2006/1/29

東大  

というわけでわたくし残りの東京LIFEを行ってみたいところ、見てみたいところすべてに心血を注ぐ所存です。

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今日は東大行ってきたよ。
まずは昔からの下町、多くの文人を輩出した文京区の一角、本郷へ。
樋口一葉が母、妹と3人で暮した下町の家跡、そこは本当に本当に昔からの下町という感じです。こちゃこちゃと小さな家がひしめき合ってて道なき道、人一人入れるくらいの道を通って家に入ったりすごい狭い路地をはさんで玄関と玄関が顔を合わせていたり何よりも庭がほとんどなくすぐ家がある状態、あととにかく坂が多く、登ったと思ったらすぐ降りたりそのそれぞれに名前が着いていたり、やたら下宿屋っぽいアパートが多い。テレビで見た昔ながらの下町の元祖がそこにありました。
それから昔から数々の文人が投宿した菊富士ホテル跡。
竹下夢二や宇野千代など多くの文人が長く止宿し、多くの作品を生み出した。だが当時の経営はいたってずさんで月の終わりに部屋代をもらうはずが投宿したものに無心され逆に金を貸してしまうほどの鷹揚な宿の主人であったため金のない文人の卵たちが多く住み着いた。
だがそれも東京大空襲で焼け落ちたときにホテルも廃業に追い込まれてしまい文人の宿は幕を閉じたのである。
今は石碑のみが建っているだけである。
胸突き坂を登って本郷を突っ切り落第横丁を出ると、我が目的地、麗しの東大である。
雰囲気は、北四番丁の東北大付属病院に似ている。
やはり大きな車どおりの多い道路を渡ると東大の門、あの有名な赤門がある。
それをくぐり中に入ると歴史を感じさせるゴシック調の建物が見える。それがどこもかしこもだ。東大の建物のほとんどがかなり昔のものである。

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どんどん歩いてさらに奥に進んでゆくと安田講堂が見えてきました。
大学紛争の際、学生たちによって占拠され最終的に機動隊によって排除されそのあとずっと閉鎖状態が続いていたが88年に改修、現在は保健センターなどいろいろな用途に利用されております。
しかしテレビで見たのよりずっとちっちゃい!?
私はもっとでかい建物かと思っておりましたら5階建てくらいの本当こじんまりとした建物であります。現在、講堂周辺はメモリアルパークぽっく整備されておりまして散歩をしている人が集っていたりや応援団の練習場所になったりしてました。
その安田講堂の側に地下に行く階段を発見、なんとそこが学食だというのですが!土日は14時までということで名物赤門ラーメンは食せませんでした。
しかしなんと東大にはドトールが入っているのです!
その向かいにはなんとローソンも!
民営化になったことは知っておりましたが私の時にはこういうことは考えられなかったので大変な驚きでした。
さらに進むと夏目漱石の小説で有名になった三四郎池がありました。
ここは本当に都会ですか!?といいたくなるような静寂な時間が流れておりました。研究に疲れた学生が頭を冷やしにくるのはもってこいの場所でした。


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さらに進んでいきますと東大付属病院が見えてきました。
なんとか中に入ってみたくてうろうろしてますとあちこちの小さな出入り口の前にSPみたいな人が立ってて見張っております。
さすが東大といいたいところですが、なんだかすごく異様な感じでした。
でも一般患者のふりしてもぐりこんだのですが、雰囲気としてはやはり東北大付属病院にとてもよく似ています。大学病院ってみんなこんな感じなのでしょうか?「催眠」とかに出てきた昔のおどろおどろしい感じの裾の長いスカートをはいた看護婦が出てきそうな感じではなかったです。実はかなり期待していたのですが…。


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帰りは東大前駅から乗り、夕飯は表参道の駅地下のダイナーみたいなところで食べかえりました。
しかし素晴らしかった!東大は!
もう1度行ってもいいくらいでした。


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