ラジオは聞いたかな?俺も昨日始めて聞きました。俺以外のメンバーの受け答えは、なかなか笑えて面白かった。まだの人は是非!
今日は、横綱、朝青龍について書きたい。俺のことをよく知っている方々からすれば、「何故、家富が朝青龍なの?」と疑問に思うはず。武蔵川部屋(出羽海一門)好きの俺からすれば、まずありえない出来事。(朝青龍:高砂部屋/高砂一門→最近、相撲ネタの時はマニアックなのでつまらないという読者の声が多い為なるべく注を入れていきます。)しかも、今日は横綱をほめまくる。今日の俺は、武蔵川ファンではなく、大相撲ファンとして話すので、俺の仲間の皆様、どうかご勘弁を。
朝青龍関に初めて接近したのは、いつの時だか忘れたがまだ横綱が取的(関取でない力士)の頃、国技館の西側の通路でふろしきを持った若き朝青龍とすれ違った。たぶん、幕下位だったかと思うがその時にもの凄いオーラを感じた。
話題どおり、いとも簡単に十両に昇進その十両も2場所で通過、新入幕は平成13年の初場所だった。この頃、正直アンチ朝青龍関だった。そして、大関になった頃には「何があっても横綱だけにはなって欲しくない。」とも思った。ところが、実力はすでに横綱級。武双山関、魁皇関、栃東関、千代大海関という先輩大関を簡単に追い越して3場所で横綱になってしまった。
この時、俺は間違いなく来るであろう「朝青龍時代」の幕開けに、「新ヒーロー誕生」なんて喜びとは正反対、「国技大相撲の崩壊」なんて考えていたのだ。大体俺は昔から以外と頑固で、オールド相撲ファンや国技相撲の格式を大事とする一部のマスコミと同意見。
「心・技・体」が備わった力士にしか白い綱は認めたくなかった。この頃の横綱は、土俵内外でさまざまな出来事があった。旭鷲山関との喧嘩騒動やダメ押し、モンゴルでスーツを着たりなどその度に朝青龍関はすべて悪者扱いにされていた。俺も正直この頃朝青龍関を好きか嫌いかの世論では多数派にいたと思う。
しかし、どういうわけか今はかなり好きな力士である。(ファンとまでは言えないが)。これがじょじょに好きになっていくのではなく或る日突然変わった。それは、いつだったか練馬区の光が丘公園でモンゴル祭みたいなイベントが開催され、その時、広場を利用して行われた「モンゴル相撲」のゲストに朝青龍関が参加したあの日からなのである。
この日は、実際のモンゴル力士や留学生が実際に我々の前でモンゴル相撲を披露してくれたのだ。しばらくして、モンゴル力士の登場。朝青龍関をはじめ、朝赤龍関、安馬関などが参加。当然、横綱にはテント下ではあるが、VIP席が用意されていた。しかし、横綱は誰よりも率先して前に出て来られ、ハンドマイクで観客にわかり易く説明をされておられたのだ。しかも、土俵上の険しい顔ではなく、終始慢心の笑顔で。
この笑顔とサービス精神を見たときに俺の横綱に対する見方が180度回転した。この日以降土俵上での横綱のあの厳しい顔つきとあの緊迫した仕切り、そして素晴しい相撲を俺は毎日楽しみに観ている。そして、土俵外での活躍にも感心。ボールドの時もそうだけど、ワンダのCMでもかなり演技派で芸能面でも充分に綱を締めれる実力があるのでは?
さて、まとめるが、だいぶ落ち着いてきてはいるが、負けん気を全面にだす土俵態度はいまだに荒々しさが残り、賛否両論だと思う。
2年前の俺なら「横綱は強いだけではだめ、失格。」なんて言っているに違いない。
現在の俺は、「一番一番に全てを賭ける勝負師の男意気。」と考える。あの光が丘公園やCMで見せる笑顔が、千秋楽の一番を取り終えたあの瞬間にみせる笑顔と同じで、勝負を終えたその瞬間に、横綱朝青龍という闘う男から、ドルゴルスレン・ダグワドルジというモンゴルから来た一人の普通の成年に変わるのだ。
「土俵上は厳しい人だけど、本当はいい人なんだよ。」ではなく、「いい人なんだけど土俵上は厳しい人なんだよ。」という見方をすれば、横綱の勝負師としてのかっこ良さがご理解頂けるはずである。

0