尼将軍:貞子 爆誕!!!?? ブログ「貞子ちゃんの連れ連れ日記」が、有料まぐプレ「資産形成・マクロ経済 de あそぼ♪」の創刊とともに、リニューアル・オープン! 2009年4月末、大不況の入口で、ついに、貞子の進化系モンスター「尼将軍:貞子」爆誕!!!! 「自分だけ貧乏?」「自分たちの世代だけが貧乏くじを引いた??」「明日は今日より貧乏になる???」と感じたとき、悔しさや怒りを覚えるのは、心理学の見地から見ても、「正当」かつ「健全」な感情です。 わたし達や私たちの子供達は、将来も物心ともに豊かに暮らし続けたいと願う「正当な権利」を持っています。 このブログは、15歳の我が娘が大人になる10年20年後の日本経済を見据えて書き綴る日記です。 「持続可能な豊かさを維持してゆくことへの希望」を決して捨てません。 中長期的視野に立った金融・経済・福祉・心理学中心の「戦う母親ライター日記」です。

2008/6/27

日銀の金利引き上げへの転換が世界の資源バブルを鎮圧する。  

以下、日本銀行が「超」の付く金融緩和を解除して、金利引き上げに転じたら、現在進行形の世界の資源バブルが沈静化して、日本経済が復活して、世界の平和にも貢献するシナリオを提示する。

今日、いつもなら中ヒールの靴しか履かないのに、晴れていたので8センチヒールの白い靴をはいて出かけてしまった。(単純に 白い靴は8センチヒールしか持っていなかったのが理由だ。)

日比谷線の駅を利用すると便利だったので、長い距離を8センチヒールで歩くのがつい嫌になって、最寄りの日比谷線の駅までタクシーを利用した。
気さくな運転手さんだったので話が弾んだ。
「景気悪いですね。特に4月あたりから利用客がぐぐっと減ってタクシーも景気悪いですよ」との話を聞いた。

建設基準法の改悪や上限金利法の改悪で、日本の中小零細企業の景気は去年後半から軒並み対前年度比20%ポイントの景況悪化を示し続けてきていたけど、今年の春あたりから、不況感が中小企業のみならず、大企業まで押し寄せている。
内閣府が発表した全産業の景況判断指数も、大企業では今年4月から6月期は、対前年度比で15.2%の悪化となった。中小企業に至っては、対前年度比40ポイント以上の悪化である。
コンプライアンス不況に追い打ちをかけるように、世界的な資源・コモディティー価格の急騰が、日本国内の景況感の悪化に明らかに拍車をかけている。

身近な例ではガソリンも卵も食パンもみな、急速に値上がっている。
ティッシュペーパーの値上がりは、もう慣れ過ぎてしまって、2年前はどれくらいの値段だったのか忘れてしまっている。

以前、このブログでも幾度も記したが、21世紀のスタグフレーション(不況なのに物価が上がること)は、二度に及ぶ石油危機が引き金となった1970年代のスタグフレーションとは、明らかに違うスタグフレーションだ。
21世紀の新型スタグフレーションは、賃金の上昇が望めない中での物価高なのである。とくに、資源コモディティー価格の高騰がダイレクトに響く原材料や、原材料高がダイレクトに響きやすい付加価値の低い最終商品(卵や食パンや紙やガソリン)が高騰する。
東京電力では来年あたりに値上げを検討しているらしい。
1970年代は、まだまだ労働組合も強かったから、賃金も値上がりした。
21世紀は、グローバル企業が先進国から新興国へ環境汚染を輸出しながら、新興国から先進国へ失業を輸出している。

しかも、21世紀の新型スタグフレーションを造り出している主役は、資源国家だけではない。
70年代のスタグフレーションは、中東を中心にしたOPECが生産調整(減産)を実施して、先進各国の経済に大きな打撃を与えた。70年代のスタグフレーションの主犯格はOPECだった。
21世紀の新型スタグフレーションでは、非OPECをはじめとするアンチ欧米文明国家群の生産調整(減産)ももちろん響いているが、21世紀の新型スタグフレーションの主犯格はどちらかというと、新興の資源国家というよりも、世界の過剰流動性160兆ドルそのものだ。

この世界の過剰流動性を「マグマ」に喩える人に会って、うまい表現をする人だなぁ〜〜〜と感心してしまった。

世界の過剰流動性問題はマグマに喩えられる。

増えすぎたマグマは、必ず地表のどこかを目がげて火山のような形で吹き上げてしまう。その火山は、ある時は、1997年前後の東南アジアであったり(これはアジア通貨危機の元凶になった)、21世紀初頭のITであったり、その後は世界各地での不動産・住宅価格であったり、さまざまな新興国の株式市場であったりして、今は資源エネルギーや穀物などのコモディティーで、マグマが吹き上げている。

マグマは次々と形を変えてはバブルを形成させて、弾けてはまたバブルを形成している。

今年に入ってから、このマグマは、とうとう、資源エネルギーや穀物などのコモディティーへと本格的に飛び火してしまったのだ。

資源エネルギーやコモディティーが暴騰するようになった世の中は、ろくな時代にはならない。

先進各国の所得の低い人々の生活に大打撃を与える。さらには新興国や発展途上国では多くの人々の暮らしを困窮へと陥れてる。さらにさらに最貧国の多くの人々を飢えさせる。
すると、世界の国々は、「保護主義」という間違った政策を選びがちになる。

この「保護主義」的政策こそが、ただでさえ価格の上がっている資源エネルギーやコモディティーの価格をさらに引き上げる。そして、この各国の「保護主義的な政策」がエスカレートすると、最後は「局地戦争」「紛争」などの火種になることは、歴史が証明している。
ちょっとしたテロや暗殺事件が引き金になって大きな局地紛争が起きたりするのは歴史が証明している。生活が苦しくなった人々が、なぜかいつの世も、この紛争や局地戦争に熱狂的な声援を送ることも歴史が証明している。

再び、歴史は繰り返されるのであろうか?

世界の過剰流動性が、とうとうオイルをはじめとする資源エネルギーや食糧をはじめとするコモディティーに向かってしまった以上は、今後はどうやって、この過剰流動性を「人的被害を最小限度にとどめて、上手にコントロールするか?」、「このマグマの抜け道を上手に安全に作ってやるか?」が最重要課題になる。

幾度も繰り返すが、世界の過剰流動性160兆円といえども、本物のマグマでは決してない。この過剰流動性は、決してひるまずに勇気を持って前向きに立ち向かえば、「懐の深い」部分をも持ち合わせている、制御可能な部分もある「マグマ」なのである。
グローバルな巨大な過剰流動性が「アバウトかつ懐の深い」部分をも持ち合わせていることについては、この6月18日の私のブログ記事グローバリゼーション時代のマネーの懐の深さ。 を是非とも熟読されたし。
 
「世界の過剰流動性を、人的被害を最小限度にとどめて、いかに上手にコントロールすか?」、「世界の過剰流動性の抜け道をいかに上手に安全に作ってやるか?」で、実は、世界の一番のキーパーソンがこの日本なのだ。

日銀が金利引き締めへと動くだけでよいのだ。
「超」の付く金融緩和を日本銀行が解いて、金融引き締めへと勇気を持って方向転換すれば良いのだ。

金利が上がり始めたら、世界の過剰流動性は日本市場へ必ず再び戻ってくる。
そこそこの金利国であれば、その国へ過剰流動性が流れ込むことは、いまや世界のセオリーだからだ。
日本が強い意志で「金利を引き上げる」「金利を継続的にノーマルな状態まで上昇させるメッセージ」を世界全体に示せば、日本円も強くなる。
円高政策が継続されると世界が判断したら、過剰流動性は日本の株式市場にも債券市場にも継続して流れ込むようになる。
日本国内の金利が上昇して円高に転ずれば、日本国内の個人は、たとえ給与・賃金が上がらなくても、金利収入は増えるし、円高による物価安で可処分所得も増える。
日本株式市場も日本債券市場も再び活性化する。
世界の過剰流動性による資源・コモディティー価格急騰の鎮静への「トリガー(引き金)」を引ける状況に立っているのは、いまや世界では日本経済だけである。
日本経済は痩せても枯れても世界第二位のGDP大国であり、痩せても枯れても、私有財産を認めている資本主義国家である。
日本が金融を引き締めに転じたら、世界の過剰流動性の向う矛先の一部が枝分かれして、日本にも向かってくるのである。
資源・コモディティー価格が値下がり始めるのである。

今の日本は、かように、世界の資源高に伴うスタグフレーション解消に「最も深く強く」貢献できる立場にある。
まわりまわって、最貧国の飢えている多くの人々をも救うことができる。
最貧国の現地へ行って食糧を無償で供与するだけが、世界への平和貢献ではない。
勇気を持って日本国内の「超」の付く金融緩和を解いて、金融引き締めへと転じたら、日本経済も繁栄して、世界平和にも貢献できるのである。
なにもかも良いことずくめなのである。


今の日銀には、町村官房長官を筆頭とする財務省内の「財政タカ派」やの圧力に屈することなく、金融引き締めへの強い意志を保有する勇気はないのだろうか?
こういった金融緩和への「勇気と強い意志」を今の日本銀行と産業界が共有できないことは、世界に対しても「大変な日本の恥」である。私は嘆くばかりである。
国内での内部抗争ばかりに明け暮れてきた日本の自称エリートの男性たちは、猿山の猿の如く、みな馬鹿になってしまったのであろうか・・・・???

