2018/12/5

ナショナルシアター・ライブ「ジュリアス・シーザー」  ベン・ウィショー

クリックすると元のサイズで表示しますパンフもあったよ

やっと去年の6月から楽しみしていた(それって1年半前・・・もうそんなに経つの?)舞台が映像とはいえ見られました!

その時のブログにも「1階の席をなくし観客が市民として参加するのはグローブ座のようだ」と書いてるんですが、

想像以上にアリーナ席の観客が巻き込まれていました。

俳優が観客と同じフロアにいるものですから、見上げなくても横にいて、しかも戦場にもなるので逃げ惑う避難民の役にも図らずともなってしまうという。

シーザー暗殺後に反シーザー一派が手を血に染めてその状態で観客の間を動きまわる血のり危険も伴う観客席。

感心したのはその舞台装置演出だけでなく、シェイクスピア原作の内容が予習なしでも見てわかる舞台だったことです!

「ハムレット」や「オセロ」「リア王」などシェイクスピア悲劇は当時の価値観などを勉強しないと納得できない心の動きや筋書き部分が私には多く「そもそも何で」と突っ込みたくなるストーリーなのですが、

ベン・ウィショー主役のマジックか何かわかりませんが、初めて舞台だけで心に届きました。

理性・知性派で純粋なブルータス、ウィショーさんにぴったり!

今回、プロモ写真にシーザー役、アントニー役、カイヤス役の俳優3人と一緒に写っていますが、この3人よりひとまわりくらい年齢的に外見が若いウィショーさんなので今回もフレディのようなお髭で貫禄対応をしているのか。(「るつぼ」の時も無骨い男の役だったためフレディ髭でした)

コートに眼鏡で007のQのお兄さんみたいなインテリな風貌が、演技派だけど容姿はちょっと影が薄い他の3人の中で引き立っていたのはうまいキャスティングでした。(と思ったのは単純に髪の毛の存在感がウィショーさんだけ飛び抜けていて、後の人たちは女性で長さはあってもやはり髪の毛のインパクトがウィショーさんに負けていたからそう見えたのか・・・)

そして、これぞNTライブの醍醐味よ!!要するにアップのシーンありがたやありがたやだったのは、この芝居のハイライト「演説」シーンです。

スチームと光をバックに正面アップのウィショー=ブルータスのカリスマ性たるや!なぜこのシーンのスティール写真はないのか、と思ったけどこれは映像で見たインパクトがローマ市民の感情ですので、舞台で見て感じることが大事でしょう。

そこで神を見たかのような気持ちの直後に、アントニーの扇動的な演説がくるわけですから。ブルータスの存在が神々しいほどアンソニーの口車が見事に見える仕組みです。

しかしブルータスがキリッと台詞を言う時に、時々私の網膜上でパディントンが見えてました。同じ声だから仕方ないとはいえ、記憶に新しい「スキャンダル」のノーマンではなく、なぜパディントン・・・高潔で正義の味方という共通項があるからかしら。

最後はシェイクスピア悲劇の例に漏れず、自害者続出・・・なので、そこだけなぜ現在の欧米の価値観と違い、生きて敵に捕まるくらいなら自ら名誉の死を選ぶのか、太平洋戦争の大日本帝國の兵隊さんと同じではないかと腑に落ちなかったのですが、河合祥一郎先生の本に「キリスト教以前の古代ローマではそれが普通」とありちょっと納得。

でも16世以降のイギリスでそれがすんなり観客も納得したのが疑問に残りますが、シェイクスピアがこれだけ大勢自殺させているので、古典にはよくあることだったのでしょうね。

口八丁のアントニーが権力者となっているローマは市民が騙されてるのだから仕方ないけど、今のアメリカや日本は権力者を支持しない人がこんなに多く騙されてないのにその権力者が権力を持ち続けるのだから困ったものだ!と思って終わりました。

追記
ところでなんであの有名な「ブルータス、お前もか」は英語じゃなくいきなりラテン語なんでしょう。16世紀の観客はラテン語の知識のあるような人ばかりだったとは思えない・・・




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