2016/7/20

The Crucible 感想  ベン・ウィショー

The Crucible at Walter Kerr Theatre
219 West 48th Street, New York, NY 10036
Preview
Mar 01, 2016
Opening
Mar 31, 2016
Closing
Jul 17, 2016

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開演8時前の空

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入り口

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舞台の右上 外からはこんなクラシックな劇場とは思えない

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左上


7/16の夜と7/17の昼(千秋楽)を見ました。チケットを買った時、最終日ははすでに前中央は売り切れていて後ろ寄り中央になってしまい、前日の夜は3列目中央があったのでそれも、計2枚を買いました。

結果は大正解、この劇場は大きい割にステージと客席が近く、3列目からは俳優さんたちの表情から衣装の素材感まで見えたからです。そして翌日後ろから舞台全体を冷静に(時差ボケ睡魔と闘いながら)。


原作あらすじ:舞台は1692年。マサチューセッツ州セイラム。

(ハヤカワ演劇文庫「るつぼ」の裏表紙より)
実直な農夫プロクターは召使いの少女アビゲイルと一夜の関係を持ってしまう。少女はプロクターを我がものにすべく、神の名のもとに彼の妻を「魔女」として告発。折しも村人の悪魔憑きへの恐怖や日頃の相互不信と相まって、村には壮絶な魔女狩りの嵐が吹き荒れる・・・



という集団による生贄の偽装と排斥という大変に重いテーマのお話です。原作の邦訳を読んでまず、学校でのいじめにそっくりだな、と思いました。そしたら今回のイーヴォ・ヴァン・ホヴ監督版は舞台装置が学校!

黒板が奥に設置されて、左手は一面ガラス窓、右手にドアがあり人工的な光に照らされた小さなホールとそのまた向こうへのドアがガラス越しに透けて見えるセット。この場で全てが演じられました。ということは、学校が舞台というのではなく、閉所の象徴としての教室かと思われます。町が、制服を着た女子校生の魔法にかかってしまった世界として描かれたのかと思うと、演出のいくつかが腑に落ちます。例えば黒板には木々の絵がチョークで書かれていて、それがある時にはプロジェクションで動画になり、ファンタジーのようなキラキラした世界になるのです。それから女の子が宙に浮くのも、ある批評では「怪奇現象が実際に起こったように観客に思わせる」とありましたが、あれも魔法が客席まで広がったことを視界で訴え、セイラムの住人には少女が飛んだという噂も立ったであろうと思わせました。

キラキラしていたのは音楽もそうで、フィリップ・グラスと言えば無機質でちょっとリリカルなイメージでしたが、本作ではリリカルな部分が相当に膨らんで美しい音でした。

そして衣装が前から3列目でよく見えて、写真や動画ではわからない風合いまで見えて良かったです。このバージョンの時代設定はあまり特定できませんが、学校に黒板があるということは「やや過去」かもしれません。衣装もやや過去のミニマムでモダンな感じで、1990年代のラフ・シモンズ、ジル・サンダー、アン・ドゥムルメステールあたりのヨーロッパデザイナーを思い出させました。監督がオランダ出身ということがフラッシュバック!少女たちはグレーの制服に茶色の革靴でとても私好み、大人の女性はアンクル丈ワイドパンツというか、ガウチョというか(笑)、それにゆるいニットとか、とても舞台衣装と言われて思い浮かぶものではありません。この話がある特定の場所と時代のものではないことを衣装も伝えているようです。

魔女狩りで人がいなくなって荒れた町の描写に、牛が飼い主を失ってさ迷っていると原作にあるのですが、牛ではなくワンコが演技して観客の目を奪いました。すごい訓練されている・・・クレジットにないのがもったいない(笑)。あれは床に匂いの印でも付けてあるのかなぁ。方向転換するときに床に鼻をつけてましたから。

そして人間のキャストも、牛が犬になったように、大男が定説のジョン・プロクターにベン・ウィショー。実はこのキャラクターをつかむのが私にはとても難しいことでした。頭の中から「大男」という定説を追い出すのが至難の技で。実直な農夫・・・でもカリスマ性のある美少女を夢中にさせるのだからどこか色っぽくなくては・・・はっ!この後半の要素からキャスティングされたと・・・?

実直さは、真っ直ぐな立ち方やゆっくりとした動き、少女たちの頭を撫でる不器用な指の動きにでていました。しかしPLAYBILlの表紙にもなった、アビゲイルを机に押し倒すシーンのように、感情が高ぶると荒々しく豹変して動きが素早くなりその落差が怖かった。とはいえ、1度の間違いの罪悪感で妻エリザベスの視線にいちいち敏感になっている神経質さも滲み出ているので、豹変は、内に抑えた豊かな感情が時折こぼれたり吹き出したりしている範囲内に収まっていながらも、観客に「この男次にどう出るのか」と思わせるものがありました。

そして後半、逮捕され拷問され、インタビューで「全身メイクが洗っても洗っても落ちなくて、ベッドシーツが汚れるほど」と言っていた泥と血まみれになってからのシーンがウィショーさんの真髄というか、辛い役の辛さ加減が半端ではありませんでした。死刑の直前の妻との会話、それからダンフォース達の前での告白のシーン「Because it is my name !」の声が耳に残っています。あのシーンのウィショーさんは本当に良かったです。

その夫婦の会話では妻エリザベスのハイライトでもあり、原作の中でも一番好きなシーンでしたが、なんと二人は右寄りの中央、私の席の真ん前の床に座り込んで演じたのでした。ライブで二人の名演が目前で・・・あまりの贅沢さにいったい何に感謝していいのやら・・・ドラマ「ホロウ・クラウン2」でのソフィー・オコネド(とにかく凄かったんです!)しか知らない私には、エリザベスの大人しさには意外でしたが、その分ジョン・プロクターが激しい感情の渦となっていたのでバランスはあれでよかったんです。

シアーシャ・ローナンのアビゲイルは、強くて存在感のある少女達のリーダーでした。愛する男ジョンの前でも媚びることもなく自信たっぷりの少女は現代的で好感が持てました。彼女の、いわゆるハリウッド風ゴージャス感とはまた違う輝きは、映画「つぐない」でも無垢な行動で大人の男を破滅に追いやりましたが、どんな悪いことをしても悪女には見えず聖女に見える貴重な存在感があります。

しかしそれでも、話の最後にはアビゲイルの立場はどうなの?という疑問がどうしても私には残ります。プロクター夫妻もひどい目にあったけれど、アビゲイルの立場になれば、不倫の相手の奥さんを憎むのは当然で、そもそも17歳で初めての恋の相手が行きずりの人ではない同じ家に住む真面目な男だったら、愛を信じるのが普通ではないの?そしてその点はこのリバイバル版でも残されたままでした。でもそれはアーサー・ミラーの脚本のことですので今は追求しません。

とってもとっても重い話にキラキラと魔法の粉をかけてくれたイーヴォ・ヴァン・ホヴ、前作の「橋からの眺め」の方が完成度は高く見えるけど、個人的に好きなのはこっちです。それは、もう好みの問題だと思います。



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