【追記】一番明けて、読みやすいように、一部文章を加筆訂正しました。

【追記2】日本国内のじゃぶじゃぶの超低金利のマネーが、欧米のヘッジファンドなどの資源コモディティーへの投機資金の源泉になっている。このことについては、コメント欄なども参照されたし。
こういった円キャリードレード(ヘッジファンドなどの投機資金が、じゃぶじゃぶの低金利の円を使ってトレードをしていること)については、去年の夏に私のこのブログでも記していますので、興味のある方は、このブログ内の検索コーナーを使うなどして、是非ともそちらを参照されたし。


【追記3】にわか読者の方が時折勘違いされますが、金利の引き上げといっても、長期金利が3%前後になる程度に向けてのちょっとずつの引き上げで十分なのである。
そのための政策金利の変更である。
言い換えたら、今の日銀がインフレターゲット理論を応用して、インフレターゲットもどきの政策に切り替えることを私は提言しているのである。
ときどき、金利を上げると企業の国内の設備投資が鈍るなどという反論があるが、そういった方は、設備投資の内訳をみていない。今の日本企業では、大型の設備投資はほとんど海外で起きている。国内の設備投資は、内需関連のサービス業が中心になり始めており、日本国内では一件当たりの設備投資額は減少傾向にある。内需関連のサービス産業や中小零細企業が復活するためには、国内の個人の可処分所得を増やすことが一番重要なカギを握っている。
21世紀では、「超」の付く日本国内の低金利政策は弊害ばかりが目立ってきている。その超低金利は効用はいまや疑わしいばかりである。もちろん、世界的にみても日本の超低金利は弊害ばかりが目立っている。
今のアメリカには、金融引き締めに転じる体力はまだない。
こういった中で、今の日銀が金利引き上げに転じなくて、どこの国がするというのか?

【追記4】誤解される読者がときどきいますが、たいていの資源コモディティーの取引は、長期取引契約で取引されています。この長期取引契約での取引は、毎年、先物市場でのスポット価格を参考に見直されています。今年の4月からの日本国内での資源コモディティーの長期取引契約の価格は、先物市場での価格急騰を反映して、大幅な値上げに強いられています。
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2008/6/25

今年の夏のボーナスでは、株式を買ってはいけない?  

昨日だったか?おとといだったか?お天気で暑かったので、家の中でタンクトップを着て、思わず「ライク ア バージン♪」と踊っていたら、14歳の我が娘に白い目で見られました。

今日は、家の中では、40代前半のころに購入した胸元の大きく開いたTシャツを着ていたら、雨模様の中、首から風邪をひきそうになりました。
年がいもなく、若づくりするとダメですね。
胸元が寒かったので、スカーフをしています。新品のスカーフだと、夕飯を食べる時に汚しそうになったので、古びたタオルに巻き替えたら、なんか、昔のお婆ちゃんみたいな格好になりました。

眠いです・・・。

東京はやっはり刺激が多いなぁ〜〜〜。
ナレッジフォアの請負の仕事で、有名人のインタビューとかに同行できる機会もちょっとづつ増えてきています。

直属の上司である副編集長にも、ちょっとづつ馴染んで(なついて?)きている貞子です。

ちょっとしたいきさつで、娘のクラスの父母の会の役員も軽いノリで引き受けたりとか・・・。


「日に日に都会の絵の具に染まっていっています」と胸を張って報告したいところですが、名古屋で8年も暮らして、すっかり名古屋化(これを、「なごやか」とも呼びます)になっていて、時々、こちら東京の新しい暮らしに戸惑うことも まだあります。

こちら東京は、どうも、積極性とか自己主張とかが、名古屋よりもず〜〜〜っと大切なようです。
けれども、自己主張すべきときに ぼけ〜〜〜〜っとしていたり、黙っていたほうが良い時に、自己主張していたりしているような・・・そんな気がするときが多いようなそうでもないような気がする貞子です。

昼間の刺激に興奮していると、夜眠いです。


先週あたりから、海外の株式市場も再びナーバスな動きをしています。

これについて書きたいのですが、眠いです。

このブログ記事の題名「今年の夏のボーナスでは海外株式を買ってはいけない?」で、スルーしようかな・・・。

奮い立って、以下、簡略メモ。

サブプライム問題が世界の株式市場で再び表面化して、今後もサブプライムの余震のようなものが再び起きるのか、それとも、このまま世界の巨大な過剰流動性が、アメリカ・サブプライム問題さえも「懐深く」飲み込んでゆくのか、確率は半々だと思います。

アメリカの不動産価格の下落率が対前年度比で10%以上の15.3%になったのは、けっこう深刻です。明らかな黄信号です。詳しくは↓
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-32406520080624

この下落率が20%以上になったら、明らかに赤信号です。
下落率が30%になれば、世界経済はクラッシュです。


一方、原油価格の高騰は、世界経済の大きなスタグフレーション要因です。

石油価格ついては、サウジが先進各国の原油の増産要求に応じていますが、ロシアやアルジェリアやベネゼイラなどの非OPECが原油を減産しています。
サウジ以外のOPECや非OPEC諸国が、アメリカをはじめとする先進各国に意地悪をしているのです。
ここまでアメリカは一部OPECや非OPECに嫌われていたんですね。もちろんアメリカの自業自得ですが・・・・。

OPECは、1970年代で、原油の値段を高騰させ過ぎると、先進国とOPECが共倒れになることを体を張って学習しているのですが、その痛い経験を伝承しているのは(当時のオイルショックの苦い経験を25年経過した21世紀まで伝承しているのは)、サウジアラビアだけなのでしょうか?

非OPECのロシアだけは、アメリカ経済からデカップリング(相互依存していないこと。あまり関連性がないこと)しているようだけど、
他の産油国は先進国経済とデカップリングしているのだろうか?けっこうカップリング(相互依存)しているのではないだろうか?

恐るべし、新生ロシアの「したたかさ」・・・。
恐るべし、新興オイル資源国の「無謀」・・・。

こういった先が読みにくいときこそ、個人の投資家の方におかれましては、長期国際分散投資で、幾度も金額と回数を分けて株式を購入してください。くれぐれも、一気に一点集中買いだけは、避けてください。

悲観論者の方は、今年の夏のボーナスは、半年は定期預金にしておいて、来年の春あたりから、ゆっくりと国際分散投資を再開しても、けっして遅いということはありません。

もう長期的な視野で国際分散投資を始めている方でも、今年の夏のボーナスは、やや少なめに海外株式を買い増すほうが、より慎重かもしれません。

最近、日本人の夏冬のボーナスが、海外ヘッジファンドに狙われているような気がする貞子です。
お盆明けとか正月明けに株式市場が暴落することが多すぎです。
個人投資家の方におかれましては、ぐれぐれも慎重に行動してください。

みなさん、おやすみなさいませ。

【追記】励ましのメールを下さっている方、ありがとうございます。お礼のお返事が書く時間がなかなか取れなくて、申しわけないです。この場を借りて、不義理をお詫びします。

【追記2】一晩明けて、読みやすいように、一部文章を手直ししました。







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2008/6/23

派遣社員や請負社員を救う雇用革命は、これだ!  

去年の夏ごろにも、このブログで紹介したのだが、PEO雇用革命―アメリカを席捲した新雇用産業ーをみなさんはご存じだろうか?

私自身もこの図書は、中小零細企業向けに日本版401を拡充を進めている経営者の人から教わった図書だ。
時間の関係で、私はこの図書はまだザザっとしか目を通していないが、去年読んだ数百冊図書の中でも、かなり強烈な印象に残った本である。

今、二極分解がすっかり進んでしまったアメリカの労働市場は、日本人から見たら、お先まっくらな労働市場のように見えるかも知れない。
けれども、その一方で、アメリカ国内でも、雇用をめぐって、全く新しい動き(雇用革命)が芽生えているのである。

PEO雇用革命―アメリカを席捲した新雇用産業ーによれば、アメリカ国内では、1990年代から最も高い成長率をしめしたが、PEO市場なのだそうだ。21世紀に入っても、いまなお、年平均20%以上の急成長をしている。
PEOとは、Professional Employer Orgnizatinsの略。
全米の雇用者(人を雇う人々)の組織団体である。

以下、このPEOという組織団体に属している社員をPEO社員と呼ぶ。

彼らPEO社員は、だいたい、日本国内の正社員と派遣社員の中間よりも、やや、正社員よりに近い感じであると想像していただけたら、今のところは分かりやすいのではないだろうか・・・。

このPEOという名の全米雇用者組織団体に登録して、そこで働いているアメリカPEO社員と、日本国内の派遣業界や請負派遣業界に登録して、そこで働いている日本の派遣社員や請負社員とでは、比べると、どこが違うのだろうか?
およそ、以下の4点があげられるようだ。

1、常時、PEO社員は、「正社員」に近い感覚で働いているようである。(ただし、職場そのものは本当の正社員よりは変わる確率がかなり高い。)
2、PEO社員は、教育研修なども、正社員並みにPEOから受けられる。
3、給与昇格については、正社員に比べると、やや難はある。
4、PEOという雇用者が集まった団体組織に属している社員ということで、PEO社員は、クレジットカードも取得可能である。住宅ローンも組めるし、さらには、社会保険料や雇用保険の支払いや受け取りもPEOが代行してくれる。休暇の取得や福利厚生施設なども利用が可能なようだ。

こうしてみてみると、正社員や、あるいは腕に自信のあるプロ真っ青の派遣社員に比べると、PEO社員は、給与の面ではかなりマイナス面はある。転勤が多いかもしれない(職場が変わりやすい)といった難点に目をつぶれば、比較的、正社員並みの待遇と社員教育と福利厚生と社会的信用度をエンジョイできているようである。

(以上、「ようだ」「らしい」とか、「ようである」といった表現を使ったのは、私がまだこの書籍を斜め読みしかしていないからだ。
ご興味のある方は、ぜひとも、PEO雇用革命―アメリカを席捲した新雇用産業ーをご熟読ください。
私も最近のアメリカは嫌いだけど、アメリカの良いところは、日本国内の状況がひどくなる前に、はやく取り入れたほうが良いと思う。
正社員と非正社員の格差を嘆くばかりよりも、もっと前向きかつ具体的に効果のある検討をしたほうが良い。

