まだ東京に渋柿があるのである。
「無駄な」木という木をもうほとんど切り倒してしまった東京。
大きなケヤキとかイチョウとか、姿の良い木はやはり残しておきたいというのが人情だ。たとえそれが個人の家にあろうが公園にあろうが、周りの住人にとってはいまや貴重な財産だからだ。
ま、人によっては虫がつくから木や草はいらないというのもいる。暗黙の了解としては、反ってそっちのほうが多いかもしれない。そういう暗黙の了解があればこそどんどん木が切られている、というのが本当のところだ。
なんだかんだ言ってもやはり世の中ってモノはすべからく「民意」が反映しているってことなのだ。だからこそ自民党が栄えるというのと一緒なのだ。
だから見栄えの悪い、役に立たない木なんぞはどんどん切られてゆく。
その典型が渋い実しか付けない柿の木で、姿が良いわけでもなく付ける実がシブだとなればさっそく排除の対象になってしまう。カラスの餌になるなんてのも十分にその理由づけになるものな。
もう東京の中ではすっかり消えてしまったと思っていた。
渋柿を焼酎で甘い柿にしたものは毎年親戚から送ってくるので、どっかに渋柿の木はあるんだろう。干し柿もちゃんと売り物になっているのだから、渋柿畑というモノもどこかにあるはずなのだ。しかし柿の畑っていうのは見た事がない。
そんな立場にある、今や忘れ去られたような渋柿の木、それが東京にあるとは思えなかった。
しかもどこかに打ち捨てられたように生えているのではなく、ちゃんと家に植えられているとはね。
膝を痛めて往診に行っていた世田谷の老夫婦の家にそれはあった。
話をしていたら干し柿を作っていると言う。
以前父が家で作ったことがあるのを思い出した。それは何かぶよっとしたヤツで、白い粉も吹いてなくてぼくには美味しいものじゃなかった。東京で作る干し柿なんてこんなものだろうとその時思った。その頃はまだ東京の冬は寒かったが,今はもうこんな暖かくなってしまって、干し柿作りなんて夢のような事だった。
その干し柿を作っていると言うのだ。
食べていく?と言われたが、むかし食ったぶよぶよの干し柿が甦って、まあ味見だけならといった感じで返事をした。出てきた干し柿を見たら白いのか黒いのか分からないほど見栄えが悪く、ありゃりゃ参ったナという物だった。
ところが、食べてみて驚いた。甘いの何の、まるでお菓子のように甘い。店で売っている中国産のヤツなんか及びもしないほど美味い。ぼくにとっては青天の霹靂だった。
がぜん心が動いた。これを作ってみたい!
というわけで、今度は大きなザックを背負って渋柿採りに伺った。
柿の木に登って枝を落とし、カラスの分を残しただけですっかり丸裸にした。Tさん夫婦にとっても喜んで実を落とす人間がいて都合は良かろうと思った。
ほんとに久しぶりで木登りの楽しさを満喫してぼくも大満足だったのだ。しかし、これを88歳になんなんとするオヤジさんがやって来たという事が、どうもすごい事なのだった。
ぼくは100個ばかりをザックに詰め込んで意気揚々と家に帰った。
さあ初めての干し柿作りだ。柿を剥いて吊るすこと33個。この作業も楽しかった。一日やっていても飽きないなあ、こんなことは。
ところで、残りのやつはちょいと熟れ過ぎってことで干し柿にするのは諦めて、「甘柿」作りを試すことにした。
これは35度の焼酎をヘタに振りかけて樽に並べてビニールをかけて密封しておくのだそうだ。ふ〜ん、ほんとにヘタの所に一滴の焼酎をたらしただけで渋柿が甘くなるのかいな、というのが正直な気持ちだ。
これで2週間後、どうなっていたかと言うと、信じられない位おいしい甘柿になっていたのだ。何とも不思議なものだ。自分でやると実際そうなるってことが実感できてこれも、感激する。こんな事があんがい嬉しいものなのだ。
そして干し柿はどうなったかと言うと、まだカビも生えず形も崩れずに軒下にぶら下がっている。
いったいどんな干し柿ができるのか楽しみである。

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