2011/4/14

bye bye 悪魔  いろいろ

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このつぶれコアラはJの「ライナスの毛布」だったそうです(父談)
          


NZから帰国して
一緒に来たJの両親もイタリアへ帰り、
被災した自分の両親に会って来て(やっと電車が復帰した!)
ホッと一息した翌日から
マグニチュード6〜7の余震が数回ありました。

揺れた瞬間に
また両親と、原発の安否が頭に浮かびました。
親の家がつぶれていないか。
原発に何かあったら
また子供を疎開させなくては。

そして今ミネラル・ウォーターは東京ではかなりの品薄。
家の緊急用ストックだってこの調子ではすぐなくなるけど、
もしも今東京の水道が止まったら、本当に水がない。

と、
この2、3日おびえておりました。

が、
今日、久しぶりにお仕事復帰で
朝、ぐんぐん暖かくなる駅への道を
桜の花びら踏みながら歩いていたら
上野動物園から 何かクラシックの曲 が。

美しかった。

音は青い空のような空気に響いて
空中の私の頭の上あたりにあった魂に届いた感じ。

そして
1ヶ月ぶりに行った
埼玉県にある某企業のオフィスには
壁にも床にもヒビを修理したあとが
どうしよう、5階でレッスンなんですけど・・・

私が日本語お教えしている3人の駐在員さん達も、
私がNZへと飛んだ同日か翌日に全員海外へ出た。
その中で、1番早く日本に戻って来たのが、
きょう会ったDさん。

彼はオーストラリアの東側ブリズベンの人なので、
疎開中もオークランドからは近い所にいて、
こうしてまた東京で会うと
なんだか戦友が無事で戻ったかのように
再会が嬉しかったです。

そして、実は私、
久しぶりの日本語のレッスンに
今の心境をどう言うか
「3月11日の じしん は こわかった です」
「いま まだ こわい です」
なんて例文も考えていました。

ところが、
この1ヶ月のことを
(まあ英語も使っちゃってるけど)話しても、

「ここは____です」
「____ は ここです」
の練習用に持って行った地図帳を
開いて福島など地震に関係ある土地の話題になっても、

こういう文を使う雰囲気にならなかったのです。

Dさんは、
恐怖という感情をどう処理しているのでしょう。

週末は余震をさけて京都旅行をするそうです。
i-phoneでレッスン中におきた余震の情報をチェックしたり
揺れに反応する心電図みたいなグラフを見るツールを
私に見せて喜んでいたDさん。

そうだ、これだ

彼は自分の意志で日本に戻って来た。
このオフィスに60人以上駐在員がいるなか、
日本に戻っているのはまだ1/3だけだそう。

海外にいると日本の話をするたび
悪魔のように恐ろしいムードになっていたのを
すっかりしょったまま私は帰国してしまっていたのです。

海外では日本の話をしない時は普通に過ごせる。
でも現地にいる人にとっては24時間日本なんだから。

ここに生活する以上、
毎分毎秒恐怖心をかかえていたら
放射能がなくたってガンに罹ってしまう

私も自分の意志でここにいることを思い出したら
とりつかれていた暗い感情から
脱皮できそうです。

人は、いやいや何かするとストレスレベルがぐーーっとupします。
でも自分が決めたことは大変なことでも頑張れる。

究極の選択だって選択権はあることを忘れないでいよう。


思い出した日でした。

公園の音楽とDさんに感謝
それを私に見せてくれたすべてのものにも感謝












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