ただ、日本国内で官製不況やコンプライアンス不況が続く中で、こういった日本型PEO企業団体を創業してやるぞっというような元気な若者が、この日本国内でも現れるかどうか・・・それが一番の気がかりである。

今日、午前中に都内へ所用で出かけてきましたが、やはり、日本ほど治安のよい国も珍しいなぁ〜〜〜と、また改めて思った貞子からの報告でした。

取り急ぎアップ。
誤字脱字誤変換お許しください。



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2008/6/22

霞が関が牛耳る巨額資産と「埋蔵金」とSafeyNet  

リビングでムーンウォーカーの練習をしていたら、わが娘に「ママ!それってただの後ろ歩きだね」と突っ込みを入れられた貞子です。

書籍を書き上げる上で、なるべく話し言葉で分かりやすく記そうと、下のような文章から書籍を始めてみようと思っている。

以下、一部いち抜粋 引用。
第二次世界大戦前は、世界一の大富豪は誰だったのだろうか?
今のように、フォーチュン誌などが世界の長者番付を発表していない時代なので、当時の世界一の大富豪が誰であったかは謎である。
けれども、少なくとも、大戦前の世界の大富豪たちの中の一人に、当時の日本の天皇家が堂々仲間入りしていたことは確かだろう。大戦前は、日本の天皇家が世界一の大富豪だったとの説も周期的に流れるが、今となっては真偽のほどを確かめる術はない。
世界一だったかはさておき、その膨大な天皇家の資産は、戦後はどこへ消えていったのだろうか。
実は、当時の天皇家の膨大な資産は、敗戦と同時にGHQに差し押さえられたが、その後は「政府の資産」「国有財産」として霞が関へと継承されているのだ。
しかも、霞が関が自由に使えるこの「政府の資産」は、私たち国民の税金からくすねるように収奪して積み立て上げられて、年年歳歳、日に日に増えていっているのである。・・・・・・・(大きく中略)・・・・

日本政府の資産は、2003年3月末でも765兆円存在していている。一方、あのアメリカ政府の資産は147兆円(2009年9月末)である。アメリカ政府の資産に比べると、日本政府の資産のリッチ度はなんとアメリカの5倍以上なのでる。・・・・・(大きく中略)・・・・

日本政府の資産(ストック)を国際比較して見てきたが、他にも、日本政府の資産には、かの有名な「霞が関の埋蔵金」が存在している。
塩川正十郎氏をして「母屋(一般会計)でおかゆ、離れ(特別会計)ですき焼き」と言わしめたように、特別会計には余剰金がとても多い。「霞が関の埋蔵金」だ。
今現在明らかになっている特別会計の余剰金(霞が関の埋蔵金)は、2005年4月27日の経済財政諮問会議で明らかになっているだけでも、
財政融資資金特別会計27.2兆円
外国為替資金特別会計17.1兆円
国有林林野事業特別会計4.5兆円
労働保険特別会計6.2兆円
空港整備特別会計2.3兆円
自動車損害賠償保障事業特別会計1.2兆円
と、60兆円近く存在する。
・・・・・(大きく中略)・・・・

もはや財政再建は二の次の時代だが、以上は、日本国政府の財政再建を考える上で、とても重要なポイントだ。
フローの歳入と歳出を見直すのは当然だが、それと並行して日本政府の超リッチな資産を圧縮しなければ、必ず財政再建は、増税論議とワンセットで進んでしまう。
厚生労働省や社会保険庁の無為無策に苦しんでも、まだ私たちは国家に騙され続けたいのだろうか?・・・・(大きく中略)・・・

政府資産(ストック)以外の、単年度の予算(フロー)だけ見ても、1980年初頭は、日本の1年間の国家予算は財政投融資資金(今でいうところの特別会計)も含めて、およそ100兆円前後の規模だった。当時は、1年間の国家予算の規模は、一般会計が50兆円前後、財政投融資資金が50兆円前後、合計およそ100兆円前後の規模だった。このころの日本のGDPはおよそ300兆円。
25年以上経過した今、日本の特別会計も含めた1年間のフローの国家予算規模は、250から300兆円前後と、2.5倍から3倍にまで膨張している。その間、日本のGDPは500兆円へと1.7倍にしか増えていない。
民間人はもうぐったりしている。・・・・(大きく中略)


(以上、一部抜粋 引用)

他にもいろいろ調べてゆくと、一般には「日本の公的年金の財源が破たんしている。日本国内の年金債務は800兆年」と、富田俊基先生や野口悠紀夫先生が書籍で発表しているし、メディアでも大きく報道もされているかもしれないが、
確かに、そういった公的年金の「隠れ借金」「簿外債務」のようなものは、「800兆円から1000兆円」あるのだけど、『公的年金制度そのもののシステム(制度設計)を「世界基準」にして、ちょっとだけ日本国内の法律を変えれば、こういった国内の巨大な年金債務も、いくらでもある程度はなんとでも対処可能みたい〜〜〜』・・・などという話になって来ている。

ただし、公的年金制度をこのような「理想形」に法改正して制度設計し直すと、国民みんなは喜ぶけど、公的年金を運用している現在の「年金積立金管理運用独立行政法人」を始めとする厚生労働省の人々は、わたしたちの「公的年金」を通じては、ほとんど汚職や無駄使いがきる余地が皆無になってしまう。

「あぁ、だから、厚生労働省のお役人たちは、こういった断然効力のある単純明快な法改正や制度設計には、誰も知恵を絞ろうとしなかったり、真面目に検討しようとしないのだな〜〜〜」っというのが、実によくわかったりする。


規制緩和などの「小さな政府」は目指すべきだし、民間人がのびのびと生産活動ができるようになるには「小さな政府」は是非とも必要だ。
でも、なんでも小さくすれば、あるいは、すべてを民間がすればよいというものではない。
「国民の最低限の健康的かつ文化的な生活を保障する」のは、日本国家の責務として憲法でも明記されている。
だから、ベーシックインカムのような要素を持つ社会保障基金のようなものは、必ず日本でも政府がすべき部分である。こういったベーシックインカム的な社会保障基金は、ある程度巨大になったほうが良いと私は2年前からこのブログで主張してきている。
この社会保障基金に今よりもっと巨大なマネーを保有させても、決して汚職が起きないような法改正と制度設計は、「やはりアメリカが進んでいるなぁ〜〜っ」と調べながら思った。(日本もこういった社会保障基金設計に変えて、その社会保障基金に、アメリカの社会保障基金よりも巨大なマネーをを保有させたら、仕事の内容も単純明快になるから、扱う金額が巨大でも、職員数もきわめて少なくて済むだろうし、汚職や腐敗もはびこりにくくなるのである。)

こういった法改革は日本でも断行しなければいけない。そう改めて思った。

どんな法改正かは、愛読者の方々には、書籍出版後のお楽しみということで・・・。

【追記】一部、特別会計の「埋蔵金」について、表記ミスがありましたので、手直ししました。読者の方には深くお詫びします。
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2008/6/21

構造改革批判は平成の西南戦争。  

ブログ界では、周期的に、「小さな政府」を目指した小泉構造改革が正しかったのか、正しくなかったのか、銀行の不良債権処理は正しかったのか・正しくなかったのか、といった全く後ろ向きの議論が繰り返される傾向があります。

実際に、小泉政権の時代でも、道路公団の民営化や様々な天下り先のある政府系金融機関の民営化や郵政民営化などなど、「小さな政府」は断行された。小泉政権は、公共投資をはじめとする国債の新規発行額は30兆円以内で収める公約は果たした。その一方で、財投債などの国債もどきの発行は増えていた。公共投資は小泉政権時代には抑えられたが、新しく介護保険などのが発足して、土建業以外ではこれといった産業のない地方としては、土建業者に代わって介護産業が新しい「公共事業もどき」の産業として育成されている。
そして、10年近く棚上げされていた銀行の不良債権処理も断行された。

これは、どういった立場の人々に肩入れするか、で、小泉政権が正しかったか正しくなかったかの見方が分かれてしまうのだ。
旧態依然とした大手都市銀行や地方銀行や建築業界や土建業界の味方をしたい人々や、霞が関の権限を守りたい人々や、放漫な経営をしていた大企業寄りの人々は、やはり、小泉政権を「正しくなかった」と批判したいようだ。

小泉政権が間違っていたと主張する人々の多くが、この時代に中高年の自殺者が急増したことをまず第一義的に指摘しているが、この指摘も間違っている。
下のグラフをご覧いただきたい。

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日本では健康上の理由で自殺する人々の割合が一番多い。日本国内では、健康上の理由で、働きたくても働けない人々が自殺してしまう。ここ10年ほど、こういった自殺者は年間1万5,000人前後で(安定して?)推移している。
日本という国は、ここまで豊かになっても、「働けない人々」には大変厳しい国なんだと改めて思う。
次いで多いのが、「経済生活問題」による自殺だ。「経済生活問題」での自殺者は、バブルが完全崩壊した1990年代半ばから急増して、銀行の不良債権処理が断行された2001年を境に、減少傾向に転じている。

小泉構造改革が「全くもって正しかった」とは私も言わない。SafetyNetを整備しないままの「構造改革」は、霞が関や大手都市銀行や地方銀行や土建業者や放漫な経営をしていた大企業にとっては、まったく冷酷なものであった。

けれども、あの時期、構造改革を棚上げして、銀行の不良債権処理を断行しなかったら、日本株式市場がV字回復もしなかったどころか、「経済生活上の困窮」自殺者数もそのまま急増し続けただろう。

大手都市銀行や地方銀行や建築業界や土建業者や放漫な経営をしていた一部大企業の中高年以上の従業員の人々にとっては、長い優雅な生活の中で身についてしまった生活を「切り詰め」へと切り替えなければならず、そういった中で、身の丈以下の生活がどうしてもできなかった人々は、サラ金に流れたりして、そのせいで家庭が崩壊したりした。これらが引き金になって、自殺してしまった人々には、私も彼らの「人間的な弱さ」には涙するし、彼らの冥福を心から祈りはする。

