2019/5/4

パトリック・メルローズ  ベネディクト・カンバーバッチ

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ベネディクト・カンバーバッチ主演、2018年年末に日本で放送されたこのドラマをやっと見ることができました。

イギリス上流階級が舞台、ベネさんは酒とドラッグに溺れるプレイボーイ

・・・という設定を読んでこれはベネさんにふさわしい久しぶりにスリリングな作品!と期待していたので、

親切な知人が録画して貸してくれた円盤の第1話を早速見てみました

が、

あれ?確かに上流階級の若き青年らしきイギリス人が細身のスーツでNYの高級ホテルに駆け付けている、父親がその地で亡くなったため位牌を引き取りに来たと・・・

しかし青年パトリックは酒&ドラッグ漬けのジャンキーなためまともにカッコイイ姿が映らない。ムムム。

そして第2話、パトリックの幼少時代の回想シーン。フランス/プロヴァンスでの家族と友人たちとの田舎ライフに移ると、

パトリック少年は遊び友達もなし、異常なまでに威圧感のある没落貴族の父、富裕なアメリカ人の母、お手伝いさんと父の取り巻き同類のゲストたちとのミニミニ社交界で父親に怯えながら過ごしている。

長じたパトリック青年は、NYのホテルの部屋で父の遺骨が入った頑丈な箱をたたき割ろうとパニクったくらい父親を憎んでいるのだが、

幼少時代の数年間、実の父親によってレイプし続けられていたのだった。

ここで私が思い出したのは萩尾望都の「残酷な神が支配する」。あれの父親も不気味で怖かったけれど、親に性虐待を受ける程こそ恐ろしいものはない。親は生活の糧だから逃げ出せないし、外部に助けを求めようとも誰も子供の言うことは信用しないし。

母親は一見優しかったけれど、子供より自分が可愛いく他の男と家を出てしまった。

パトリックの酒とドラッグは父親の恐怖から逃避するため正気を失う手段だった。


前半は、かっこいいベネディクトさんは見られないし、上流階級の連中は男も女も特権意識ばかり強くて悪魔な性格、豪華なお屋敷もちっともステキに見えないし、何にも見たいものを見せてもらえなく「このドラマ最後まで見れないかも」という気持ちがよぎった。

何よりも上流階級の憎らしさっぷりが半端なく、「ライオット・クラブ」(オックスフォード大学の有産階級の自堕落ダメダメ兄ちゃん達のいじめっ子クラブ)の長じた姿を見たという感じ。ダウントンアビーのように民を大切にして領地に責任感を持つような人間は残っておらず、もう資産も残り少なく生活をアメリカ人の妻に頼ってるのに平民を見下している。

私は今までなんだかんだ言って王室ドラマを初めとして上流階級が出てくるクリスティものとか、イギリスちょっと昔の話が大好きだった。

しかしこのドラマを見てそういう気持ちが生まれてはじめて吹っ飛んでしまいました。

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アメリカ人妻たち

しかし中後半に、パトリックの薬物アルコール依存が、虐待した父と助けてくれなかった母の呪いであるとわかってからドラマとしての面白さが倍速に!!!

ネタバレしますが、

結局何度も失敗しながら、パトリックは



呪いを解きます。ずっと言えなかった父親への言葉を、自分が虐待された年齢の自分の子供を持つようになってからという長い長い年月をかけて。

とても良かったです。


子供と親の関係って、親が親であるだけで圧倒的に強いので、反抗はとても難しいんです。子供が大人になっても親との関係はただスライドしていくだけで、子供は親と喧嘩したくないから自分の言葉は飲み込んでしまう。

私自身もそうで、自分の本当の安堵は親がいなくなるまでないのでは?と思ったことが何度もありそしてそのことで罪悪感に苛まされる。

でもパトリックの子供時代の姿が、穏やかに本当の自分の気持ちを父親に聞かせたラストシーンが、こんな方法があったのか?!と救われたような安堵感をもたらしてくれました。


立場をかえて、私自身も親なのですが、自分が子供の頃に大人を冷静に見ていた子供だったので、子供を育てるのになるべく子供を「小さな大人」として接するようにしました。
つまり子供だましは通用しないという前提で。

