一気に読んだ。
面白いという驚きはなかった。ほぼ期待通りだからだ。だから面白かったわけではある。
書いたのは戸井十月。
今まで硬派な人物のルポを書いてきたが、こんなのもいい。いや実は植木等という人物はある意味で、いたって硬派のひとだった。
青島幸雄に続いて去年植木等が他界して、あとにも先にももうこんな人は出てこないと、月並みだがひとつの時代が終わったと思ったものだ。それで懐かしくなってクレイジーキャッツのCDを何回も聴いていたら、時を得たようにしてこの本が出た。聞けば亡くなる直前に植木等はこのインタビュウを受けたといっている。何かが結び付けたかのようだ。
植木等の、初めで最後のロングインタビュウだ。
大スターは稀有の存在だという意味でも、そして、大スターというものは一人では生まれないという意味においても、この本はわれわれにいろんなことを教えてくれるだろう。
植木等には「品」というものがある。どんなにふざけていても見苦しさがない。
そして押し付けがましい笑いがない。どうだ面白いだろうという笑いの強要がない。
そして、駄洒落がない。(駄洒落というものは素人が遊ぶものだとぼくは思っている。これを玄人がやってはいけない。)クレイジーキャッツは心してこの駄洒落を避けている。さすがだと思う。
忘れちゃいけない彼の歌。植木等の歌は絶品なのだ。
声そのものが「笑って」いるという歌い方。これはだれにも出来ない芸当らしい。彼の「モノマネ」がいないのはそれだけの理由ではなく、「極」まで行っているからそれ以上「らしく」マネをするということができないのだ。ゲージツは爆発なのだ。
ぼくはドリフも見ていたが、クレイジーキャッツは大人向け、ドリフは子供向けのスタンスだった。
ぼくは子供の頃その「おとな」のクレイジーに出合い、大人になって子供向けのドリフに出会った。おもしろいことだ。で、決して下ネタをやらないクレイジーと下ネタの混じったドリフというのも妙なもんだ。そう、クレイジーは決して下ネタもやらなかった。
クレイジーが登場したのは昼間のスポットで流される5分間の「大人の漫画」というやつで、これを見たときはぼくの中で何かがひっくり返ったようだった。それほど、度肝を抜かれたものだった。
植木等は、星だったのだ。

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