けれども、小泉改革を断行しなかったら、大手都市銀行をはじめとする既得権益の人々以外で、もっともっと多くの自殺者が(特に若者や中小零細企業者から)出てしまっていたことだろう。小泉改革を断行しなかったら、2001年以降も自殺者の増加は中小零細企業や若者かた続出していただろう。もちろん、個人の自己破産の件数も、2003年以降も増加を続けていだろう。

既得権の中高年以上の人々の立場に味方するのか、あるいは、中小零細企業で働く人々や21世紀の全く新しい環境にそれなりに適応しつつある若者たちの立場に味方するのか、で、小泉構造改革への評価は真っ二つに分かれてしまう。前者があんち小泉構造改革派で、後者が改革推進派だ。まっぷたつの分かれるのも当然だと思う。
そして小泉政権を「正しくなかった」と批判したい守旧派(アンチ改革派)の人々は、いつの時代も自分にとって都合のよい統計しか使わないし、あるいは、統計さえも使わないで、経済に疎い人々を巻き込もうとしている。
今頃になって、小泉構造改革を批判する人々や当時の不良債権処理を批判する人々は、明治維新後に士農工商の身分制度を復活させたいとして起きた西南戦争をどことなく彷彿(ほうふつ)とさせる人々だ。
明治維新後に、士農工商が廃止になって、武家出身者の人々は、それぞれ新しい職業を見つけて、新しい時代に適応せざるを得なかった。けれども、新しい環境に適応できなかった一部の武家出身者たちの恨みが骨髄に達して、九州に結集して起きたのが、西南戦争だ。
西南戦争は一応鎮圧されたが、その後、その精神は日本陸軍を中心にして「中国進出」「ロシア進出」の日本国内の「外征派」へと受け継がれてゆく。

このブログでも繰り返し記しているが、小泉政権の最大の失敗は、障害者福祉の切り捨てであり、母子家庭福祉の切り捨てである。
この「むごさ」は、そうでない多くの人々の魂を揺さぶって、一般の経済音痴の人々たちをして、アンチ小泉構造改革派・守旧派に合流させている。

2001年当時、本当に小泉政権時代の「構造改革」「緊縮財政もどき」(財投債の発行残高をも含めると、一般に信じられているように、「小泉政権は緊縮財政を断行した」わけでは実際には決してなかったのだが・・・・小泉政権は公共投資は削減したが、それに代わって、介護制度の充実を促進した。財投債を含めると小泉財政は決して緊縮財政ではなかったのだ。)は実際問題として間違っていたかどうか・・・。

この点を判断する上で、注目すべきは、

@1990年代末から、2001年にかけて、日本国債は、世界有数の格付け会であるスタンダードプア社やムーディー社から、二度に及ぶ格下げを受けていたのが現実だった。

A放漫財政が引き金となっていたイタリアでは、1990年代半ばに実際にキャピタルフライトが起きて、イタリア自国民によってリアが売り浴びせられていた。イタリアリラがどんどん安くなっていた。このイタリア・リラ安は、イタリアが緊縮財政を達成した後も止まらず、イタリアリラは2001年まで売り浴びせられて、2002年になっても、リラ高には転じていなかったという現実。

B最近になって、やっと日本国政府の1年間の税収よりも、日本国政府の超キャッシュリッチな資産が注目されるようになったが、日本国政府の資産そのものを見直す動きは、2000年に始まったばかりでああった。日本政府が実際にどの程度の資産リッチであるかは、判明していなかった。2001年当時は、日本国政府が超キャッシュリッチであることが、少しづつ判明し始めるが、それと当時に、超巨大な公的年金の債務(簿外債務のようなもの)の実態も明らかになり始めていて、日本の財政の健全度はまだまだ明らかになっていなかったという現実。

以上、3点の現実からは、小泉政権時代の財政は、緊縮でもなければ、積極でもなく、現実問題としては、そこそこ政治的な妥協点としては妥当なところではなかったかと、やはり今になっても私は思うのである。

グローバリゼーションの正体(冷酷さも懐の深さも兼ね備えていること。世界の債券マーケットでは実際に何が起きているのか???)がはっきりするまで、当時としては、まだ2〜3年の歳月が必要だったように思う。
「金利の収斂仮説」は立てられ始めていたのだが、2004〜5年あたりまでは、グローバルな債券市場では実際に何が起きているのかは、まだ実証されていなかったと記憶している。
こういった実証を待たずして、上述の三点を考慮すると、2001年当時、小泉構造改革に反対して、公共投資を中心に積極財政を説いていたた人々は、大変な「生体実験」を提唱していたことにもなる。さらに、当時、公共投資を中心にして積極財政を説いていた人々は、霞が関寄りの「21世紀型の士農工商」復活を提唱していた「血も涙もない人々」であったとも指摘できるのである。
こういった国家主導のケインズ主義的な人々が、日本経済をスタグフレーションに落とし込んで、「今時の若者はなっとらん!」と言い始めて、志願兵とは名ばかりの事実上の「徴兵制」を復活させて、あっけなく戦争を始めたりするのは歴史が既に証明している。

【追記】一部読みやすいように手直ししました。
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2008/6/19

オプティミズムは生来の悲観主義をしりぞけるための意志的判断。  

自分のつたない書籍を書きあげる上で、確かめたい数値を探すために、自分のブログ内の検索コーナーを使っていたら、それを飛び越えて、2007年3月4日の梅田望夫Blogの引用が出てきた。

久しぶりに読んで共感の嵐で胸が一杯になって感動したので、もう一度抜粋引用して、読者の方にもご紹介します。

・・・・以下、全文抜粋引用 始まり・・・

オプティミズムは「意志」だったのだ。あまりにも激しく同意したので、全く持って久しぶりに感激してしまった。以下、梅田望夫氏のMy Life Between Silicon Valley and Japan
の2月28日のブログ記事悲観主義とオプティミズム を 私のブログでも、一部引用してご紹介ます。
・・・(中略)・・・ある日、東京で気のおけない親しい友人たちとオプティミズムの話になった。「ウェブ進化論」のオプティミズムを誤解する人が多いね、という話がよく出るが、その日もそんな話になった。オプティミズムとは、生来人間は素晴らしいものなんだから「世の中、ほっておいても何とかなるさ」みたいな呑気でいい加減な考え方とは全く違うものだ。オプティミズムの本質を全く理解せぬまま、オプティミズムはけしからんと言う人が多いね、というのは僕もよく思う。

ところで別の友人との集まりで、話がなぜかそちらのほうに流れ、アランの「定義集」の話になった。僕が敬愛してやまない森有正(ぼろぼろになるまで読んだ四冊の本)は、哲学者アランを師と仰ぎ、ライフワークの一つとして「定義集」を翻訳した。
・・・(中略)・・・
シリコンバレーに戻って、ベッドに横たわりながら「定義集」をぱらぱらと開いていたら「悲観主義」という項があるのにぶつかった。

(以下、アラン「定義集」より抜粋引用)
悲観主義 PESSIMISME
[これ] は自然的なものであってその証拠[PREUVE]に満ちている。何となれば人は誰でも煩悶[chagrin]、苦悩[douleur]、病気、或いは死を決して免れ得ないからである。元来悲観主義は、現在は不幸ではないがこれらの事柄を予見している人間の判断である。悲観主義は自ずから体系の形をとって表現され、(そう言ってよければ)好んであらゆる計画、あらゆる企て、あらゆる感情[SENTIMENT]の悪い結末を予言する[:PREDICTION]ものである。悲観主義の根底は意志を信じないことである。楽観主義は全く意志的である。

(以上、アラン「定義集」より、抜粋引用終わり)

読んで驚いてしまったというより、感動した。

これこそがまさに「定義」だ。

・・・(中略)・・・

「感覚」から「経験」へそして「定義」へと進化していった森有正の思想とアラン「定義集」の接点は、この悲観主義についての「定義」を読むだけでも十二分に伝わってくる。そしてアランが選び抜いた210語の中には、この「悲観主義」に加えて、「楽天主義 OPTIMISME [・楽観主義]」も存在することを知った。

(以下、アラン「定義集」より抜粋引用)
オプティミズムは、生来の悲観主義[PESSIMISME]をしりぞける為の意志的判断。
(以上、アラン「定義集」より抜粋引用 終わり)

で始まる十行ほどの文章で「定義」されている。

「ウェブ進化論」のあとがきで、僕はこう書いた。

(以下、「ウェブ進化論」から抜粋引用 始まり)
シリコンバレーにあって日本にないもの。それは若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する「オプティミズムに支えられたビジョン」である。

全く新しい事象を前にして、<いくつになっても前向きにそれを面白がり、積極的に未来志向で考え、何かに挑戦したいと思う若い世代を明るく励ます。それがシリコンバレーの「大人の流儀」たるオプティミズムである。

もちろんウェブ進化についての語り口はいろいろあるだろう。でも私は、そこにオプティミズムを貫いてみたかった。これから直面する難題を創造的に解決する力は、オプティミズムを前提とした試行錯誤以外からは生まれ得ないと信ずるからである。(p246)

(以上、「ウェブ進化論」より抜粋引用終わり)

オプティミズムとは、まったくもって「意志」の問題なのである。死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ、ということを、僕はいまも相変わらず言い続けたいのである。


そうなのだ・・・オプティミズムの「意志」はとても大切なのだ。そして 私個人は、この「意志」は時折くじけそうになりながらも、「根性」や「根気」や「闘争心」だけでは長続きしないもののような気がしてならない。
不詳貞子は、このオプティミズムとペシミズムとを分ける「意志」こそは、自らを律してゆこうとする「自律心」(ある程度は自らを律し続ける強い心)と「向上心」「好奇心」「ワクワク心」を、そこそこ持ち続けていたら、このオプティミズムの「意志」こそは、そこそこの持続可能性を秘めて来るような気がしてならない今日この頃である。

・・・・以上 全文抜粋引用 終わり・・・・


夕方になって、書籍を書き進めるのに疲れたので、ソファーにゴロゴロ横になって、とある本を眺めていた。


ISOLOGUで紹介されていた、ネットイヤーグループ取締役社長兼DEOの石黒不二代女史の言われた仕事はやるな!だ。

面白い!

