只今、思春期真っ只、そして10年目にして私の愛情不足のため、全てが体調不良にまわり、休憩中の娘が突然言い出しました。
先日の大阪の事故。
『あの被害者の方達は、どこに怒りをぶつければいいの?
だって、加害者は病気だったのだから、不可抗力のようなものよね。ぶつける場所のない悔しさ、悲しみ、怒りをどうするのだろう……』と。
彼女はやはり被害者遺族なのだと改めて思った。
いつも、そういう目線で物事を見ているのだと……。
今日の新聞に、さいたま地裁で、『忘れられる権利』が認定されたと大きく出ていました。
ネット検索で、自身の逮捕に関する記事の削除を求めたもの。
「犯罪の性質にもよるが、ある程度の期間経過後は過去の犯罪を社会から『忘れられる権利』がある」と判断した。そうだ。
私は、娘に質問してみた。
「どう思う?」
『駄目でしょ!』
犯罪を犯した事実は消えない、消さない方がいいと。
私と同じ思いだった。
試しに主人にも……
答えは同じ。
私たちが被害者遺族だからなのだろうか?
そうであれば、私たちは一生、公平な判断は出来ないことになる。
『犯罪の性質』がどうであれ、犯罪を犯したものは、一生それを背負っていきていくべきだと思ってしまう。
やはり、私たちは普通ではないのだろうか。