだ。
とにかく変な仏像なんだから、この救世観音というのは。
この本を読むと怖いよー、そこら辺のことが。

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