旅行直前に決めた列車が急行「能登」だった。
今どき急行の夜行列車があるとは知らなかった。当然指定席など売り切れていたので、仕事の後、上野に一時間も前に行ってホームで並んだ。並んだと言っても、そこには一人しかいなかったので二番目に腰を落ち着けたというべきか。
ぼくのあとに来たのは輪行の若者で、ぼくが「自転車ですね!」といったら蚊の鳴くような声で答えた。それからも少し、迷惑でない程度に自転車の話をしたが、どうも声がよく聞こえない。それほど小さな声で話す人だった。
キャノンデール(自転車のメーカー)のツーリング仕立てである。
彼とずっと話していてなかなか今どきの青年にしては「素朴」だなと感じた。今どきの若者の受けの良い話しぶりじゃない。とつとつと話す、言い換えればじれったいような反応の人だ。
何かのかげんで年のことを言ったら、ぼくの三倍ですねと言ったので、ああそんなに若いのかと思った。大学生とも言ったので「何大学?」と訊いたらまたもや蚊の鳴くような声でトウダイです。と言った。東京大学?と訊くとそうですとちょっと気兼ねしたように言うので、そうだよなぁとぼくも思って、大学を訊かれて東大って言うのはちょっと言い難いでしょと言ったら、そうですねと正直に答えた。それで東大安田講堂の話になって学生運動の話にもなった。彼はそれを聞いてどう思っただろう。
どちらにしてもなかなか感じの良い話しやすい学生だった。
彼は金沢まで行ってそこから大阪まで漕いで行くらしい。ぼくは手前の富山だからそこで別れた。
富山の駅に着いたのは5時過ぎだったからようやく明るくなった頃だ。
ひと眠りしようと思っていたが実はそこからのバスのメモを家に忘れてしまってきたので、どんなバスにどこから乗るのかが分からない。仕方なく家に電話して聞いた。朝っぱらからいい迷惑だといわんばかりの奥さんの対応だった。それでも何とか調べてくれた。
しかし富山駅の鉄道関係者の冷たいこと。バスの出る所を聞いてもウチの会社じゃないので分からないとにべもない。観光バスの出る所などJR関係者だったら知っていようが、凡そどこだ位なぜ言えないのだろうか。おかげで南北の連絡通路を行きつ戻りつすっかり泡を食って2時間を費やしてしまった。どうも意地悪としかいいようのない対応だった。
富山駅北口からのバスに乗ったら眠気が襲ってきた。
気付いたらもう真っ白な山が目の前に見え、高い雪の壁が両側にそそり立っていた。
いよいよ室堂に着いた。こんな所かという感慨だった。バスに乗っているだけでこんな美しい山の麓に着いてしまったわけだ。
目も眩むような白い山山。柔らかい雪をまとった曲線的なライン。いい感じだ。もうすぐこの山の斜面を滑るのかと思うと心が騒ぐ。
雷鳥荘まではけっこうあった。雪の斜面を上り下りして靴の中にとけ始めの雪が入ってしまった。やっと目の前に目当ての雷鳥荘が見えてきたときに、むこうからテレマークスキーでやってくる人間がいてそれが中西さんだった。どうやらぼくが泊まる所まで迎えに来てくれたようだった。
雪の上でコーヒーを入れてくれて再会の儀とした。
室堂、ここは観光地だ。人がわんさと集まっている。だってバスがどんどん人を運んでくるのだから。そして観光地として一級の所でもある。なんせ目の前には北アルプス立山の連峰がぐるりと一望できるのだから。
しかしその山に一歩足を踏み入れるともうそこは観光地ではない。その差たったの30分。
30分斜面を登れば雪崩も滑落もある雪山なのだ。当たり前でいて不思議な気分。
天候は良し、おかげでひと汗かいただけでもう顔がひりひりと焼けてきた。これで足慣らしは終わり、宿に帰って自炊の用意をしよう。
大方の客が出たあとの閑散とした風呂場に入って、あとは眠るだけだ。

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