仕事を終えてそそくさと埼玉スタジアムへ。お決まりのゲート前のひと悶着。なぜペットボトルを持ち込んじゃいけないのかと係員と問答。こういうバカな規制とたたかうのもシゴトのうちだ。
そして、またしても腹に据えかねるゲームを見てしまった。なんでこうなのかねまったく。
ワールドカップ最終予選、第2戦。ウズベキスタン戦、1−1の引き分け。
いつだって勝てる相手に、いつだって勝てると思うなよ。
チームの差は歴然としている。そんな相手を叩かなきゃいつ勝つんだ?
ワールドカップ予選というものはそういうものだ。弱い相手は必ず叩く。そして強い相手にはそこそこの勝ち点を取るのが勝ち上がる鉄則なのだ。
本大会に出るためには勝つことだけが肝心なのだ。お披露目の場はここではない。弱い相手と遊んでどうするんだ。
とにかく相手をなめている。いつでも点が取れると勘違いしている。精一杯相手が動いているのにノホホンとゆるいパフォーマンスをしているとこんなことになる。それで後の試合にプレッシャーを与えることで何かを獲得しようとするならまだしも、である。
しかしそんな思いはないだろう。このチームにそんな気概は感じられない。
最高のロケイション(いつもよりいい席を買った)で見えたチームの動きは最低のものだった。かえって悪い動きが手にとるようにわかったって訳だ。
なんでこのチームは必死にやらないのだろうと思ったが、それは試合後に何となくわかった。
観客はこの体たらくなチームにも拍手を送るのだ。そして5万という人が駅への道を塞ぎ、まったく動きの取れないイライラの中でも誰一人としてチームへの癇癪を爆発させる者はいない。かえって嬉しそうにサッカーとは関係のない話をする人のほうが多いのだった。
日本人にとってサッカー見物とは行楽なのだ。
それも良いだろう。決してアルゼンチンの会場のごとく子供づれの女性が入れないほどの熱狂を望んでいるわけではない。
しかしである、仕事を終えた若者がその足で急ぎ会場に来た、その末のこの反応はぼくには理解できない。疲れた体でせっかく見にきた彼らの「優しさ」がぼくにはやるせない。
この優しさが日本チームを強くしない原因のひとつだろうことは確実だ。

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