彼女と私は、たぶんほとんど同年代なんだろうけど、たぶん性格は正反対のような気がする。
こういったバイタリティーあふれる優秀なキャリアウーマンの文章の隅から隅まで、すこぶる共感して読んでしまうのは、何故だろうか・・・。

生い立ちが似ているからであろうか・・・。
父親が経営者で、幼年時代はそこそこ裕福な家庭で育って、父親の稼業が大学進学直前になって急速に傾いてゆくという彼女の青春時代は、まさしく、私の青春時代と同じであった。
そんな中で、石黒女史が何を考えて、どう行動していったか、全く正反対の軟弱な人生を歩んできてしまったこの私でも、なぜか手に取るように、びんびん伝わって来た。

彼女が記しているシリコンバレー精神も、シリコンバレーの近くを観光で通り過ぎたことはあっても、シリコンバレーで暮らしたことのない私が、とても共感してしまうのだ。

人生は本当に短い。
広大な宇宙の歴史の中で、一瞬だけ誕生した地球という惑星。
その一瞬の惑星の上で、刹那の人生を与えられた人間。
絶望や諦めや悲観も、人間が見る一瞬の夢幻かもしれない。
一筋の希望や夢や、強い意志に裏打ちされたオプティミズムも、人間が見る一瞬の夢幻かもしれない。
同じ短い刹那の人生なら、絶望や諦めや悲観という幻を夢見るよりも、希望や夢やオプティミズムという名の夢幻を見て生きてゆきたいと、32歳を過ぎたあたりから、奥手だったこの私でも強く思うようになっていたような気もする。

取り急ぎアップ。
誤字脱字誤変換お許しください。

みなさん、おやすみなさいませ。

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2008/6/18

グローバリゼーション時代のマネーの懐の深さ。  

いま、ナレッジフォアの仕事とは別に、とある出版社の方々のお力添えで、私が15年以上追い求めてきた「日本型のSafetyNet」についての書籍を書きすすめているところです。
ブログの更新がおろそかになりがちになるかも知れません。
愛読者の方々には申し訳なく思っています。

第一章の末尾まで書き進めながら、いろいろ関係者の方と議論していたら、ある重大な点を見落としていたというか、私個人は、うすうす気がついていたけど、世間では、あまり強調されていない点に気がついたので、こちらのブログでも記しておきます。

その一点とは、「もっと強調されるべきグローバリゼーション時代のマネーの懐の深さ」といった面です。これを日本国内の絶対的弱者への救済や絶対的貧困者への救済に利用しない手はないと、はっきりと私個人も気が付きましたし、はっきりと意識しはじめました。

以下、書籍になるはずの本文を一部抜粋引用


【懐が深い面もあるグローバリゼーション】グローバリゼーションが進む21世紀では、さまざまな分野で国境が消し去られている。グローバリゼーションが進む21世紀では、商品市場でも労働市場でも金融市場でも、まさしく世界はフラット化して、大競争時代に突入している。

みずから国境を超える勇気とチャンスを持つ人々や、みずから国境を超える勇気とチャンスを利用できる大企業に就職できる人々にとっては、グローバリゼーションは大きなチャンスと生活の豊かさを与えてくれるし、これからも与えてくれるだろう。

その一方で、せっかく日本のような先進国の中で産まれ育っても、みずから国境を超える勇気や機会に恵まれなかっただけの人々は、国内の中で置き去りにされてしまう。たとえば、彼ら置き去りにされた人々は、安い賃金で働く新興国の労働者たちとも、フラット化した労働市場で競争しなければならなくなっている。ちょっとだけ勇気や機会に恵まれていなかっただけの人々にとっては、いまだかつて経験したことのない経済的な不安を抱いて生きてゆかないといけないのが、グローバリゼーションの厳しさ・冷酷さなのである。
・・・・・(中略)・・・・
ただし、グローバリゼーションが進む21世紀でも、いやグローバリゼーションが進む21世紀だからこそ、私達が決して忘れてはいけないことが一つだけある。

世界の余剰マネーにだけ限って見れば、21世紀のグローバリゼーションは、「懐の深さ」さえも併せ持っていることを私たちは決して忘れてはいけない。
グローバル化が進むマネーの世界では、グローバリゼーションといえども「懐が深い」部分をも併せ持っていることは、もっともっと日本国内でも強調されてしかるべきである。
グローバリゼーションにだけに恐れおののいていてはダメなのだ。グローバルマネーの「アバウトだけど懐が深い」という長所にも目を向けて、この長所を私たちは国内の絶対的貧困や絶対的弱者への救済(SafetyNetの充実)に利用しなければいけないし、利用しない手はない。

21世紀では、世界の余剰資金は年々歳々膨張を遂げて、21世紀ではおよそ160兆ドル。・・・(中略)・・・
この超膨大な世界の余剰資金160兆ドルに比べると、世界ではなかなか優良な投資先が見当たらないというのが実情だ。・・・(中略)・・・・

だからこそ、世界の余剰マネーは大変アバウトでヤカマシイことはあまり言わないのだ。グローバルゼーション時代の世界の余剰マネーは、厳然と「懐の深いこ」ところをも併せ持っているのである。日本国内で見捨てられていた人々以外でも、最貧国以外のそこそこ開発が進んでいる世界各地に対しても、「懐の深さ」をも併せ持っているのがグローバル化した21世紀のマネーである。

具体的には、グローバル化が進んだ21世紀では、あの南アフリカ国債にさえも、金利が10%前後に落ちるまで、世界の余剰マネーのごく一部が流れ込んで、買い支ている。アフリカランド国債の金利が10%前後でも、世界中のマネーがアフリカランド国債を買い支えるというような事態が起きるとは、20世紀の古い金融の世界の理論・常識では、全く予想さえも出来なかった現象である。
・・・(大きく中略)・・・
もし仮に日本国債の金利が他の先進国並みに3%台になったとしたら、どうなるだろうか。何が起きるか?
世界の余剰資金160兆ドル(1.6京円)の一部が日本の債券市場へ流れ込んで、日本国債を買い支えるだろう。そうなれば、日本の国債発行残高が少々増えたとて、膨大なグローバル余剰資金が日本国債を消化してくれるだろう。かように、日本国内の長期金利の急騰は理論上起きないからやはり起きないのだ。
・・・(大きく中略)

21世紀になって金融(マネー)をめぐる環境は激変した。
マネーをめぐるグローバリゼーションは「懐も深い」面をも厳然と保有しているのだ。
だからこそ、新しい金融理論を、「日本国内の見捨てらてた人々、置き去りにされた人々へのSafetyNetの充実に利用しない手はない。いや、この新しい金融環境と新しい金融理論を、「日本国内の絶対的貧困者や絶対的弱者への救済・SafetyNet」に応用して実践しないことは、経済学を志す人間にとっては、恥以外の何者でもない。

ということで、私は応用しようとしているのですが・・・・。

私個人ももっとブログで書籍の内容を公開したいのですが、ブログを継続したり、福祉関連でいろいろな下調べをし続けておりますと、図書費用や交通費をはじめとして、それなりにかなりの経費が必要です。(年間100万円以上は軽くかかります。)
そういった経費の一部は、今回の図書出版でちょっとだけでも補えたら良いなぁ〜〜っと思っています。

というわけで、まだ題名もあやふやな福祉関連の具体的な政策提言についての私の書籍の出版の宣伝でした。(^^:汗〜。


こんな感じで書きすすめておますと、構想はすでに出来上がっておりますが、現実に書きすすめたり、いろいろな方のお力添えをいただいたり、貴重なアドバイスを受けたり、素朴な質問を受けてみたりして、自分でも思いもかけなかったアイディアが新しく浮かんだり、あるいは、自分でもうっすらとしか気が付いていなかったことを、改めて明確に意識できたりして、やはり、書籍を書きあげることは、自分にとってもとても勉強になると痛感できています。

ブログと同じくらい、あるいは書籍の場合はもっともっと不特定多数に対しての責任が伴うかもしれないので、かなり綿密な下調べが必要な分だけ、書籍を書きあげるというのは、とても勉強になる作業だということが、よく理解でき初めています。

私は今まで社内レポートを記した経験があります。(翻訳の仕事の時も、社内レポートでした。)私は、社内限定の特定多数相手の、専門用語を使えるレポートを書くのは慣れていたようなところはあります。私の場合は、社内限定レポートだったので、読者が特定できましたし、自分が書いたレポートが増刷されて、1000レポートを超えるということは、一度しか経験したことがありませんから、たいていは気楽に書けました。

けれども、専門用語を使わない下書きなしのエッセー風のブログの場合は、私はまだ、自分のブログのアクセスが5000以上になると、読者が不特定多数ですので、よほどのことがない限りアクセス解析しませんから(アクセス解析もけっこう時間がかかります)、ブログを書くのときは、ちょっと緊張する癖がまだまだ抜けません。
ブログ創設当時は(このブログでも記していますが)、不特定多数の方に100〜200アクセス(?)訪れて頂いただけでも、当初は、私は緊張と驚きで、胃の中のものを吐いてしまったのは、今でも記憶に残っています。(お食事中の方には、失礼しました・・・。)

アクセスが減ってきたので、今日はブログを更新できました。

取り急ぎアップ。
相変わらず誤字脱字誤変換多いと思いますが、お許しください。
(ワードを使ったら、誤字脱字誤変換がなくなるのは知っているのですが、ブログだとついつい下書きなしの「べた打ち」がしたくなります。)
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2008/6/12

