今「朝顔」、「乙女」まで来た。
当初のこの作品に対する印象は変わらないところもあり変わったところもある。
相変わらず源氏が身分を利用して立ち振る舞っていることは変わらないのだがその中に人間だったらそういう俗っぽいところもあって仕方ないなという思いが入ってきた。かえって好ましいとさえ思うようになってきた、源氏と作者の紫式部が。
どうしても長く付き合っていると一概に嫌いにはなれないということだ。
そんなことより面白いのは紫式部は、この小説を何か現実のルポライターのように書いていることだ。当然うわさ話の、今で言えば女性週刊誌的な読み物として宮中で回し読みされたと思しき箇所がそこここに出ていて興味深い。それをドキュメンタリータッチで、これ以上書いても煩わしいのでやめるとか、私があれこれ言うのも何だから言わないけれど、とか彼女の顔がときどき現れるように書いているのは、紫式部の自己顕示欲なのかこの小説を瑞々しいものにする手なのか、どちらにせよかなり冒険である。
その意味ではどう見ても宮廷をあからさまに揶揄しているような表現も含めて、この物語は命をかけた彼女の一世一代の仕事だったことが伺われるのだ。
ひるがえって橋本治『源氏』は、これは異色だ。源氏に一人称で語らせている。紫式部という作者が消えてしまっているのだ。狂言回しが源氏そのひとになっている。解説を細かくしてさすがおしゃべりの治ちゃんといった感じだ。しかし読んでいて面白いのも確かだろう。こっちはサスペンスである。
どの道『源氏』を研究するわけではないのであっちこっちと飛んで歩いている。円地文子の源氏は柔らかでまどろっこしい。与謝野晶子はぶっきらぼうで男っぽい文体。瀬戸内さんのはどこか捉えどころなし。
ま、こんな印象か。

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