前回、硫黄島の話題だったのでついでにもうひとつ。
評論家の青山繁晴氏が、各地を講演され硫黄島の英霊を忘れないようにと「水一杯運動」というのを提唱しています。
英霊の皆さんが「水が欲しい・・・」と言って亡くなっていったので、毎朝冷たいお水をお供えすると言う運動です。
以前から私も、毎朝お水をお供えしていました。硫黄島訪問に際して、本土のお水をペットボトルに入れて2本お持ちしました。
一本は、到着したその日に、政府が建立した慰霊碑にお水を捧げました。
もう一本は、宿舎の部屋の中にお供えしたのでした。
宿舎は、NLP宿舎といい、米軍や自衛隊が年に数回実施する、夜間離発着訓練の時に使う宿舎です。(Night Landing Practisの略称らしいです)
硫黄島最初の夜、消灯時間が過ぎてからのことです。
私は、今まで経験したことのない精神状態になりました。何かが私の中に入ってきたような精神状態で、私はパニックになりました。大きな声で騒ぎたくなるような、訳のわからぬ精神状態でした。それが、なんであるか、すぐにわかりました。
硫黄島で亡くなった、英霊がでたのです。幽霊と言ったら失礼に当たりますが、明らかに出現したのです。
翌朝、気が付きました。お供えしておいたペットボトルのお水の、キャップをとっていなかったのです。背筋が寒くなりました。
すぐに、そのキャップをはずすと共に、宿舎のラウンジにあるウォータークーラーの冷たい水もお供えするようにしました。
二日目の夜、宿舎に遊びに来た知人の自衛官にそのことを話しました。
「藤田さん、硫黄島では、そんなこと当たり前ですよ。英霊たちは、本土に帰れなくて今でも、悔しい思いをしてるんです。でも、藤田さん達が何をしに硫黄島に来ているか、わかっていますから、もし出たとしても『ご苦労様です。お迎えに来ましたよ。』と言ってあげれば悪さはしませんから・・・」そう言ってくれました。
硫黄島に派遣された若い隊員の中には、一ヶ月ほどでノイローゼになってしまう隊員もいるそうです。隊員の宿舎にも、NLP宿舎にも、ちょくちょく英霊が出現するのは、自衛隊の隊員達は、充分理解しているのだそうです。
硫黄島から帰ってから、百里基地に勤めるエンジェルスOBのお父さんにも、この話をしたら軽く、こう言われました。このお父さんも、訓練で何度も硫黄島に行っているそうです。
「そうですか、硫黄島に行ったんですか。行く前にそのことを聞いていれば、教えてあげなければならないことがあったんです。自衛隊の隊員達も、みな水をお供えしますよ。でもね、みんな宿舎の部屋の中でなく、廊下にお供えするんですよ。お水や、タバコや、お菓子なんかを・・・」 そうです、そうすれば、部屋の中にまで英霊達は入ってこない。そう言うことらしいです。
話を、硫黄島でのことに戻しましょう。
毎朝、冷たい水をコップに8分目ほど入れてお供えしていました。ある朝、ふと気が付いたんですが、8分目ほど入れておいた水が、半分以下に減っていたんです。
その日だけです、減っていたのは。蒸発したんだろうという人もいましたが、それなら毎日減ってもいいはずですよね。その日だけなんです。
蒸発したとしたって、コップの水が半分になってしまうほど、暑くはありません。(宿舎の中は24時間、冷房が入っています。)
あ〜、来たんだな・・・ そう思いました。せっかくだから、会いたかったな・・・ そうすら思いました。会って「ご苦労様です。」と言ってあげたかったです。
この島には、浮かばれずにいる英霊が、まだまだたくさんいるんです。
前回も書きましたが、ここは「東京都小笠原村」なんです。同じ日本なのに、ふるさとに帰れないご遺骨がまだまだたくさん存在するのです。英霊達も浮かばれないと思うのです。
硫黄島では、2万人以上の方々が亡くなりました。そのうち、本土に帰れたご遺骨は1万体なのです。何とかしなければ・・・と焦っているのは、私だけではないと思うのですが。

島のはずれ「摺鉢山」山頂からのぞむ海岸線。ここからアメリカ軍が大量に上陸したのだそうです。そして、この海岸は将兵の血で真っ赤に染まったそうです。

5