「福祉」についてだけの私の過去ブログ。  

意図せずしてアクセスが増えてしまったので、以下、ここ1年間だけの、日本の福祉政策についての(覚書程度の)私のブログ記事を張りなおしておきます。

多くの方に読んでいただいて、私のつたない「日本型福祉政策」についての考察(覚書)を読んでいただけたら幸いです。いろいろ前向きな批評をしていただいて、今後とも精進に努めたいと思います。

ちなみに、ブログ開設当初から、私は国内の福祉の充実には、一番力点を置いています。

そもそも、我が娘が1歳半になった瞬間、わたしは、「福祉や年金にだけに使途(使い道)を限定した国債発行」を猛勉強し始めたのですが、この発想では、当時でも、「この発想だと、やはり、厚生労働省に無駄に食いつぶされてしまう危険が多い」とすぐに気づいて、福祉政策としては効果が少ないことは痛感しました。
当時の発想について、詳しくは2005年8月26日の私のブログ記事→年金目的だけの個人向け福祉国債発行を実現しよう♪1〜4。(今読み返すと、まだまだ、つたない内容です。)

けれども、同じことが今でも言えます。
福祉目的税などというものを財務省は導入しようとしているのですが、今の「大きな政府」のままでは、この福祉目的税も、また、わたし達の大切な税金を霞が関や厚生労働省に無駄に食い物にされてしまうだけです。

長い読者の方ならご存知ですが、「福祉と国債」が、ここ15年以上の私のライフワークになっています。

長い読者の方でないとご存じないと思いますが、私には持病(15年以上前に生存率2割程度の病気をして、その後遺症)がありまして、そういったわけで、私は、今でも、請負とかパートタイムでしか働けません。

ただし、15年以上前に大病したおかげで、私は福祉に強く興味を持つようになりました。
闘病中は、お金がないだけでどんどん死んでゆくしかない多くの同じ病の人(しかも若い人も多かった!)を目の当たりにしました。人の死は誰だって魂を強く揺さぶられるのです。
だかこそ私のSafetyNetの充実への思いは真剣なのです。
そういったわけで、私は、SafetyNeの充実には、尋常ならざる熱意を抱いているのです。

熱意というよりも執念に近い私の15年にわたるライフワークが、とある出版社で働く愛読者の方の目にとまり、その人のお力添えで、私の思いは、この12月に本になる予定です。
今年12月を目標にして、私は日本型のSafetyNetの具体的なツール(具体的な政策内容)の本を書きあげる予定です。
この本では、インフレターゲット理論も応用しています。

以下、自分への覚書として、福祉に関する私の過去のブログ記事を、もう一度リンクにして貼りなおしておきます。興味のある方は是非とも飛んで行って、ご熟読ください。

今夜は全部リストアップできませんが、「福祉」というキーワード一つだけでも、私のブログ内検索コーナー(ブログのカレンダーの下)で引っかかって出てきたものだけでも、以下、ご紹介。

「国債」「SafetyNet」「インフレターゲット」というキーワードですと、もっともっと多くの福祉についての私の過去ブログ記事がブログ内検索コーナーから出てくると思いますが、今夜は疲れているので、ここまでです。

以下をざざっと一読なさったなら、「なぜ、私が福祉や弱者保護について、いくら熱意があっても、無味乾燥な権力批判ばかり繰り返すだけで、福祉政策について具体的な代替案を示さない人を、すぐには信じられないか?」という心情は、充分ご理解いただけると思います。

日本の政府は借金も世界一だが資産も世界一。 

国債をもっと発行しても日本は破たんしないと思う。

日本国内の税制改革の頓挫と消費税大幅値上げ風潮の行く末 

<u公的年金の運用は危ないか?へのお答え。(もう一度張りなおす)></u>

フリーターの敵は厚生労働省です。  

特別会計の経済学(消費税は上げなくても済む!!!)

改革が進まなくても 生き延びる!(日本版401Kの勧め)。  

「帰属意識」と「自壊する行政府」と「べーシック・インカム」。 

久々に財政破綻と公的年金問題とインフレ 1〜2

サブプライムローン問題はノンリコースローン制度と表裏一体。

豊かな暮らしのためには『国民総背番号制』は必要だ。  

年金が欲しいならグローバル経済&資本主義を好きになれ!1〜3

アメリカやイギリスは錬金術か?2(『愛しき日々』おまけ)  

現行の介護保険制度は公的年金制度より悪質。3

「資産運用を今から始めたい初心者の方へ」と「ファンド資本主義ならぬファンド社会主義の勧め」

と、2007年6月まで遡ったら(さかのぼったら)、息切れがしてきたので、今日はここまでです。

以上、ここ1年だけに限った私の「福祉」というキーワード一つだけで検索できた過去のブログ記事のご紹介です。

繰り返しますが、「国債」「SafetyNet」「インフレターゲット」などのキーワードで、このブログ内(カレンダーの下)の検索を使うと、もっともっともっと沢山の私の過去のブログ記事が出てくると思います。ご興味のある方は、ぜひともこういったキーワードでも検索して実際に読んでいただけると、とても幸いです。

はやとちりしてブログを荒らす人が少なくないので、今夜はコメント欄とTBを承認制にして休みます。
(((ちなみに、いくらメールアドレスを記さなくても、今のIT技術では、IPアドレスだけで、あなたの住所と職業は、すべて解析でピンスポットで分かるようになっていることは、お忘れないようにお願いします。)))

【追記】一夜明けて、読みやすいように文章を手直ししました。
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2008/6/12

昨夜の私のブログ記事に植草教授の反論がありました。  

植草教授から、昨夜の私のブログ記事について、情緒的な反論のような言い訳のようなものがありました。詳しくは「貞子ちゃんの連れ連れ日記」藤井まり子氏への反論


「植草氏がインフレターゲット理論を駆使できないでしょう」というのは、私の勘違いでした。それは深く謝罪します。本当に植草氏には申しわけなかったです。
しかし「・・でしょう」という私が使った「推論箇所」部分だけを植草氏は切り取って、ご自分のブログでアップするのは、なんか、おかしいですよね。
私は間違っているかもしれないから「推論」の「でしょう」を使っているのに、あたかも私が断定した表現を使ったように切り取って、なぜ植草氏はご自分のブログでアップする必要があるのでしょうか?詭弁を使うのでしょうか?

さらに、彼からTBさえも来ないのはどうしたものなのだろうか?
(アクセスが急に増えているから怪訝に思ってアクセス解析しけど、もし仮に私がアクセス解析しなかったら、私は教授の反論さえ気が付かないまま暮らしていたのです。本当に、教授って、手の焼ける人ですね〜〜〜。)
彼は、今は精神的に疲れているから、建設的な前向きの議論をする気には、まだなれないのだろうか?今はいろいろと辛い時期だろうから、それだったら、人間としては理解できる。
あるいは、まだブログ慣れしていないので、TBの送り方が判らないのでしょうか?
以上2点が違っているとしたら、単純に彼は、陰口はたたけても、前向きな議論はしたくないだけなのでしょうか?
あるいは、AOLには良くあることですが、時々TBを受け付けないことはあります。だったら、コメント欄に反論を記してくださればよかったんです。単純な話です。

私が一番植草教授から直接聞き出したかった「弱者保護」への具体的な代替案だったのだが、彼の反論の中では、またしても具体的な代替案が一切記されてなかったなかったので、とても残念です。
彼ほどの優秀な頭脳の方なら、具体的な代替案は出せるはずなんです。


私はこういった時期ですので、もし可能なら、日本のSafetyNetについて、植草氏とネット上で大同団結したいのです。
けれども、今の彼は、なんか違和感がある。
それが何かよく判らないから、昨夜の私のブログ記事になったのです。

私は彼を応援したいんです。大同団結したいのです。
けれども、一歩間違えると、彼の理論は、日本経済全体をゼロサムゲームあるいはマイナスサムゲームへと落とし込む危険をも内包しているような気がしてしまうのだ。

彼は、いまは時の人:高橋洋一氏の図書も1〜2行ほど引用しているが、自分にとって都合の良い箇所だけの引用だ。言い換えたら、自分にとって都合の悪い箇所は引用しないのだ。
ちなみに高橋洋一氏は、竹中平蔵氏のブレインだった。

私がフィナンシャルジャパンの請負をしていることを、彼はブログ内でとても重要視しているけど、私は請け負いライターなので、フリーなのだ。木村 剛氏へ義理を感じる必要は一切無いから、請負なのだ。それが請負ライターの自由なところなのだ。嫌になったらいつでも止められる。幾度も言うが私はフリーなのだ。請負とはフリーという意味なのだ。
けれども、彼のブログ記事から一部抜粋引用すると、
藤井氏はせっかく得た仕事を失わないように、急きょ私を攻撃する記事を掲載されたのか、元々、私をおびき寄せるために痴漢冤罪の記事を執筆されたのではないかと推察する。確かめようがないからそのことには深入りしない。

なのだそうだ。
推察がお好きなようだけど、推察も程度問題です。
はぁ〜〜〜〜〜???ですよ。
「仕事を失わないために???」「おびきよせるために????」
はぁ〜〜〜〜???ですよ。
「確かめようが無い」って、その気になったら今すぐ確かめられるじゃないですか!!!!
でたらめばっかり抜かすな!!!(笑)

第一、私は請負になってからは、木村氏とは一度も直接話をしていない。いろいろな仕事を持っている人間は、みんな、そんな暇は無いのよ。

第二に、私はブログと請け負いライターと、さらには今は、とある出版会社からの依頼で「国債と福祉政策」に関する図書も書き進めている。目次はほとんど出来上がっているので、後は、自分の具体的な福祉についての今までのブログ記事を使って肉付けをするだけだ。
そして私は子育てもしているし、家事もしている。
こういった新しい環境に慣れたら、請負ライターとして、フィナンシャルジャパン以外でも働く意思も持っている。6足目のわらじを履いても良いとも思っている。

