なぜこの大会が今回で打ち止めとなってしまうのか知らないが、どうにもやりきれない気がする。たぶん石原都知事がつぶしたようなものだと認識しているが、本当のところは永遠にわからないのだろう。
ま、これでぼくが現場でマラソンを見ることはこれでおしまいになるだろう。今まで、家からこんな近くで女子マラソンが見れたということを幸いだと思うことにしよう。
その東京国際女子マラソンのフィナーレになる第30回大会が今日行なわれた。
起きた時にもう12時半を過ぎていたので、鈴が森に着いたときはもうトップは過ぎていた。渋井陽子の怪走が見れなかったがあとに続くランナーを見ていて、改めてマラソン競技の感慨深い想いに襲われたのだった。
ここで初めて女性が走ったのだった。世界初の国際女子マラソンはここで30年前に始まった。
実際に見ると、テレビとは違ってほんとに華奢な肉体を持った彼女たち。
どっしりとした存在感溢れるドーレが細身の女の子だとわかった時の驚き。ほとんど折れそうな手足を持ったロサ・モタ。リズ・マッコルガンという妖精。日本人では珍しかったピッタリとしたパンツをはいた谷川真理のきれいな後姿。絞りすぎてピリピリとした緊張感の高橋尚子。千葉真子のすばらしい前傾姿勢。意外と小さかった褐色の肉体を持つロバ。理知的な顔つきのアレム。
だれも過酷な42キロを走りきる女性とは思えぬような、本当に華奢な肉体を持っていた。いや今では、華奢だからこそあれだけのスタミナを持っているのだと納得できる。
雨上がりの道路をひたひたとただ足を進める一般ランナーたち、一個の存在そのもの。各人がかかえている生活の歴史はもうそこにはない。ただ肉体だけが動いている。
ここは20キロ地点を越えた所。もうその顔は何も表わしてはいない。余計な想いを考えるゆとりはすでに失せているころだ。ただ肉体の動きそのもの。
こつこつと歩を刻み、火照った顔をあげる者、下を向いたまま黙々と走る者、息を大きくついてちらと横を向く者、帽子を深くかぶって首をかしげている者、すでにビッコをひいているような者、とつぜん現れた男の胸には「伴走者」とある。
あとからあとからランナーたちが通り過ぎていく。
きりのいいところでぼくはその場を離れた。近くのヨークに入ってテレビを見ると、渋井は独走状態だった。
しかし35キロ過ぎ、彼女の足が鈍り始める。ストライドもピッチも鈍い。しかし、かってのランナーであった解説者の増田も高橋もそれを認めようとしない。今まで褒めちぎっていたランナーがやばいぜとは言えないのだろう。
やはり失速した。渋井の恒例となるか35キロからの失速。でも今日は37・8キロまで持ったから、あと二回ほど走ればいい結果が出るかも。頑張れシブイ。

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