私は、今まで生きてきて兄弟がいて良かったと思った事がないと思う。
それは、兄と言う存在が、常に私の幸せを奪っていく存在だったから。
まず頭に思いつくのは、兄の母に対する暴力(家庭内暴力)、大人にになってから気づいたが、これは「面前DV」以外の何物でもなかったと思う。
家族、大切な人が傷つけられていく様子を目の前で見続けなければならない辛さ、家庭が崩壊していく恐怖、自分ではどうすることもできない状況への絶望。
しかも家庭内の出来事は、外の誰にも分からない事だから、子供だった私は、誰にも打ち明けられずたった一人耐えるしかなかった。
こんなギリギリの生活を強いられていても、傍目には、ごくごく普通の家庭に映り、自分は幸せな生活を送っていると思われていたので、そういう意味での苦しさもあった。
また、家庭内暴力をしだす以前に、兄は小さい時から妹の私を支配し、ストレスのはけ口にしていたと思う。
上の子は、下の子に理不尽な事をするもので、支配的なのは、世の常である事は、分かった上で書いているのだが、
色んな人の話を見聞きする中で、兄が私に日々やり続けてきたことは、それとはちがう、陰湿ないじめ(支配)だったと思う。
小さい頃から兄が家にいる事で生きづらさを感じていた。
とにかく兄の目が怖かった。
兄の目は、監視の目だったから。
生活のあらゆる場面で、指示・非難・中傷・嘲笑してくる兄。
支配的な母に、告げ口をし、一緒にタッグを組むように、非難してくるのは、常だった。
暴力も使ってのいじめ・いやがらせ、悪いのは全面的に兄なはずなのに、何故か私の方が親から怒られていた(泣き叫んでいる奴が うるさくて、うっとうしいという理由だったと思う)
兄は、私に、どう振る舞うと追い詰める事が出来るのか、天才的に心得ていて、誰にも気づかれぬよう、陰湿ないじめを繰り返していた。
それは、私が誰にも訴えられず、泣き叫ぶわけにはいかない状況の時に、特に行われていた。
こんな毎日が続くと、いつしか私は兄がいる所では、自分のままに振る舞う事が出来なくなっていった。
心に足かせがついたそんな感じだったと思う。
具体的には、祖母や従妹の前で、兄がいないと心が解放され、いろんな話が出来、楽しく遊ぶ事ができたが、兄がいると、話すことすらまともにできなくなってしまった。
言葉を発しようにも、監視の目が怖く 声すら発せられないそんな感じだったと思う。
日常のささいな事でも、その振る舞いを兄に見られるのが怖い。
兄の前でカップ麺を食べるのも、本を買ってくるのも、料理をするのも すべてに足かせが入り 兄の前では、怖くて恥ずかしくて、まともに何も出来なかった。
そんな状態の中はじまった、兄の家庭内暴力。
私から、すべての幸せ・安心感が奪い去られていく感じだった。
兄がいる場所では、私は私でいれない・・いてはいけない、そんな風でもあった。
私が私でいると、非難、指摘され、誹謗中傷、嘲笑されてしまうから・・・。
家庭を破壊していく暴力の恐怖と相まって、こんな状況で兄がいて良かったと思え、といわれても無理があると思う。
いや とても矛盾した事を書くが、私は 兄をすごく慕い親しんでいた。
子供の頃、兄が部屋から出てくると、私も勉強の手を止め、出てきて遊んでもらおうとしていた。(仲良くできると思って)
でも上記に書いたことが度重なるうちに、私から幸せを奪い去っていく以外の何物でもない存在になってしまった。
毒親がいると、そこは、毒家庭になり、毒家族が生まれ、その時家庭内にいる一番弱い存在の子を追い詰めていきます。
☆現在はカウンセラーとして活動しています。
AC(アダルトチルドレン)のカウンセリングルーム/相談室
私のカウンセリングルームです。
私のメインブログ(兄の家庭内暴力の事、虐待の事、強迫性障害の事 私の人生記録をいろいろ綴ってあります)最近は 日常の話題も多いです
強迫性障害克服体験記 も 書いています。
家庭内暴力のある家に生まれ育ち 今カウンセラーとして/カウンセリングも書いています。
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