そして、
吉川晃司氏が土俵へ。さすがは芸能人。オーラがあった。スーツ姿にサングラス。まさに、モニカ(古?)状態。
桝席から
棟梁の声援。「スーツは家富君と変わんないぞぉ!!」
ありがとう。俺の同志よ。
しかし、その後、「器は、全然ちがうけど!!」と桝席から棟梁の野次が・・。結局そっちか・・(笑)
その後、知人の
針の先生が土俵にあがり、
三遊亭あし歌さんの登場。笑いのプロは何かしてくれるのか?期待したものの、ごく普通にはさみを入れた。あし歌さんは和歌関と兄弟盃をかわしたいわば弟弟子であり、彼もまた兄弟子の背中を見て、真剣なはなむけの気持ちがわいたのだろう。
そして、何と俺の
従兄弟も土俵へ。和歌関のご親族、理事長からはじまり協会関係者が次々と鋏を入れる。
館内が暗くなり、最後の思い出の一番を刈屋アナが実況。敢闘賞を受賞した
平成13年1月の
新入幕朝青龍関戦。勝ったほうが敢闘賞という一番。当時の付け人
奈良光と
越ノ龍は、勝者が三賞受賞ということを緊張しないように関取に隠していたという、有名なエピソードがある。
思い出すだけで感動。当時関取とはまだ面識がなく、テレビで声援していたが、今でも脳裏に鮮明に焼きついている。
知り合ってからもいろいろな思い出がたくさんあるが、
平成14年秋場所千秋楽、
横綱武蔵丸関が
貴乃花関にリベンジを果たし、優勝をした瞬間を取組を終えた
和歌関と国技館の2階席で、
即席応援団を作り、館内貴乃花応援一色の中、声を張り上げて、丸関を応援したのが、何故か印象的に残っている。
師匠の止めバサミも終わり、遂に正真正銘、
和歌乃山から
山分に生まれ変わった瞬間が来たのだ。
土俵を降りる時に館内に手を振る
和歌乃山関。本当に長い間お疲れ様でした。
さて、中学までは坊主にジャージ姿。卒業後、すぐに力士になった親方。今まで洋服とは縁遠かったけれど、引退して約1年。ものすごく、ファッションを楽しんでおられて、周りの一般人もうなるほどお洒落。
髪型も想像以上に似合っていて、噂ではすでに整髪料にも気を使っているとか。
相撲もお洒落も一筋な親方。これからもいろいろ手本とさせていただきます。

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