第三に、彼は、ブログの中で またもや、ひとつの重要な真実を隠しています。
わが夫と植草氏は長年の知り合いです。
一時期、わが夫はほんのちょっとですが、植草氏の社会復帰に非力ながら尽力した時期があります。(具体的には、愛知県在住中に、『彼ほどの頭脳の持ち主を埋もれたままにしておくのはもったいない」ということで、当時●●会長だった●田氏と植草教授との会見に、わが夫がちょっとだけ尽力したような話は聞いています。)
(【追記】今夫に聞いたことですが、紹介者については、私の記憶違いでした。わが夫と植草氏の関係については、正しく植草教授のご指摘どおりです。この点については・・・植草氏には深く心の底から謝罪します。本当に申し訳ないです。)

そういったわが夫の分け隔てない行動も、私は今でも誇りに思っています。
だから、私が誰であるかは、狭い日本の金融村の中で、植草氏は私のプロフィールを読めばする判ったはずです。判らなかったら かなりの馬鹿だ。
だから、彼のブログ記事の
藤井氏はせっかく得た仕事を失わないように、急きょ私を攻撃する記事を掲載されたのか、元々、私をおびき寄せるために痴漢冤罪の記事を執筆されたのではないかと推察する

が、まったく根拠が無い「誹謗中傷」であることは、植草氏自身が一番良く理解しているはずなのだ。
「せっかく得た仕事を失わないため」って、なにそれ???
我が家が経済的に困窮していないことは植草氏が一番よく知っているでしょう?
明日仕事を失っても私はまったく困らないのは氏が一番良く知っているでしょう?
それを一番良く知っているのは植草氏じゃないの?
愛知県にいた頃は、わが夫も非力ながら、植草氏復活に尽力したではないですか?覚えていないの?

教授が、私がフィナンシャルジャパンの請負タイラーになったことだけを針小棒大に解釈するのは、なぜだろうか?

単純に教授は木村 剛が嫌いなだけなのか?
そりゃ 確かに 私も木村氏の一部分は好きじゃないですよ。

けれども、好きか嫌いかじゃなくって、木村剛の言っていることは、やっぱりいつも本当のことなのよ。

我が家も実際に「401K的なもの」が是非とも必要だと思って企業創業したのは、教授はご存知ではないのか?

福井(当時)日銀総裁と木村剛氏と竹中平蔵一氏が一緒に写真に並んで写っただけで、みなが同じ意見でみながツルンデイルと勘違いするのは、なぜだろうか?

だったら、教授の理屈からは、今は時の人:高橋洋一氏も竹中平蔵とツルンデいたことになるのだろうか?


あるいは、教授が、請負ライターなどというフリーな肩書だけで、魂を売る人間がこの世にごろごろ存在すると思いたいのは、なぜだろうか?

わが夫とともに私は植草氏が復活することを切に希望しているし、今も希望しているのだ。
そのことを一番良く知っているのが教授自身ではないか?
私は、だからこそ、弱者保護の具体的な中身を教授自身から是非とも聞いてみたかったのです。

ブログ上で、最初に小異を捨てて大同団結することをブロガーに呼びかけたのは、植草教授からではないか?
だから、私は昨夜のブログ記事をアップしたんです。
あなたの言葉を真に受けた私がお馬鹿で人が良すぎたのか?
無条件で大同団結するのはいくらなんでも無茶だ。子供じみている。

わが夫と教授が知り合いであるから、ある程度、安心して気楽に昨夜のブログをアップしたことは、私の片手落ちだったかもしれない。一部表現に行き過ぎがあったかも知れない。その点は深く謝罪します。というか、私が教授を信じすぎたかもしれない。
けれども、私が誰であるかを一番良く知っているブロガーの一人が、教授じゃないですか?
「中傷記事」と黒く塗す必要がまったく無い人物そのものが、教授自身ではないですか?
それなのに、具体的な政策を示さないまま、私のブログ記事を「中傷記事」と黒く塗りつぶすのは、どういったわけでしょうか?
教授わかりますか?
小異を捨てようとしても、方向性が大きく違っていたら、福祉政策でも成功しない確率が高くなるのです。福祉政策でも、持続不可能な政策なら、ブロガーとて無条件で大同団結出来ないのですよ?
本気で弱者保護する熱意があるかどうかは、あなたに直接会ったことがない私としては、貴殿に福祉について具体的な代替案があるかどうかで判断するしかないじゃないですか?

文字情報交換しているだけじゃ「ラチ」があかない。
いつでも教授に実際に会う準備はあります。
当方としては、わが夫をはじめとして、過去においても、教授とは小異を捨てて大同団結はいつもしてきたわけですし、これからも大同団結する準備はあります。
でも、植草教授の「貞子ちゃんの連れ連れ日記」藤井まり子氏への反論ブログ記事は、私が誰であるかを一番良く知っているはずのブロガーの一人である植草教授としては、馬鹿げた、あるいは、あまりに誠実さに欠けた反論ではないでしょうか?

植草氏の誠意の無さには一時的にでも興ざめした。義理の無さにも一時的にでも興ざめした。
しばらく、放置。
こんなこと(植草氏との大同団結の可能性)に、自分の貴重な時間とエネルギーを裂いた自分の馬鹿さ加減と人の良さに自分でも情けなくなってきた。私も、人が良いのもほどほどにしようと痛感した。
私だけは、21世紀の日本らしいSafetyNetno研究を書き進めますから・・・。

【追記】教授の今は辛い時期だろうから、疑心暗鬼になるのは人間としては仕方ないと思うから、教授が疑心暗鬼でなくなってから、私は教授とは、大同団結します。以上。
いくらなんでも、教授の全人格まで受け入れるのは、私は神様じゃないから無理。
ちょっとだけ相手の大物度を信頼して批判したら、過剰に反応して「中傷」と判断する「小学生のような幼児性」から抜け出してくれない限り、私は教授と大同団結するのは無理。以上。
教授、あなたが精神的に立ち直るまで、それまで待ってるからね♪
早く立ち直ってください♪

【追記2】誤読する方が多いので、一部分小、もとい文章を手直ししました。

【追記3】
植草教授的な思考回路が広まれば、今後将来、邦銀が再び不良債権を抱えるようになったとき、21世紀の日本では、誰も不良債権処理をしなくなってしまいます。
それくらい、陰謀説は危険なのです。
一歩間違えると、「何もしない完ぺき主義者」に陥ってしまう。
けれども経済は生き物ですから、そういう時期(不良債権処理をする必要が来るとき)が再び来る可能性はあります。現実問題として、今の邦銀は大量の日本国債を抱えているから、将来、日本国債が暴落したら、日本でも不良債権処理は再び必要になります。

日本だけじゃなくって、どの国でも、そういうことは21世紀ではこれから幾度も起きる可能性は高いです。

痴漢冤罪とはまるっきり関係なく、あまりに植草的な思考回路が広まれば、この日本国内では21世紀では誰も不良債権処理をしなくなります。これはかなり危険なことです。
植草氏が疑っている三人の人々と実際によくよく話し合えればよいことなのですがね・・・。
 
少なくとも、私個人は、当時、植草氏が不良債権処理を買って出たという話は聞いたことがない。本人も不良債権処理を買って出たと言っていない。
もちろん、当時、不良債権処理をしたいと考えた人もマイナーだった。そういう勇気ある人は、国内では少数派だった。
あの不良債権処理が完ぺきだったか否かは、こっちにおいて、(私個人も処理の仕方は不完全だったと思う立場です。)、あの頃、不良債権処理を実際にやり遂げる勇気があった人は、わずかだったのです。
当時、「みずほは大き過ぎてつぶせない」という竹中氏の発言も、違和感があったけど、政治的な妥協点としては、そんなものだったと思う。

少なくとも、私は、万が一、間違えて頼まれても、当時は、不良債権処理を断行する勇気はなかった。
自分が出来なかったし行動しなかったことを、他の人がしたとき、その不完全性を後になって批判することは簡単なんです。批判したい気持ちも理解できないではないし、当時は私も批判していた。
けれども、時間がかなり経過して、(金融理論が進歩した)後になってからも未だに批判するなら、自分のほうが正しかったと思うなら、厳しいようだけど、その時、自分がすればよかったんです。
まがりなりにも当時は、邦銀の不良債権処理をしたからこそ、日本経済はV字回復したのです。
外人も日本の株や不動産を購入してくれるようになってので、日本経済が回復したのです。
こんなことは、過去ブログで幾度も記していることだから、私はもう書かないです。
興味のある方は、ブログ内を検索してみてください。
あのイギリスだって、既にウィンブルドン化しているし、今のアメリカだって、今現在ウィンブルドン化を進めている。
21世紀では、「ひと、かね、もの」が流れ込まないと、高齢化した一国の経済は持続的な成長は無理なのです。福祉財源も壁に突き当たります。

こんな話は幾度も去年からブログでアップしています。

【追記4】ぐっちーさんというアルファー・ブロガーに噛みつくことで植草氏のブログがアクセスが伸びていたようです。
最近再びアクセス件数に伸び悩んでいた植草ブログでは、私の昨夜のブログ記事は、「二匹目のどじょう」「カモがネギをしょって居た状態」で、格好の材料だったのでしょうか????(以上 読者の方から聞いた話で真偽のほどは一切定かではない。いくらなんでも、まさかね〜〜〜ですよね?)
一応、私個人は、日本国内では、まだまだ「請負」というマイノリティーに属しているのですが、自称「マイノリティーには優しい」と自任している植草氏は、私がぜひとも聞いてみたい福祉についての具体的な代替案を示すことがない。
本当に、彼はマイノリティーに優しいのでしょうか????
そもそも、「請負」とか全く関係なく、ブロガーって、アルファーだろうがそうでなかろうが、基本はマイノリティーなのです。
まじ、教授は本当に「マイノリティーに優しい」のか???
今日は だんだん、わけワカメ状態(訳が分からなくなっている状態)の貞子からの報告です。
マイノリティーである「請負」で働いていたら、時間を切り売りしているだけなのに、請負の人間がブログで何を書いても尋ねても、「仕事先から仕事を失いたくなくって」書いているということになるのだろうか???

