2015/11/1


クリックすると元のサイズで表示します

映画を見て来ました。

物語

パリで成功している時代の藤田の生活と、第二次世界大戦中の日本での主に疎開先の村での風景が描かれています。国と文化が違うだけでなく、パリは二つの大戦に挟まれた享楽の時代、日本は戦中で場所も彼の故郷の東京ではない田舎、と対照的で、彼の時代による作風の違いの背景を見せるかのようでした。


感想

映画が終わった後に監督Q&Aがあり、質問をした方々は、小栗監督の映画ファンであったり、主演のオダギリジョーのや助演の加瀬亮のファンで、私のように藤田が好きで見に行った人はいませんでした。

藤田を見に行った私としては、映画が戦争とともに終わってしまい、その後はエンドクレジットに出て来るランスの礼拝堂とフレスコ画のみという構成に不満を覚えました。

そしたら、小栗監督のお話で「藤田の伝記映画を作るつもりはなかった」という言葉をまず聞き、「あ、そういうこと?!えええ・・・じゃあ、何を撮りたかったのかしら?」と思いました。しかし、その答えは映画の中から見つけなくてはならない宿題のような気がしたので質問しませんでした。

監督がおっしゃったのは「藤田が感じたこと」を見てもらいたい、ということでした。

パリでは、当時のエコール・ド・パリの画家仲間とモデル達と楽しく過ごしながらも彼はそれを「パーティーも仕事のうち」と言って自分の絵が認められるためと割り切り、酒を飲んで楽しんでも絶対に絵は描く意思の力を感じました。かと言って、単純に仕事だから嫌いなこともするというのではなくて、パリの主流にいるためには絵だけを描いていたら誰かが見つけてくれるんではなく、その流れの中に身をおいてモデルの女達を含めた世界を体験してそれを彼の目と技法で世の中に提示する必要があったんじゃないかと思うんです。

日本では戦争画を描いたのも、実は、まったく違うようでパリの社交界と同じで、既に「先生」と呼ばれる認められた画伯として与えられた環境を受け止め、そこで自分にできる絵を描いたんだな、と思いました。

でも日本で藤田が感じたものというのは、映画を見る限り田舎の自然と、神が宿った大木とお地蔵様、ちょっと表現力なくて何と言ったらいいのか、トトロのように現実と民話のような人間の想像の世界がつながった風景でした。

そこで私は思ったんです。パリ=人間の肉体と精神、日本=自然と万の神、を藤田が感じたと監督は言いたかったのか・・・?なんだかすっきりしない。

で、Q&Aからもうひとつ気になった監督の話があるんです。
それは、客席から唯一の英語での質問だったのですが(Q&Aはすべて英語通訳つき)、Q「映画FOUJITAを通じて今の日本に何を語りたかったのか?」
そのAが「日本が西洋近代をどう取り入れるか?まずは模倣から入りそこからオリジナリティを出さなきゃいけない、藤田はそれを現場でとことんやった人なんですね。それは、今でも続く問題だと思います。」

そうか・・・それは監督ご自身も問題意識としてあることなのではなかろうか?と私は思いました。国際的に認められている監督だからこそ。


ここから、10/31放送の「FOUJITAと日本」を見て思ったこと。

映画の中で、高村光太郎の詩が出て来ます。それを「近代西洋への日本人の憧れ」としていて、その詩というのが、ノートルダム寺院に雨風に曝されながらも通って好きだ好きだという日本人の姿なんです。それは、藤田と対極の同時代日本の芸術家としてエピソードに出していて、監督は番組の中で、「それが一般的な日本人ですよね」とおっしゃった。

このへんで、やっと私にも監督が描きたかったことがわかってきました。監督は藤田を「現場の叩き上げ」という表現をしていました。それに西洋の「孤独と背中合わせの個人主義」とも。

一般的な日本人は西洋のいいところだけ、大体の人は日本にいながら、まあ旅行とかはするんですけれども、憧れて楽しむ。それに比べ、藤田は自分がその中に入って自己主張したのです。

けれども、番組の中で晩年の言葉が出て来て、「日本から嫌われ、フランスに帰化してもフランス人として扱われはしない。」というのです。フランス人だったら個人主義が当たり前だから、その孤独も当たり前で悩まないと思うのですけど、日本の共同体意識を知ってしまっていて、それでも個人主義を選んだ藤田の言葉として、心に残ります。

監督が、日本の自然を藤田にもっと感じさせたかった、というようなことをおっしゃってたのですけれども、監督なりのいたわりというか先代の日本人芸術家への魂の慰めなのかなと思いました。このへんはまだ私にも確信はないのですが。

4



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