それでも折に触れて子供に「こう言うことを言われて嫌だった」と私の発言に傷ついたことを聞かされたこともあります。子供って大人の深く考えてない一言で傷つくんです。

子供に呪いをかけないために、親は子供を否定せず言いたいことは自分がお手本となって示すしかないんじゃないかな、あとはその子供を大切に思っていることを伝えて自己肯定感をしっかりと身につけさせれば、あとはその子が自力でやっていけるのでは・・・

とパトリックを見てつらつら考えたのでした。

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2019/4/27

アベンジャーズ/エンドゲーム  ベネディクト・カンバーバッチ

3時間越えの長編のせいではなく、前夜に前編のインフィニティー・ウォーを復習して、よく眠れないまま朝8:50の回に臨んだ私が悪いんですが、

午前中いっぱいをエンドゲームし、午後以降は頭痛腹痛で寝ていたため、映画を切れ切れにしか覚えていません!!

し、しかし、スタートのタイミングで1度感想を書いておきたいです。

他の賢い方々の深い考察などを読む前の自分の感想は自分だけのものなので大切にしたいから。

ネタバレしますから、NGな方はこれから下は避けてくださいね

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もうこのポスターが物語っていますが、今までの数々のヒーロー映画&アベンジャーズの総集完結編、という普通に考えたら無茶なことを本当にやりのけたんですよね。

まず、それはすごい、3時間はかかるよ、そりゃ!

宇宙に散らばる6つのインフィニティー・ストーンのそれぞれををめぐる物語が1話完結の映画としてこの10年間にリリースされ、そのすべての背後でサノスが狙っていたという布石が一気に回収されるのですものね!

しかし、その大ボス=サノスが姿を現さなかったIW以前まではまだ私はこのシリーズをかなりかなり楽しめた。

それが、もうサノスのすべてが気に入らない私にとってIWとEGは好きなキャラクターが登場している間はワクワク、サノスと戦闘部隊が登場するとスクリーンに焦点を合わせたくない苦痛の時間になるのですから複雑。

そのルックスもさながら(スターロードが初対面で言ったセリフが忘れられないよぅ)大真面目に世の中のことを考えてる万能オーラが現実の政治家みたいで嫌なんですよ!まあ、「ウソはつかない」ってとこだけは政治家と違って好きですけど。

あと、もともとマーベルコミックは「ヒーロー物=戦闘物」という前提からして仕方ないんですが、大決戦の大群のぶつかる肉弾戦も我慢ならない。宇宙での戦闘だと嫌悪感はないのに、おそらく、ホビットでもそうでしたが、悪役軍の醜いモンスターが大量にスクリーンに溢れるのが生理的に苦手!

・・・ああ、苦しかった思いを文字にしただけでかなり胸が軽くなりました♪

そのふたつを除いては、気がついたらほとんど見た(ハルク以外)マーベル映画のヒーローたちがこれでもかこれでもかと絢爛豪華に登場するアベンジャーズは、スペクタクルショー、80年代のライブエイドのようなスターフェスでした。

上のポスター、よく見ると大好きなガーディアンズがちゃんと全員入ってるんですよね!実はサノスの顔がないこの画像気に入って選んだのですが、そのせいで右上のストレンジ先生と左上の大好きなヴィジョンも切れちゃったんです。でもパワーが絶大のそのお二方よりも前方で大きく描かれてるガーディアンズ、特にロケットの出番が多かったのは嬉しかったです。マンティスなんて肉弾戦でサノスの首にまたがってましたからね!

ガーディアンズの存在が大きいのは、マーベル作品の中で異色なはみ出しっ子な位置なのに、そのキャラのガモーラとネビュラがサノスの娘ということもあるでしょうか。

ソーは3の笑えるキャラをだいぶ引きずっていて、タイカ監督が声をやってるお笑いキャラもちゃんと出演してたのには顔がほころびましたが、あの3でのタイカ監督の絶妙なお笑いセンスと違い、EGでのソーは笑えない痛さが辛かった。3ではダメキャラにはならず尊厳があったのに。。。

これまでのシリーズの2本柱、アイアンマン/トニーとキャプテン・アメリカ/スティーヴ・ロジャースの物語はここで収束しました。

収束するのにアントマンの量子の世界が必要だったわけですが、

では、IWのラストでたったひとつの可能性のためにストレンジ先生が石を差し出さなくてはならない理由はなんだったの?

粒子の世界の時間とは無関係なのか?

