『ガルガンチュア物語』という本に出会った。
何を読んでも目に付くフランソワ・ラブレーという名前。気にはなっていたが、何ともみやびな名前なのでまぁ騎士物語のような恋愛風の作品かと思っていた。とある古本屋で安さに手が出た。そんな騎士物語みたいなもの、まともに買う気はしないもの。
ところがである、買って開いて驚いた。読んでみると予想とはまったく違い、何とこれはとってもお下劣な小説だった。
とっぱじめから話は下半身である。そしてクソだゲロだということになる。まあ困ったものだが、これが中世の宗教の枷(かせ)の中で書かれて読まれたというところに価値があるのかもしれない。飽食と排泄行為、セックス、これを書物であらわすことはご法度だった時代だ。そしてそれはそのまま権威への強烈な揶揄になっている。魔女狩りの盛んな時代においてはまさにそれは薄氷を踏む行為なのだ。
物語はガルガンチュアというとてつもなく巨大赤ちゃんが生まれるところから始まる。当然その両親も巨人なのだが、生まれる時、母親の股間から出てきたものを引っ張ると何か臭い、おかしいと思ったらそれは直腸がひっくり返って出てきた脱腸だった。
で、子宮が中で割れてしまい赤ん坊は体内を通って母親の肩口から飛び出してしまった。(訳がわからん!)ミネルヴァだってユピテルの頭から生まれたんだから(ギリシャ神話)いいじゃないかなんて言うのだ。(そういえば釈迦も女の脇から生まれたことになっていたりする。どこの世界でも股間から生まれることを忌避するのはなぜだろう。)
というような荒唐無稽な出だしなのでどうなることかと思っていると、その後も話はとんでもない話ばかりでいったいこの子はどの程度の大きさなのかも定かでないありさま。じっさい都合によって大きくなったり普通の大きさに描かれたり、ま、いいかげんなのである。
そしてこのとんでもない子供は生まれるやいなや酒を所望したり、牛を何頭も食ったり、小便をすれば川になって人々を溺れさせたり、もうハチャメチャなんである。
すると、食って出すばかりのガルガンチュアは、突然あるときを境にしてなぜか猛勉強を始めるのだ。それであらゆる学問に精通してしまい全国の学者も舌を巻くほどになってしまう。いったい何なんだ!
そのガルガンチュアが今度はパンタグニュエルというやはり巨大な子供を持ち、それからはこの物語は『パンタグニュエル物語』と題名を変えるのだが(おいおい!)、やはりストーリーは荒唐無稽でラブレーの筆の勢いはとどまるところを知らず。併読中のもう一方の『ドン・キホーテ』と一脈を通ずる破天荒の連続なのだった。ただどこまでもお下劣に徹しているところは、「真実一路」なドン・キホーテと一線を画している。
それにしてもフランソワ・ラブレーという上品っぽい名前にまんまと騙されていたのだ、こんな小説だとは!
そして過激なのはそれだけではない。やたらに物事の羅列が多くそれも徹底した羅列が何ページも続いたりして、こんなものをいちいち読んでいる人はいないだろうにと思うのだが。
どうもこういうシツコイ記述はこの時代の流行だったらしく、よくこういった「羅列法」にお目にかかること多し。例えばやはり14世紀の記述を基にした『薔薇の名前』という小説にも最後の方にこの羅列手法が開陳される。
いやはやこんなものを果たして最後まで読みきることができるのだろうか(多分できないだろう)。さすがに辟易としてしまう。

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