この歌をひばりさんに捧ぐ・・・
歌手美空ひばり(1937〜89)が34年前、広島で
発表した歌がある。
彼女のヒット曲のなかでは目立たないが、彼女自身は
好きな持ち歌ベスト10に選んだ。
「皆さんにぜひ愛していただきたい歌」とも語った。
反戦を静かに訴えるこの歌が、今夏、広島から再び発信される。
「一本の鉛筆」が初めて歌われたのは74年8月。
広島テレビが主催した第1回広島平和音楽祭で発表された。
「世界に平和を発信したいという音楽祭に乗り気になってくれた」。
日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)の
当時の担当ディレクター・森啓(あきら)さん(66)は振り返る。
ひばりは幼少時、横浜大空襲に遭い、父が徴兵される
戦争体験を抱えていた。
音楽祭を総合演出した映画監督の
松山善三さん(83)が作詞した。
《一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く》
一人でも一本の鉛筆で反戦を訴えることができるという
メッセージだった。曲は黒澤明監督の映画音楽を
手がけた故佐藤勝さんが作った。
音楽祭のリハーサルでは、冷房付きの控室が用意されてい
たが、ひばりはずっと、猛暑のステージのかたわらにいて、
「広島の人た ちはもっと熱かったはずよね」とつぶやいた。
ステージの上からは「幼かった私にもあの戦争の恐ろしさを
忘れることができません」と観客に語りかけた。
それから14年。ひばりは第15回の同音楽祭でこの歌を
歌うため、再び広島を訪れた。
大腿(だいたい)骨骨頭壊死(えし)と肝臓病で入院した
翌年だった。出番以外の時は楽屋に運び込んだベッドで
点滴を打った。だが、観客の前では笑顔を絶やさなかった。
ステージを降りた時、「来てよかった」と語った。
翌年6月、帰らぬ人となった。
””リサイタルでひばりが歌う時、「次に歌う歌はこれまでの
歌とは少し違いますが、ぜひ皆さんに聴いてほしい」と
話す姿が印象的だった。
嬉しい記事に出会いました。






今でも ひばりさんは私たちの心の中に生きずいています。
いつもひばりさんの歌を唄う時 私の心を届けたいと願っています。
DAMともで唄いました。ひばりさん有難う。








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