このごろのぼくの病気は古本買いだ。
仕事が終わるとついふらっと古本屋にチャリを飛ばして100円棚を覗く。すると何かしらああこれは読んでみたかったなと思う本が見つかるのだ。それでつい。
という具合なのである。したがって家にはどんどん本が溜まってしまう事になる。
この読書病ははたして悲しむべきことかそれとも喜ぶべきことか。
一般に読書という趣味は良い事と思われているのだが果たしてどうか。
それで分かったことだが、ずっと以前にいつも本を抱えている人を見ると凄いなあ、読書家だなあなんて思っていたことが思い出されるが実はあれはたいして感心する様なものではなかったということだ。
何か心が虚しいのである。そしてそれを埋めるために手っ取り早く本を読むということになっているのだ。本というものは場所も手間も要らずに読むことができるのだから考えてみれば安直な気分転換の方法なのだ。とりあえずやることが無い時にはうってつけのストレス解消法でもある。
自分が読書病になったら、なぁんだってな事だったのだ。
やることが無いといえば今ほどやることが無い時代はなかったんではないか。いや、これはぼくのみならずなにか社会全体がそんな雰囲気だ。もう何も希望なんかないという時代だ。だから絶望が支配しているかというとそれもない。だからもうすっからかんになーんにもない時代なのだ。
大衆の写し身であるテレビを見れば分かる。ホント何もないことを何とか忘れようとしてあくせくしているようだ。
見方を変えれば、ヒトというものは希望なぞをもって良い事をしたためしが無いということ(歴史)を考えれば今さらそんな事でがっかりする必要もないかもしれない。

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