ニコールキッドマンである。名前は知っていたが見たことがない、と思っていたらあの「アザース」の主演女優だった。まるで同一人物とは思えない。と言うことは、こ奴はもしかして大した役者なんですか?
『誘う女』の彼女はいやったらしい女として出てくる。ホントにこの女優自体が嫌な奴だと思ってしまったほどだ。それほど板についた嫌味な女なのだ。
有名になることだけが生きがいでテレビキャスターを足掛かりにして成り上がろうと一生懸命。日常からしてもう女優気取りだ。
周りからは白い目で見られているがバカな若い亭主(マットディロン)はベタ惚れだ。彼女はそんな周りの状況は意にも介さずただ出世のためにだけ邁進する。そのためには誰でも利用しようとする。
ほとほと嫌な女だがかえってその自己中心主義が徹底していて潔さも感ずる。
彼女にとって家族など眼中にないのだが、亭主をはじめとして回りのものたちは家族のべたっとしたつながりが強固なのだった。
そんなことに嫌気がさしたのか、単に有名になるための工作なのか、彼女は自分の取材対象の落ちこぼれ高校生達を誘惑して亭主を殺害してしまう。
しらっとして見え見えの殺人をやってしまうところで、どうもこの女ホントに一本気だなぁとなぜか惹かれてしまうから不思議だ。
案の定彼女は一切の人々から敵視された揚句に殺人幇助容疑で逮捕されてしまう。もうこのへんで観ているぼくらは知らず知らずのうちに彼女の味方になっていることに気付くのだが、そうやって、観客の気持ちを徐々に180度転換させてしまうところがこの映画の上手いところだ。
それは彼女が別に「良い人」になったからではなく、周りのマイホーム主義の連中がだんだん醜く見えてくるからで、登場人物の何が変わるということでなくこちらの気分を一転させてしまうところが上手い。一心不乱に突き進む人の潔さと家族の甘えきった関係の醜さを描いた映画ともいえよう。
この映画がなぜか奇妙な魅力に満ちているかというと、登場人物がはじめから終わりまでまったく変化しないからだ。ふつうドラマというものは時間とともに登場人物が変化してゆきその変化に同調して観ているぼくらも心が動かされるという手法をとるものだが、そんな定式から逸脱しているからかもしれない。
なにかアンディウォーホールの絵のごとく、そのもの自体はまがい物なのに繰り返し見せられていると不思議な魅力を感じてしまうように、である。
最後に彼女は無罪をまんまと引き寄せるのだが、今度はその家族の策動で殺されてしまうのである。
この結末をどう感じるかでその人の家族観、女性観がいくらか分かるという仕掛けになっている。

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