【追記5】個人的に誹謗中傷しているだけの、メールアドレスのない匿名のコメントは削除しています。詳しくは、↓
「あなたを逆追跡♪ブロガーの逆ストーカーにご用心♪」
http://diary.jp.aol.com/applet/newsadakoblog/20080426/archive

【追記6】
教授から再び反論があったので、一応参考までに、
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_aeb7.html
記しておきます。
私が是非とも教授から直接聞いてみたかったことですが、今日も教授からは福祉についての具体的な代替案が無しです.
(T T)。


私は自分の失言については、本文で謝罪しているのですが、あちら教授側の湿原、もとい失言については謝罪が一切なし。
コメント欄もTBの開放も無い。
世の中ってほんとうに不公平ですね。
大学の先生の世界では、さきに自分の間違いを謝罪したほうが悪人になるのかな?
まるでアメリカみたいですね。

どうしようもないので、ブログの公平性を教授並に自力で保つために、私も不愉快なコメントやTBは、どんどん削除しました。
あしからず!!!</font></b>

教授は私と直接話し合えば、すぐ行き違いを正せることは知っているのに、どうしたわけでしょうか?
単純にネット上でプロレスを続けて、ご自分のブログのアクセスを増やしたいだけ?
グッチーさんの次に狙い撃ちされているのアルファーブロガーが私????(T T)あは〜。

やっぱり、今の私は、わけワカメです・・・。

そもそも、「女性にもてたいから東大に行く」のって すごっく健全だと思うのですが・・・。そこまで記さないとユーモアが通じない人なのか???

常に、「ご立派な方」だと記さないとユーモアが通じない方なのかな?
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2008/6/11

冤罪を仕立て上げられた教授が、陰謀論という冤罪を捏造?  

植草一秀の『知られざる真実』のブログをどうしても応援する気になれないのは、なぜだろうか。
私は植草氏は痴漢冤罪だとは思うのだ。
植草氏が限りなく状況証拠だけで痴漢に仕立て上げられたのではないかと、私個人も思う。
では、なぜ、100日以上も留置所に拘留されたのだろうか?
単純に、留置所の警察官(?)がインテリが嫌いだったので、とんでもない不条理な苛めにあっていたような気がする。彼は留置所で、ことごとく、とんでもない苛めにあっていただけなのではないのか?
彼の痴漢も、あくまで後付(あとづけ)の状況証拠で、有罪に仕立て上げられた冤罪なのではないかと私は強く思う。

これと同じ水準で、植草教授自らが植草一秀の『知られざる真実』ブログで展開している小泉政権時代の不良債権処理に伴う『国家規模での「深い闇」』とやらも、いくら読んでも私にとっては、後付けの状況証拠だけの唐突な陰謀論(冤罪)なのである。
彼の「小泉政権時代の2001年から2006年の深い闇」理論とやらの展開も、これまた、植草教授が状況証拠だけで後付けで展開している推論でしかないのだ。

後付けの状況証拠だけで痴漢冤罪を仕立て上げられたら、たまったものじゃないけど、後付けの状況証拠だけで、「陰謀論」まで展開されてしまう政策当局者も、たまったものじゃないだろう。
植草教授の身の回りでとんでもない不条理な苛めがあったことは確かなのだ。けれども、今度はその植草教授自身が、それを国家の陰謀論・謀殺論にまで結びつけるのは、いくらなんでも唐突過ぎて無理がある。この「陰謀論」も一種の苛めだ。


それくらい1990年代後半から2000年初頭までは、世の中の巨大なお金の流れが急速に様変わりし始めていた頃で、政策当局者にとっても一寸先は闇だったのだ。

「深い闇」や「陰謀論」は、経済や市場が苦手な人が使う手法である。
後付けの「陰謀論」にしてしまえば、とても判りやすいし、判りやすいから、経済に苦手な人々の間では、多くの賛同者を得やすいだろう。
けれども、あくまで、科学を志す人なら、「それを使ってはおしまいよ〜」というのが、陰謀論とか謀殺論である。
判りやすいけど、眉唾なのが陰謀論なのだ。

私の中でも、植草教授はとても存在感の薄いエコノミストだった。
彼は、これといった著書が無い人だった。
テレビに出ていた頃の教授は、(私はテレビをほとんど見ないので、彼をテレビで2〜3回しか見たことが無いけど)時事問題に対するコメントもいつも冴えていなかった。とくに社会問題に対するコメントは、鈍器のように、そこら辺のおじさんなら誰もが言うような古めかしい一般常識程度の内容だった。彼は、まったく因果関係の無い社会問題でも、原因と結果を見つけ出すのが上手だった。テレビを見る限り、彼はイワユル普通のインテリだったのだ。

我が家も植草氏から「知られざる真実ー拘留地にてー」を献本いただいてたので、私個人も義理でざざっと読んでみたけど、これほど私をひきつけないエコミスト本というのも珍しかった。内容が情緒だけなのだ。理論が無かった。嘆きだけだった。エコノミストらしい構想も無かった。
エコノミストが書いた自伝的な本なのに、実につまらない退屈な本だったのだ。

さらに、なんというか、彼の青春時代の思い出の箇所になっても、「なぜ経済学部を志したか?」という話題が一切出てこなかった。
青春時代は女性にモテなかった話は出てきても、経済学が好きだった話や熱き志が一度も出てこない本なのである。
こういった男の子は私の身の回りでも普通に多かった。失礼ながら、なんとなく、植草氏も、東大へ行きたかったし、東大の法学部は無理だったから、東大の経済学部へ行った人の一人なんだろうな〜〜〜っという思いが強くした。気のせいか???
この図書からは、東大へ行って女性にモテたかった普通の東大生が中年になって生まれて初めて挫折したときの怨念に近い愚痴だけが印象的だった。私だけか?
この図書からは、彼は自らのエコノミストという仕事への「熱き思い」がまったく伝わってこなかったのだ。私だけか?

それよりも、植草氏の論調が、二度の冤罪事件後に、急速に「母子家庭や高齢者や障害者」擁護論へと寝返って行ったのは、なぜだろうか?
植草氏は、彼ら社会的弱者の「経済学的な無知」を大いに利用して、社会復帰を志しているのではないかとの疑念を、私個人は強く抱いてしまった。
それとも植草氏自身が本当に無知なのか?(あくまで、私個人が状況証拠だけで推理していることなのだが・・・・)
女性の私でも、ここ10年間、「母子家庭や高齢者や障害者」などの社会的弱者の社会保障制度を追いかけていたのだ。教授に急に寝返られると、なんとなく眉つばを感じてしまうのだ。

植草氏は、ブログで自ら認めるように、1990年年代初頭は、住専処理への公的資金注入については大変熱心だった。それは正しい。90年代初頭は、植草氏がエコノミストとしても、一番旬の頃だったのではないだろうか・・・。
その植草氏が、なぜ、後手後手に回ってしまった日本の銀行の不良債権処理の話になると、小泉政権時代になってやっと処理が出来た銀行の不良債権処理の話題になると、突如『あの公的資本注入は「陰謀」だった!』論に変化するのだろうか?
こういった矛盾は、彼のブログの至る所で彼が多用している理論である。

そもそも、彼のブログには将来の「明るい展望」が無い。
過去を振り返ってばかりで、過去の政権のあら捜しばかりしている。
実にエコノミストらしい。自分がしなかったけど、他人が体を張って命がけで実行したことへの「あら捜し」ばかりでなのだ。

私個人は植草氏に直接会ったことは無い。彼がどんな人なのかも知らない。
ただ、テレビ出演していたここ10年間(?)(植草氏は、日本経済が一番大変だったころ、のんびりテレビでコメンテーターをしていたのですが・・・)、植草氏は切れ味が悪くなっていて、明らかにエコノミストとしての旬を終えていたような気もする。
ちなみに旬を越えてしまうことは、とりたてて悪いことではないと思う。
旬を終えたエコノミストが、なぜTVの奥様番組にマメに出演しているのか、それを訝って(いぶかって)、私もつまらないテレビを幾度か眺めてみたのだが、
たぶん、エコノミストとして旬を終えていた植草教授は、その限界に気が付いて、今度は清潔感を売り物にして、政治家を志していたのではないかと、はたと思い当たった。
第二の舛添教授を狙って、植草氏はTVの奥様番組に熱心に出演しているのだろうな〜〜〜っと、そんな感じで受け止めていた。
そして、政治家を志すことも、また悪いことではない。

けれども、何を志して、今は、植草氏はブログをアップしているのか?
教授本人の言葉で直接聞いてみたいものである。
それが彼を応援する人々への誠意の証ではないだろうか?
敗者復活を目指して、もう一度、アンチ市場原理主義者として、政治家を志しているのだろうか?
けれども、アンチ市場原理主義者の証券会社出身のエコノミストって世界初の「とんでも事件」なのではないのか?
経済成長はどうするのか?
市場主義を嫌う政治家:植草氏は、規制を強化するおつもりなのだろうか?
彼はインフレターゲット理論は駆使できないでしょうから、植草氏には、それなりに参謀が必要だろう。
多くの優秀なプロフェッショナル参謀を引き付けた小泉政権時代の改革を、市場原理主意と揶揄するなら、植草氏はどうやって弱者保護の持続可能な効力ある政策を、いかなる具体的代替案で実行に移すつもりなのだろうか?

是非とも植草氏の具体的な「弱者保護」への政策の具体的な中身を、ざっくりとでもいいから、じっくりと聞いてみたい。
なぜなら、植草氏の「弱者保護」は、ここ2年ほど、抽象論ばかりで具体案が皆無だからだ。彼の「弱者保護」は表向きだけである可能性もあるのだ。

彼のブログを応援するのは、それからでも遅くない。




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