どうも寝込んだせいかそこがつながりません。

インフィニティーストーンの元あった時と場所に戻る旅は、マーベルシリーズを見てきたファンへのプレゼントのようでしたね。

特にガーディアンズのオープニングシーンでスターロードが踊るシーンは大好きです♪

見てた最中は、量子のタイムトラベルで1970年に戻ったトニーがハワード父さんが自分の誕生をそれは楽しみにしている姿に出会い、子供を持った父として自分の父を見るシーンに感動したのですが、

彼は親との確執も解決して娘も得た幸せな息子/パパとして人生を終えたけど、ペッパー・ポッツは都合のいい秘書から妻のまま。なんか水木しげるの奥さんみたいで、マーベルの世界の女性として違和感たっぷり。

それに比べて、聖人君子として世の中につくしてきたキャプテン・アメリカが最後の最後に自分の人生を選んだというのが大きな救いでした。このシーンで全てが救われました。

今思いつくことはこんなものでしょうか。

また少し時間をおいてサノス軍団を見る勇気が出たら劇場へ戻りたいですが、できればそこはカットして見られる環境がいいです。
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2019/1/2

グリンチ 字幕版  ベネディクト・カンバーバッチ

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もともと日本では吹き替え版をメインに公開が始まりましたが、クリスマスを過ぎたらますます字幕版がなりもう見られないかと思いましたが、

劇場案内一覧表をよーーーーーく見つめたら、地味に(字幕)という字が紛れてました!

さっそくお正月から行き慣れない池袋まで頑張りました。

ベネさんの演技力が発揮されるであろう「ひねくれ者」グリンチを楽しみに。

・・・しかしひねくれ具合は、今までの役(シャーロックとかね)ですっかり慣れていたせいか、どこがひねくれているのかさっぱりピンとこない、というのが正直な感想です。

しかしそれは設定のせいだしベネさんの役の解釈ではないでしょうけど、この子供向けアニメの主役ということで、ベネパパの顔が前面に出てるんだな〜と思います。

しかもイルミネーション作品なので、モンスターであるグリンチの醜さをあまり感じません。

多分、アメリカではクリスマス・キャロルのスクルージのようなキャラとして、みんなが知っている前提の映画なのだな、とネットで調べてわかりました。ジム・キャリーが苦手なので実写版も見たことがなかったので、画像を検索してその実写版の気持ち悪さ、恐ろしさにおののきました。

グリンチの心を改めさせる少女の心も見上げた清らかさなのですが、私が一番心を奪われたのは、グリンチの飼い犬、忠犬マックスです!

マックスと一緒なのにグリンチは自分がひとりぼっちと思ってるなんてマックスに失礼じゃないかとさえ思いました。

ダウントンアビーの使用人部屋のように、グリンチが呼び鈴をならした場所がマックスにわかるようになっていて、かいがいしくコーヒーを運んでいくんですよ。1匹で執事と従者と下男を兼ねて働いています。

そしてグリンチの悪巧みでも飼い主にそれは忠実に助けるんですね、ああマックス!!

とはいえ、クリスマスディナーに招待されたグリンチが心を入れ替えたというスピーチをするシーンでは、(ずっと孤独だった人がこんなスピーチいきなりできないよな)(ベネさんがキッズに読み聞かせる姿が目に浮かぶな)と大人の冷めた見方をしつつも同時に不覚にも涙が出てしまいました。

ところで、グリンチってタータンチェックのガウンが可愛いんですよね。

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それを見て、アパレルメーカーがこのようなグリンチデザインを出したのがようやく理解できました。

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そうそう、グリンチの住む村って、WHO(フー)っていうんですよね。何か意味があるのかな。
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2018/4/28

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー  ベネディクト・カンバーバッチ

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マーベルさんの全世界同時公開という粋な計らいに従ってファンみんなが驚いた方がいいと私も思うので、ここから下は、もうご覧になった方かネタバレ大好きさん限定でお読みくださいね。

ラスト5分を見るまでの私の感想は、

「ブラボー!神兄弟も、ストレンジ先生も、社長と高校生も、特別かっこいいと思ったことなかったキャプテンお髭似合う、ヴィジョン肌色できてる、大好きなスター・ロードはメイク厚くない?というほどお肌ツルツルピカピカでみんなかっこいいわ〜〜!スター競演ってバレエのガラ公演*と同じ!!!」でした。

