ユーロ2008が押し迫ってきた。勝つか負けるか、もう引き分けはない。
といってももう面白いグループリーグは終わってしまったし、決勝トーナメントに入ってすでに3試合が終わった。
今度こそはと期待していた「技」のチームが次々と敗退していくのは何とも悲しいこと。
ポルトガル、オランダ、クロアチアと相次いで消えていった。ま、だからといってドイツトルコ、ロシアに「技」がないわけじゃない。が、どこか技の感触が違う。強引に押していく、勝つための技なのだ。負けていくチームというのは「見せる」技が目立っていたわけだ。
だから勝つためには勝つための技を磨かなきゃいけないということになるのだろうか。どこかそれだけではやはり寂しい。
で、準々決勝で最後にイタリア対スペインが残った時、ぼくは間違いなくこれはイタリアが勝つなと思った。スペインの楽しいサッカーはやはり「負け組み」だろうと。
横になって暗い部屋で真夜中のテレビをつけた。朝までサッカーを見るのはこれで3度目だ。
イタリアはがっちりと守りを固めた。いつ攻めにでるのだろうと思っていたが一向にその気配がない。おいおいいくら「決戦」だといってもそれはないだろう。点を入れなければ次はないんだから。まさかPK戦になるのをを目論んでいるんじゃないだろう。
イタリアというサッカーの伝統はいつからこんな面白くないサッカーになってしまったのだろう。スペイン、フランス、ポルトガルというラテン系の国が楽しいサッカーを目差しているなかでイタリアだけがなぜか勝つだけのサッカーをやっている。
ルネッサンスの時代、ほかの国が何とか国らしい体裁を取り始めたころでもイタリアだけは都市国家が群雄割拠してなかなかまとまらなかった。だからこそ個性的で魅力的な文化が花開いたというのに、そして力よりも何とか上手くすり抜ける術というものを心得ていたというのに、どうしてガチガチのサッカーをやるようになってしまったのだろう。
まあ、それだからといってこの国のサッカーが嫌いではない。回りの国の顔色を伺いながらずる賢くその間を縫うように生きてきた伝統が今のサッカーに現れているといえばそれもそうだと思う。その守り一辺倒の戦いもさすがに堂にいっていると唸らせるほどの、まさに「技」としかいいようのない質の高さなのだ。
しかし、やはりなのである。やはり面白くない。大男のトニがフォワードになって、ただ放り込むだけの攻め手になってしまった。つまらない。
次第にイライラし始めて、さあスペインよ早くそのイタリアのかんぬきをはずしてやれと地団太を何度も踏んだがついに試合は0−0の引き分けに終わった。
PK戦はブッフォンを擁するイタリアにほぼ軍配が上がろうとしていた。3時間の長きを目をこすりつつ起きていたのにこれかいと布団にはいった。
半ば薄目を開けてみていたPK戦、スペインのカシージャスが2本もとめてくれました。思わず布団を蹴っ飛ばしましたね、やったこれで準決勝がいちだんと面白くなる、と。

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