『ルネサンスと宗教改革』トレルチ著
この古臭い本をまた読んでいる。この本、堅いなあ。そして面白いなあ。
ルネサンスはせいぜい精神的な「自由」を歌い上げたにとどまるという見解である。
それは貴族的であり、働かない者の教養主義に過ぎないと。宗教的な対立や反抗をしたわけではなく、相変わらず権力の庇護の下にしか成り立たないものだった。なぜならば働かない者の「自由」はその活動を貴族階級という権力に頼るしかないものだったから。
しかしその精神は「芸術」において花開き、次の啓蒙主義に受け継がれて決定的に個人の精神的自由を歌い上げたと。
だから社会を変えた決定的な動きはルネサンスではなく「宗教改革」という社会運動だった。社会にとって重要なのは明らかにルネサンスではなく宗教改革だったという。
納得。
非常に歯切れのいい論考ではある。
それにしてもなぜ、宗教「改革」なのだろう。
あれはルターを中心とした「教会分裂」ではないの? 宗教改革はいつの時代でもあったじゃない。決定的にそれが教会を分断したことが歴史的事件だったのではないか?と思うのだが。
つまりは、あれをきっかけにしてキリスト教はカトリックとプロテスタントに分裂した。なぜあれを「宗教改革」と言っているのか、ぼくにはどうもわからない。
そしてこれはいかんとカトリック側も改革をした。それを「反宗教改革」とか「反動宗教改革」とか「対抗宗教改革」だとか、どうも一貫した呼び名がないのもオカシイ。
このあたりに歴史の書き方に混乱があると思うけど・・。
もひとつ、会田雄次の書いた『ルネッサンス』。
河出書房のハード版箱入りの「世界の歴史シリーズ」の一冊。これも古い本だがまったくつまらない本だった。
このところ「世界の歴史」といった本を何冊か読んでいるがこんな自分勝手な本は初めてだ。
なんだろうねこの人は。よく知らないけど。
歴史を「噂」と「常套句」で書いてしまう驚くべき「学者」だ。
あらかじめ自分の中にある解釈に合致する「歴史上のうわさ」ばかりを集めてこの大冊を書き上げてしまった。だから見えてくるのは歴史のドラマではなくて書いた本人の姿ばかり。(書き手の素性を知る上ではいいかもしれない。)
どこまで自己顕示欲が強い人間だろう。
ヨーロッパのある時代を語るのに「例えば信長と秀吉のような関係」だとか、何でも日本の歴史になぞらえて説明してしまう節度のなさ。
こういう人ってどこにもいるが、ひとを理解しようとする時に「そうそう私もそうなの」とか言ってわかったつもりになるあの手合いだ。(女言葉でゴメンな)。相手の言葉(この場合はヨーロッパ人の)を吟味してわかろうとはしない。
ヨーロッパの歴史はヨーロッパの人の言葉をまず尊重しなければいけないだろう。
チューザレボルジアとルクレツィアボルジアの関係を、信長とお市の方の関係と同じようなものだ、という説明(またかよ)を最後にこの本を閉じた。
この本が歴史の本だとはとても思えない。

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