*
元はフランス語で「特別な催し」「社交界のお祭り」の意。従ってバレエ・ガラといえば特別バレエ公演。大勢のスター・ダンサーが競演し、それぞれソロやパ・ド・ドゥを披露する。(鈴木晶 舞踊評論家 / 2008年)


それぞれのソロ映画でのヒーロー同士の初対面や再会の会話が宝塚レビューのように華やかでした。

ソーに対抗意識ビシバシのピーター・クイルを冷静に解説するマンティスの「ほらまた!」というトドメ
そのふたりの家庭内ドロドロ自慢合戦
キャップとソーの髭と髪型褒め合い
フキダシ「僕はグルート」「僕はスティーブ・ロジャース」


プロモーションでやたらと「最強の終わり」「アベンジャーズは最後」「終わり」と言われ続け、まずオープニングから「いつもの勢いのいいあの音楽がない」ってことで「最後は違うな」といちいち着地態勢を整えていたというのにです!まんまとそのつもりで見ていて、最初にコロッと姿を消したロキちゃんがいったいいつ駆けつけるのか、「NOOOOO!!!」と出渋ってたハルクがいったいいつスクリーンを緑で埋めるのか、と楽しみに待っていたら、この仕打ち・・・・・

ポカーーンとしたままエンドクレジットを眺めて、

いつもの通り最後の最後に「returns」の文字を見たときの喜びと「なんですってえええええッェェ?!」が入り混じってこみ上げる感情!!

この落とし前をつけていただくには「最後」の「次」を作るというおつもりでしょうか、マーベルさんっっっ!?!





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2017/10/8


ひとつ前に書いた通り、久々にBBCが見られたので、原作小説を読んで気に入り楽しみにしていた「THE CHILD IN TIME」をやっと見られました。

小説の邦題は「時間の中の子供」で感想はこちら → 

ではドラマの感想行きます。ちょっとネタバレなしには書きにくいので、バレますので、避けている方はここまでね。



まず、私には珍しく原作を読んでいるので、どうしても違いに注目してしまいました。

90分のドラマ化のせいか、それとも文学の映像化だとどうしてもそうなるのか、単純化されていました。

主人公スティーヴンの両親の若い頃の話や、親友チャールズと首相の関係など。この2つはなかなか面白かったので、スティーヴンと奥さんの心と関係に焦点を絞った結果でしょうがちと残念です。

それと小説では違っていたと思うラストシーン、何で奥さんは出産の日までスティーヴンに子供のことを黙っていたのかわかりませんでした。

ドラマ的には文字どおりドラマチックでしたが、電話で分娩室に呼ぶってひどくないですか?!奥さんは第二子の妊娠で幸せが戻りつつあったであろう9ヶ月間、スティーヴンは奥さんの心配もしていたはず。何なのあの奥さん???

それと小説で私が感じたキャラクターとドラマの違いも。

スティーヴンは、小説だと心がもっとナヨナヨとナイーブかつ思考は冴えてる感じでしたが、ベネディクトさんのスティーヴンはもっとしっかりしている感じに見えました。彼がプライベートでしっかり旦那さん&パパをやっていそうなのでつい投影したのかもしれません。

チャールズの方も小説の方がもっと魅力的なキャラで、ドラマだとあまり人格を感じられませんでした。

やはり、文章だと感情と思考が長々と綴ってあるので内面が具体的にわかるけれど、ドラマだと映像に気を取られて、住んでいる家や町の様子に注目してしまい人物を(小説に比べ)表面的にしか理解できないです。

チャールズの死に方も小説では雪の降る日で映像的な描写だったのですが、ドラマではかなりストレートでショッキングな感じになっていました。

この2人の男性の奥さんたちは小説の印象と違いが少なかったです。でもスティーヴンの奥さんジュリーはドラマの方がかわいらしかったです。女優さんのルックスや話し方のせいかな。

それとスティーヴン夫妻の心のロスについて、小説を読んだ時の私はスティーヴンの世の中に対する態度が鬱屈すぎると書いていたんですね。

しかし、人間は、感情に耐え切れないほどのストレスがかかると、論理的な思考ができなくなる、という体験を私自身が仕事を通してしたばかりだったので、今ならスティーヴンやジュリーが身動き取れなくなることがよく理解できます。

ドラマにしろ小説にしろ、何かの作品を味わうということは、受け手の知識だけでなく体験によっても変わるんだなあと実感しました。

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