何年か前、皇海山行きで雨の中道に迷って野宿した。それでいつもこの山が気になって仕方ない。日帰りで行けないものかと思っていたところ、東側から林道が深くまで入っている。この林道を利用すると何とか日帰りで山頂に立てそうだ。
この林道は長いダートだとどっかのホームページに書いてあったので、オートバイのダート走と山登りの2本立てで行くことにした。
さて服装はどうしようか。
オートバイのダート走行にはモトクロスパンツとブーツ、それにプロテクター類が必須だ。これを怠って足首を骨折したことがある。今でもその足首を回すとミシミシと何ともいやな音がする。しかし足首を固定するブーツでは山は登れない。考えたあげく足は登山靴、膝と肘にプロテクターをつけることにした。ままよ、ゆっくり行けば何とかなるだろう。
6時に起きて出た。関越の三芳サービスエリアでソバを食い花園インターに8時前には着いた。9時ごろに登山口につけば良いと思っていたが甘かった。初めての一般道は判りにくい。沼田まで高速で行くべきだった。
皇海山の真西に利根村の追貝(おっかい)という所がある。そこから栗原川に沿って上る砂利道はけっこう長く16キロほどでなかなか走り甲斐があった。しかし遅れた上に時間がかかって、痛し痒しだ。結局登山口に着いたのは11時15分、2時間の誤算だった。
登山口にはパーキングエリアがあって、5,6台の車が停まっている。ここから手軽に皇海山を目指そうというわけだ。
ぼくもさっそく余計なプロテクター類を外して身軽になり必要なものだけを持って山に取り付くことにした。派手でごわごわしたモトクロスパンツが何とも山には似合わない。
明るいうちに戻りたいと思って慌てて取り付いたものだからのっけからミスコースをした。初めは沢の向こう側(山に向かって左)に渡るのだったが、赤いリボンが沢の真ん中に1つ付いていたものだから、沢の中の岩上を歩いてコケで滑って水の中に落ちてしまった。(これが後になって困ったことになるのだ。)
沢に沿ってとにかく登る。周りは笹ばかり。花といえば白いシロバナヨメナ(?)と黄色いキオン(?)のみ。林道に咲いていた薄紫のノコンギクとあわせて菊の3態。さすがもう秋なのだった。
笹がうるさく足にまといつく。雨の日にはここには来たくないと思った。皇海山までの中間地点に立派な道標がある。11時50分、30分でここまで来た。ちょっと飛ばし過ぎだ。
しかしここからが沢の中の急登になる。ザレていて歩きにくいし、雨だったらここは通れない。そのあとは林の中の藪漕ぎだ。
12時15分、やっと稜線に出て明るくなる。南に鋸山の見事な姿が見え、なにかホッとした。それほど沢沿い歩きはつまらなかったわけだ。この鋸山に背を向けて北の皇海山への道を行くが、ここがさらに背の高い笹の藪漕ぎになる。うんざり。
まわりの樹がダケカンバからシラビソとコメツガにかわっていた。とにかくどんどん登るまでさ。
12時45分に頂上に着いた。登山口からちょうど1時間半で登った。展望なし。景色が見えたのは稜線のコルと頂上までに1箇所、あわせて2箇所のみ。つまらない山だった。これが百名山である。
眺望がないのでてっぺんではただ握り飯を食べて人と歓談する。10人ばかりいただろうか。若いのが1人庚申山方面から登ってきたと言って疲れ果てていた。あっちから日帰りとはたいしたものだ。
居並ぶ人の声「こんな(展望の無い)所(頂上)じゃ写真を撮るしかないな」「これが名山かよ」「もう二度と来ないから記念写真を撮ってくださいな」「遠くから見ると良い山なんですがねえ」。ああ皇海山もさんざんに言われている。
頂上の印のほかにもう1つ、渡良瀬川源流という碑があった。いつも思うことだが、「源流」とはいったい何をさして言うのだろうか。川というものは山から染み出した水を集めて成り立っているもの。その川(沢)は谷にあるが、つまりは2つの山に囲まれてできた川ではないのか?
するってーと川の源流は両側の山という事になりはしないか?その川がいくつもの山のあいだを通ってくるわけだから、川下の水は無数の頂から流れ来る「源流」の総和なんではなかろーか。つまり、源流は無数にある、とぼくは思うのだ。
ことほどさよう。名山と言い、源流と言う、名前が付いた途端ぼくらは何か勘違いしているような気がする。
下りも同じ道。乗物で来ると山を越えることが出来ない。山歩きの魅力が半減する。
途中展望のある所で、向かいの鋸山の稜線をスケッチする。林内ばかり歩いていると風景が貴重なものに思えてくる。おかしなものだ。ついでに展望のあるもう一ヶ所、コルに下りたところで再び同じ鋸山をスケッチした。同じ山でも高度が違うとこんなに形が違うものなんだ。
これで「風景」とはお別れしてひたすら笹の中を下る。ウエストバッグが飛び跳ねている。
2時35分、駐車場のある登山口に飛び出した。
さあ握り飯を食って今度はバイクのプロテクターをつけエンジンを掛ける。
向うに珍しくオフロードバイクが8,9台停まっている。最近ではこんな光景も珍しくなったもんだ。もう林道はあらかた舗装され若者は手軽なアソビにふけっている。わざわざ山に出かけていって危険な遊びをする者はいなくなった。自然を壊すオートバイというデマ情報をA新聞はじめこぞってやったものだ。その結果もう山でオートバイのエンジンが聞こえることはまれになってしまった。聞こえるのはチェーンソーとブルドーザーの音だけだ。(これは比喩、実際はクルマの音)。
そんなわけで懐かしい友に会った気分で近寄っていくと、驚くなかれその集団はすべて40代から60代の男たちだった。これもまた珍しい光景だった。ふつう若いのが何人かはいるのだが・・。それにしても、泥だらけのオートバイにまたがった土埃にまみれた中年男たちというのも、良いものだ。
下りのダートは来た道とは反対の方向にとった。偶然山で会ったオートバイ好きの人が、この林道は通り抜けれますよと教えてくれたからだ。このダートロードも言う事なしの道で、まったく舗装なし。思い切って飛ばし充分楽しんだ。もう膝がきんきんに悲鳴を上げている。
いやそれだけでなく、左の靴の中の脚が妙に痛くなってきた。歩く時に靴のなかで針金を踏んでいるように痛い。靴を脱いで見ると、膨れ上がった足が登山靴で逃げ場を失いしわだらけになっているのだ!皇海に登り始めの沢に落ちた左足。あの時靴に入った水が足の皮をふやかして伸びた皮が足裏にくい込んできたのだった。
濡れた足は乾かさないといけない、乾いた靴下の予備は必携と肝に銘じた。いや今のぼくの登山靴は少しぴったりしすぎているようだ。どちらにせよ靴紐を緩めることで防げた失敗だった。
ダートが終わり利根村の「根利」という妙な名前の所に出た。
利根という村から利根川の名が出てきたのか?してみればここがいわゆる「源流」なのか?そして根利(ねり?)という地名は何でひっくり返っているのだろうか。調べもせずに想像している訳だがね。
ともかくも山の楽しみは終わった。あとは舗装道を帰るだけだ。まあカーブだらけの舗装道も悪くはないか、最後に遊園地でジェットコースターに乗った気分。ホンダXR400で一気にくだる爽快感である。
秋のはやい帳(とばり)がおりようとしている。 ≪2005.9.19(月)≫

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